第43話 ほほ笑みと幼馴染


 どこかで、建物の崩れる音がする。煙もうっすらと天井に見える。

 それに気が付くとシロウは我に返った。


 ヨウコ婆に明丸を返して抱かせるとジカイを探す。


大叔父上おおおじうえ。我は仇花アダバナがこの城内にあるように思う。」

「ふむ、そうでないとここまで城に入り込まれることはなかろうなぁ。さぁてどこか。」

 ジカイは髭をすぼめる陽にねじりながらいじっている。


 二人は逡巡しゅんじゅんしてしまう。


 すると、

「思うところがありまする。」

 ヨウコ婆が言い出した。ついて来いという。


 四人は大殿を残して、その部屋を出た。


 奥へ、奥へ進む。国守の館の最深部だ。


 シロウも幼き頃はここで過ごした。


 元服してからは、一度も入っていない。そう、ちょうど六年くらいにはなるか。


 廊下は続く。右手には大きな庭があるのだ。


 池があり、鯉が放ってある大きな池。芝生も青々と目に映える。


 今も手入れが行き届いているな。ふと、シロウは頭の隅で思った。


 しかし、今まで見たことないようモノが目に入った。


 亀?甲羅か?異様に大きすぎはしないか?


 目を見張っていると、先を進むヨウコ婆が止まった。


「ナツキ、いないと思えばこちらにおったか。」

「はい、明丸様の着替えを取りにお部屋へ。そろそろ汚れる頃だと思いますれば。」

「うん、モモも連れてきたのか?」

 ヨウコ婆はいつの間にと思ったのであろう。

「はい。お腹が空いたようでしたので、用意ができるまでとりあえず庭へ。」

 ナツキは目があまり見えてない。いつも焦点が少しずれる。


 ヨウコ婆は続ける。

「火の手がすぐ回る。ここも危ない。城を離れねばならないから、その着替えでは足りませぬ。明丸殿の部屋へ行き、急ぎ用意しましょう。」


 進もうとすると、

「ここから先、ご遠慮えんりょねがいまする。」

 ナツキがそう言って、廊下に両手をつき平伏した。


「これはなことを。なぜじゃ?」

 ヨウコ婆の肩には少し振るえがある。シロウは反射的に少し身構えた。こういう時は叱られる時だからだ。


「お祖母様には暇乞いとまごいをされ、大殿よりその裁可さいかは出ておりまする。」

 さらに頭を垂れる。


「そうよな。失念しつねんしておったわ。」

「役においては、ある一定の線を画すよう、しつけられております。」

「部外者と言いたいのか?」

 ヨウコ婆の眉が上がる。そうしつけたのは確かに私よな、そう思ったのだ。

「心苦しい限りではございますが。」

 ナツキも肝が据わるのはこの婆の孫にして、平然と面をあげて定まらぬ瞳で前を見据える。


 ヨウコ婆は抱いていた明丸をジカイに託すと

「火急の折である。押し通る!」

 先へ歩を進めた。

 ナツキの右手が婆様の着物の裾を掴む。

 強引にそれは振りほどかれた。


 そして、とある大きな部屋の前の廊下でヨウコ婆が立ち止まる。


 明丸をかくまう部屋らしい。


 すっと障子を開ける。


「やはりな。」

 婆様はそう言った。


 婆様は数歩部屋に歩み入ると



虎河朔夜介こがさくやのすけ殿とお見受けする。」



 部屋の中ではひとりの男が胡坐あぐらをかいて、茶を飲んでいたのだ。


「いかにも。・・・今、ナツキに茶を貰ったところだ。」


 シロウの背に得も言われぬ振るえが奔った。


 アダケモノをけしかけ、余多の同胞と父、そして祖父までも死にいたらしめた敵の大将、いや首魁しゅかいは、あろうことか城の中枢の奥の奥にいたのだ。


 そして、それよりシロウの心をゆがめたのは、


 ナツキに茶を淹れてもらっただと・・・・。


 裏切り者というのは・・・・。


 シロウは、ゆっくりと今来た廊下を振り返る。


 ナツキはそこで平伏していた。そしてゆっくりとそのおもてを上げる。


 ほほ笑んでいた。


 それは、子どもの頃から見ている美しい笑顔だろう。ク海から帰ってきたあの日に見た笑顔だろう。ク海に置いてきたことを許す、あの優しい笑顔だろう。


 同じなのだろう。この定まらぬ瞳にあるものは同じなのだろう。


 しかし


「違ぁああああああう。」

 シロウは絶叫していた。直感が告げたのだ。


「ああこれ、土産である。」

 朔夜介さくやのすけがシロウ達に向けて袋を投げた。


 そこから転げ出たものは、


 父、勇那守いさなのかみの首であった。


「うっ!」


 シロウは、頭が回らなくなった。そして、なぜかまたナツキを見てしまった。


 ほほ笑んでいたのだ。ほほ笑んで。美しく。


 その時、・・・心は凍った。


 ナツキは何も言わない。


 この娘は全て見えていないわけではない。肝心なことは分かるのだ。


 だから、


 何ひとつ言わず、ほほ笑みひとつで、シロウを刺した。



「ジカイ殿っ!若を庭に!」

 ヨウコ婆の声に我を取り戻したジカイがシロウの手を引き庭に引きずり下ろす。


ヨウコ婆の手にはいつの間にか薙刀なぎなたが握られている。

戦乙女の護りヒルデガルドよ、この外道を斬り伏せてくれぬか?」

 言うや否やの一瞬で、縦一閃の斬撃が天井から床下まで切り裂く。


「やはり、そんなことか・・・。」

 ヨウコ婆はもうもうと舞う土埃が散っていく中でその床下を見て言った。


 その床下いっぱいにとぐろを巻き、はびこっていたのは


             ー仇花アダバナ

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