41・正解はわからなくても選ぶのは自分

「あれ、月野さん!?」

「こ、こんにちはー……その、見かけて、つい。どこ行こうとしてたの?」

「あ、え、えっとーその……実は迷子で」

 ちょっと気を落として、勢いのままに歩いてたら全然知らない所で困ってたなんて言えない……


「……考え事してたのかな」

「えっ? あっ……あははー……」

 やっぱり女子ってそういうのお見通しなのかな……


「よかったら聞くよ」

「あっ、いやー……でも、その……人に話していいのか……」

「わかってる。だって……波多野さんの事でしょ」

 月野さんにズバリと言われる。


 ……観念にしてちょっと話したほうがいいのかも。



 〜〜



「そう、波多野さんはハヤトさんが好きって言ってたんだ……

 それにハヤトさんも波多野さんの事を目にかけてて……」


 そういう事だったんだー!っていう、さっきの光景の答え合わせをする。

 マイナスくんごめんなさい私はズルして見てましたごめんなさい。


「だから波多野さんを応援する意味でも俺、たぶん勉強は波多野さんに頼らないほうがいいのかなって……」


 ああ、ここでじゃあ私が代わりに勉強見るよって言ったら――


「波多野さんは大丈夫って言ってたんだよね?」

「おう……でも、優しいから気を使って言ってくれたのかもって。ハヤトさんはそう言ってて……」

「波多野さんの大丈夫って言葉は信じらられない?」

「えっ!?いや、そんな……」

「ハヤトさんの言う事は信じちゃうの?」

「あっ……」


 マイナスくんはうーうーと頭を抱えて唸り始める。

 なんでこんなに素直なの? そのうえで優しいって私は知ってる。


 付け入って波多野さんから奪って仲良くするなんてしたら、たぶん私はマイナスくんが優しくしてくれる度、罪悪感に苛まれると思う。

 正々堂々したいとかじゃなくって、マイナスくんに相応しくありたいよねって、これは私の気持ち。


「たぶん、そのうち離れる時は来るだろうけどさ、今はその時じゃないって思うよ。私は」

「まだ……高校生活始まったばかりだしね」

「うん。それに急によそよそしくされたり、距離を取られたりしたら傷ついちゃうでしょ?」

「おう……俺もそんな事されたら辛いかも……」

「いきなり何かをするんじゃなくて、ゆっくりやってこ? 心配なら私や他のみんなを頼って、さ」

「もう何から何まで頼りっぱなしで……こんなのでいいのかなぁ、俺」

「ふふ、ちなみに駅までは帰れそう?」

「ちょ、ちょっと不安……」

「スマホちょっと貸してもらえる?」

「え? お、おう」


 マイナスくんのスマホをちょっと借りる。

 よこしまな思いはちょっとあるけども、それは脇に置いておいて……


「この地図のアプリのこれで……あ、波多野さんと既に設定してあるんだ」

「あ、それ、前に波多野さんに道を聞く時があって……」

「じゃあ私のも設定しておく。何かあったら私にも聞いてみて? 道案内くらいならできると思うから」

「あ、ありがとう……!」


 こうやって良い人ぶるしか私にはできないんだろうなぁ……

 だけど、今はそれでいいのかも。

 これからの事はわからないしね。


 それにしてもあのハヤトって人は胡散臭い……



 ――



「お兄ちゃーん!」

「お、カナ。おかえりー」

 練習部屋でピアノの練習中に、カナが帰ってくる。


「今日も捗ってるね! テストの方はどうだったー?」

「少なくとも今日のテストは波多野さんや皆のおかげもあって、自信有り!」

「おー! やったね! 波多野さんがいなかったらどうなってた事やら……」

