第44話 夜と鹿


「若様、我が孫の不始末、後で改めてお詫び申し上げる。しかし、これなるはかたきの首ぞ!気をしっかり持たれよ!」

 ヨウコ婆が叫んだ。

 

 ジカイに腕をひかれ、半ばほうけていたシロウは尻もちをついている。


 ヨウコは己の斬撃により生じた破壊の後に目を凝らした。


 ったか?


 庭まで飛び下がっている。廊下は崩れ、部屋の中は憎き虎河朔夜介こがさくやのすけがいた場所をゆうにとおり過ぎて続きの部屋の奥まで床がえぐれている状況だ。


 そこにあったのは、赤緑の肉を白い石の鎧で覆った仇の花。


 床の中一面にその根とも茎とも言えぬもの張り巡らしている。


 その中心たる石の花は続きの部屋の中央で首をもたげていた。


 やれ、隠れるのはもう飽きた。出てもいのかえ?という風に咲き誇る。


 そして、その根元に朔夜介さくやのすけが腰をかけて笑っていた。


「茶に埃が入るではないか。」

 手で湯呑にフタをしていたが、また飲み始めた。


盗人ぬすっと猛々たけだけしいとはこのようなことを言うのじゃろうのう。まさか明丸殿の寝所の下にすくっておるとは。」


「そこが一番都合が良かったのでございます。」

 ナツキが廊下に座したまま、悪ぶれることもなくそう答えた。


「そうじゃろうのう。何をしていたかは見当はついておるが。」


「ほおぅ、聞かせてくれぬか?婆様よ。」

 朔夜介さくやのすけが湯呑を上からもって揺らせて見せた。

 楽しませよとでもいうのか?


「ナツキ、今日はまだ、明丸殿に笛を吹いて差し上げてはおらぬだろう?」

「ええ、必要がございませんので。今日はおねむにはならぬかと。」

 ナツキは間髪いれずはっきり答える。


貴顕な花嫁オードリーかよ。」


「ジカイ和尚様、ご存知で?」


「ナツキ、そなたが六年前ク海から帰ってきた時、ワシが世話をしたのを覚えておらぬのか?」


「そうでございましたね。」

 ナツキが口元を押さえて笑う。納得したようだ。


「役目がらな。なにせク海から帰ってきたのじゃ。調べぬわけにもいかぬ。」


ナツキが顔をあげ、ジカイを見る。焦点が合っている。

「どこまで?」

 その後に続く言葉は・・見えたのか・・だろう。


「良かろう。観の星王ユーグがワシに見せたのは、貴顕な花嫁オードリーは想ったものを眠らせることができる。その能力を含めて。そしてもうひとつ、想った者と時間、場所を問題とせず思念を通ずることができるということじゃな。等級はカ宝、名字まで見えた。」

 

「まあ、」

 ナツキは恥ずかしいと言わんばかりだ。


「そして、お前はいつもこの寝所で笛を吹いていたよの?」


「明丸様は、お心にご負担がかかります故、お慰めに。お祖母様がお許しくださったのではありませぬか。」

「それは良い。知っていて許していた。問題は満月の夜から、虎河の兵がこの城に近づくまで誰を眠らせておったかじゃ。」

 

「はい。ですからこの場所が良かったのです。」

 ナツキの指差す場所は明丸の寝所、いや仇花の根元、つまり床下であった。


「いや、それだけでは納得いかん。」

 シロウが立ち上がっていた。


「ほおぅ、おまえさんがかさねの四男坊かよ。」

 朔夜介さくやのすけ仇花アダバナから降り、廊下に出てくる。陽の光の元まで来ると、その瞳には覇気があり、筋肉もしっかりついている。ただ肌が白い。その名に夜を持つのはふさわしいのかもしれない。年は二十代後半というところか。


 朔夜介さくやのすけは廊下にどっかりと腰を下ろした。あまりに無防備だ。

 今襲いかかれば、首は取れるとシロウは確信する。

 すると、朔夜介さくやのすけは左手で湯呑を持ち上げ

「ずいぶんドンパチやったわ。ちと疲れた。楽しませよ。」

「何をっ!」

 シロウは刀に手をかける。

「キサマは、何に納得せんのだ!」

 目が挑んでくる。


 斬る間合いがそれた。


 すると奥を回ってきたナツキが朔夜介さくやのすけの湯呑に何かを注ぐ。


 酒だ。


 ひと息で飲んだ。また差し出す。

虎成とらなりの酒も意外と美味いのぉ。」

 

 酒を注いでもらった湯呑の縁を舌で半円舐めると朔夜介さくやのすけは一気にあおり、ナツキを抱き寄せる。

「こやつは、いい女ぞ。」


 シロウは一瞬で左から右に薙いだ。しまったという感情は置き忘れた。手遅れだった。


 一瞬の出来事だった。


 しかし


 シロウのやいばは別のやいばによって受け止められている。斬れていない。


「遅いではないか。斬られるところであったぞ。」

 朔夜介さくやのすけが笑う。


「申し訳ございませぬ。殿。」

 ・・・その声には聞き覚えがある。


 シロウの頭に祖父、大殿の言葉が蘇る。

「そしてもうひとつ、・・・鹿に気をつけよ。」


「腹が立ったわ!帰るぞ!」

 朔夜介さくやのすけが立ち上がり、ナツキを連れて背を向ける。

神鹿郎じんロクロウ!こやつらを斬り捨てておけ!そしてガキを連れて来い。」


「御意。」

 刀を構えなおす男。


 ・・・ロクロウだった。

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