Day29 館
「もう何年も前に取り壊されてしまったんですよ。まるで教会みたいに立派なステンドグラスがあって、立派なお宅だったからもったいないんだけど」
長くこの辺りに住んでいるという老人は、そう言って首を振った。
屋敷の後は更地のままだ。閑静な住宅街の一角に、不自然に穴が空いたみたいに見える。
「そうですか。ありがとうございます」
「いえいえ、残念でしたな」
おれは老人に礼を述べて、その場から立ち去った。まぁ、ショックではない。間違いなく解体されているという証拠を見ておきたかっただけだ。
肩にかけたボストンバッグから「やっぱりなかったね」と声がした。
「そうだね」
近くに人気のない公園があった。ベンチに腰かけ、膝の上に置いたボストンバッグのジッパーを開けて、彼女と目をあわせた。彼女みたいな生首を連れて出かけるなら、今のところこうやって持ち運ぶのが一番だと思っている。
「やっぱり、誰かが壊したり、回収したりしているのよ」
彼女はそう言った。顔立ちは押入れで出会った少女のままだけど、おれよりもずっと年上らしいと見当はついている。同類のことも詳しい。
「どうして?」
「危ないから。わたしみたいな首が集まるだけならともかく、そうじゃないやつもくるから」
「そうじゃないやつって?」
「人間の体を食べて、首に変えてしまうやつ」
彼女は少し声をひそめてそう言った。
「きみもそいつに会った?」
「ううん。わたしは違う。色んな首がいるの。首になる血筋のひととか、特別な技術で首だけになった人とか。でも食べちゃうやつはかなりやばい」
聞くからに「やばい」というのは見当がつく。
「じゃあ、『カメリア』にも?」
尋ねると、「たぶん、近いうちに誰かが壊しに行くと思う」と答える。
カメリア、と口にしたせいか、ふと森下のことを思い出した。湖で発見された首なし死体が森下のものなら、彼はそいつに会ったのか?
「会ったんだと思う」彼女はそう答えてくれた。「それで、問いかけに失敗して頭を食べられた」
「問いかけ?」
「たぶんね、『首にするか。それとも体にするか』って聞くのよ、そいつは。森下って人は、とっさに『首』って答えた。だから首を食べられちゃったというわけ」
「そうか……確かにやばいわ」
「だよね。でもそいつの一番やばいところ、たぶんそこじゃないよ」
わたしも聞いた話だけどね、と彼女は淡々と言う。
「そいつに体だけ食われて首になると、人間だったころの自分が消えちゃうんだって。知り合いも誰もいないただの首になって、ひとりで生きていかなきゃいけないんだって」
そのとき、犬を連れたおばさんが公園に入ってきた。
おれはバッグのジッパーを閉め、肩に背負った。おしゃべりはここで一旦終わりにしよう。
バッグを肩にかけて立ち上がる瞬間、おれはふと「カメリア」のことを思い出した。彼女によれば近々解体されるはずの、懐かしい建物だ。
でも、行かない。谷山さんが「行く」と言ったとき、同行しなくてよかった。あのときは万が一うちの彼女が「帰りたくない」とか言い出したら困るな――と思ったから断っただけだけど、やっぱりそうしておいてよかった。
それでいい。おれは「カメリア」になんか行かない。
彼女と一緒にいられれば、それでいい。
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