「本当、それすごい思う……! 上井先生に勉強見てもらうとかしかなかったのかなぁ」

「できそうっていうのはあるけども、やってくれるかは別だよね」

「たしかに……というか俺ががんばるって約束だったしなぁ」


 波多野さんに会わなかったら勉強はここまでできなかっただろうなぁ。

 そういえば鷹田に会わなかったら俺、軽音部にも入れなかったのかも。

 それを言うならロックに会わなかったら……あの事件が無かったら……


「練習、見てていい?」

「んっ、いいよ!」

「やったね! 練習でもお兄ちゃんの演奏、好き!」

「えへへ、ありがとう。張り切らないとなー!」



 ――



「そういえば、上井先生とのレッスンもずっと続くわけじゃないんですよね……」

 レッスン中、何かの話の弾みで不意に口から出てきた言葉。


「テルくんが巣立っても、業界は狭いので会えますよ」

「いや、でも先生と生徒って関係じゃなくなっちゃいますし……そう考えたら気合い入れてレッスン受けなきゃ……!」


 上井先生はいつものように穏やかに微笑んでる。


「テルくんの良い所ですね。悪いところでもありますが」

「えへへ……えっ!? どっちですか!?」

「『幻想即興曲』をちょっと弾いてみましょうか」

「……は、はい」



 2年前の事件の時の曲。

 奈落に飛び込んだ子と俺が弾いた曲。


 別にこの曲が悪いわけじゃない。

 だけども、思い出してしまってやっぱりトラウマだ。

 あの時、どんなふうに弾いたか、覚えてない。



「す、すいません……全然上手く弾けないッスね……」

「理由はわかりますか?」

「え、えと……」


 運指は身に染み込んでいる。

 音は並べられてる。

 だけど、全然気持ちよくない。


 だからひとつひとつの音を考えようとする。

 そうすると更にわからなくなる。


 そもそも俺、コンクールでちゃんと弾けてたのかな……


「この曲を弾く時のポイントは忘れてしまっているようですね」

「あ、えと……なんでしたっけ……というか、俺、どんな風に弾いてたんだっけ……」

「録音が残ってるので聞くことはできますが……」


 身体が強張る。

 ギラギラと焼くような照明、真っ暗な奈落、そこから向けられる視線。


 ――それらがフラッシュバックしそうになる。


「それはさておき、大きなポイントはひとつですよ」

 いつの間にか上井先生がそっと俺の頭に手を置いていた。


「一音一音で考えるのではなく、全体で奏でる事を意識する。ひとつひとつの煌めきを夜空に並べ、輝かせるのです」

「あ……は、はい」

「クラシックにおいて、不協和音を過去の作曲家たちがどう扱っていたか、覚えていますね」

「嘆きや恐れ、そういった負の表現として使っています」

「いつか、何もかもがテルくんの思い出になって、良い思い出だったと言えるようになるといいですね」

「あはは、俺の思い出……って、曲の話じゃなくなっちゃいました!?」

「似たようなものと言って差し支えないですからね」

「そっか……そっかー……」


「では、レッスンに戻りましょう。全体の曲のイメージを頭にしっかり入れつつ、ひとつひとつの音の意味を考えて通しましょう」

「うえっ!? あっ、は、はぃっ!!」



 ――



「今夜もテスト前日一夜漬け、よろしくやでー!」

「よ、よよ、よろしくね……」

「おう、よろしく!」

 今夜もみんなでグループ通話で勉強会!

 俺はまた隔離されるんだろうなぁって思いながらも、始まりにみんなの顔を見れるのなんだか楽しいなぁ。

 今日は新井と鷹田を除いて6人!


