Day10 心臓
ホールの戸は、何の抵抗もなく開いた。ガラス窓のひとつも割ることになるかと思っていたのに、拍子抜けだった。
中は思っていたよりもきれいだ。多少埃っぽい以外気になることはなく、何なら少し掃除すれば使うことができそうだ。
土足のまま入るにはしのびなかったので、靴を脱ぎ、傍らに並んでいるスリッパの埃を払って借りることにした。ペンションの名前が入っている。来客のために置かれているのだろう。
ホールの中央あたりに陣取り、スマートフォンをスタンドにセットする。配信をスタートさせる。告知をしていたわけでも、人気配信者でもなんでもないからリスナーは当然ゼロ人だが、やることに意味がある。
「こんにちは。僕は今、■■県■■市のペンション『カメリア』跡に来ています。今から生首の話をします。本当にあった話で――聞く人が聞けば本当だとわかります」
彼女が心臓の病気で入院したと聞いて、さっそく見舞いに行った。
「大げさだよね。心臓なんか、生首になっちゃえばどうでもいいのに」
ベッドサイドに座る僕に、彼女はそう言って笑った。でも聞くかぎり、病状はあまりよくないらしかった。彼女があまり苦しまないうちに生首になれたらいいのに、と思った。
「姉さんは?」
僕は尋ねた。彼女は小さくうなずいた。
「こういうときにあらかじめ譲る人を決めておいたから、そっちに行った。大丈夫だよ」
「そうか……」
言いようのない喪失感を覚えた。きっと彼女も寂しいに違いない。
僕が見るからにしょんぼりして見えたのだろう、彼女は僕を見つめて、「いいこと思いついちゃった」と言った。
「旅行に行こうよ。私が首だけになっちゃったら、バッグに入れてもらってさ。そしたら手荷物扱いで、新幹線も飛行機もタダじゃん」
「それはいいね」
僕はそう応えた。本当にそんな日が来たらいいと思った。ボストンバッグに彼女の首を入れて、一緒に景色のいいところへ行けたら、どんなにいいだろう。
「それでさ、姉さんにも会いに行こう。わたしと、きみで」
そう言って、彼女は僕の手を握った。僕も握り返した。
「……君は生首になれるの?」
おそるおそる尋ねた。彼女は微笑んだまま、答えなかった。
スマートフォンに向かって、彼女と、彼女の姉さんの話をした。彼女が入院して、姉さんに会えなくなって、心臓はどんどん弱った。とうとう余命を宣告されて、自宅療養に切り替えることを決めて退院した彼女は、そのあと行方不明になった。そこまで一気に話した。無我夢中で、リスナーの数なんか見ていなかった。
生首の話をすると生首が来る。
それが本当なら、きみに来てほしかった。
最初は僕の家で試した。君の家には入れなかったから、近所の公園でも試した。生首が来たという場所を訪ねていって、何度も同じことをした。
「僕自身の話はここまでです。あとは聞き集めた話を――」
そのタイミングでふと、リスナー数が気になった。いつの間にか三桁を超えている。いつにない増え方にぎょっとした。一体どんな人がこの配信を聞いているんだろう?
そのとき、どん、という音が頭上から聞こえた。
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