「理科は暗記でどうにかできる部分多いからまだマシとして……」

「理科ラップとか作ったらマイナスいけそうじゃないかー?」

「けどヤマ外したら大惨事になるよそれきっと……」

「言うて問題は数学や! ノンノン的にどうや? 完全にアカン? 投げる匙が無くなるくらいアカン?」

「え、えっとね……その……たぶん、今回は……赤点じゃないかなって……思ってる……」

「ご、ごめんね……」


 本当に数学、難しいよ……

 難しいよぉ……


「そ、そのね、計画としても中間テストはね、ダメっっていう前提なんだ……」

「基礎ができてないのに実践! って余計にこんがらがりやすいもんね。波多野さんの考えはすごく正しいって思う」

「そ、それとね、あの……数学の先生、角田先生がいなくなっちゃったでしょ……?」

「電撃寿退職……だっけ? 灰野先生が代わりに担任始めたっていうのが衝撃的過ぎてみんな忘れがちだけど……」

「そう……新しい先生も来てないから、どんなテストが出るかわからなくて……だから……ご、ごめんね……」

「でも、本当に引き継ぎとかもしないで退職したっぽいよなー。今の数学の授業はプリント配られて自習だからさー」

「見えてない所でストレス抱えてたんだろうね……教師って大変っていうし……」

「よしっ! とりあえずそろそろ始めよう! マイナスくんは別部屋に送っちゃうよ!」

「おう……ちゃんとがんばります」


「あ! せや! ウチらちょっとノンノンに聞きたい事あるねん!!

 ノンノン貸してや! マイナス!」

「えっ!? いや、俺に聞かれても!?」

「そう? じゃあ一旦マイナスくんは私が見ようかな?」

「ありがとやで! コンちゃん!」



 ――



「得意ってわけじゃないけども、わからない事あったら遠慮なく聞いてね」

「おう……!」

 黙々と勉強……ノートに書いて纏めたり、用語を覚えたり……そんな時にピコンと誰かが入ってくる。


「うーっす。今日も顔出しに来たぜ」

「あ、鷹田だ! こんばんは!」

「鷹田じゃん。こっちはマイナスくん隔離部屋なんだけど」

「どっちかならこっちの方が圧倒的に顔出しやすいじゃん。

 てかマイナス隔離部屋は面白すぎ」

「喋ってるとマイナスくんが集中できないからこうしてるの」

「予想通りだったわ。つか会長に用があってきただけだからすぐ落ちるぜ」

「うん、何?」

「妹が困っててよー。けど、俺ん家は男所帯で妹しか女いないじゃん?」

「あれ、鷹田ってママいないの……?」

「そうだな。まぁそんな訳でさ、時間ある時でいいからウチに来てくんない?」

「……よかったら今からでも行くけど?」

「なら迎え行くわ。つーわけで後でなー」


 鷹田が通話を切る。近藤さんはチャットで皆に席を外す事を伝え始めてる。


「鷹田の妹、大丈夫かなぁ……何があったのかな……困ってるって……」

「マイナスくんはわかんないよね、やっぱり」

「やっぱりって??」

「ううん。なんでもない。でも大丈夫だから安心してね」

「おう、わかった。気を付けてな」



 ――



「マイナスくん! 遅くなってごめんね……!」

「あ、波多野さん! 大丈夫だよ! ちゃんと勉強してたから!」

「ちょっと放ったらかしちゃったね……どこまで進んでるかな……」

「あ! そういえばなんだけどさ……今日の昼、急に抜けてごめんね」

「ううん! 急用なら仕方ないよ。それにハヤトさんも良い人だったし……」

「これからも仲良くやれそう?」

「うん、まぁそうだね」

「そっか! それならよかった! あ、それでなんだけども……」

「うんうん、なあに?」

「俺もさ、波多野さんの事を応援したい。けど、俺ができること、全然無いって思ってる。でも、だけど、だからこそ――」


「こうやって俺のために時間を作ってくれて本当にありがとう。

 俺、一生懸命がんばる」


 画面越しの波多野さんが照れて恥ずかしそうにしてる様子が見える。


「あ……いや、急にごめんね。

 なんだろ……えと、何かあったら……何でも言ってね」


「う、うん……よろしく……ね……!」


 

 俺は波多野さんとまだ一緒に居るって決めた。俺の中の、そういう表明。

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