第50話「焼却炉のある家」
「田中さん、社長に呼ばれたんですか?」
そう声をかけてきたのは小湊だった。いつものように、黒い樹脂製のヘアコームで髪をきっちりとまとめている。
「ああ、ちょっと変な物件を押し付けられてな。焼却炉の確認がいるんだってさ」
「焼却炉? 今時珍しいですね……。それ、私も行っていいですか?」
意外な申し出に、俺は首をかしげた。小湊は普段、こういった案件にはあまり積極的じゃない。
「どうした、珍しいな」
「実は、ゆくゆくは不動産鑑定士の資格を取りたくて! 少しでも経験を積んでおきたいんです。後学のために勉強したくて」
少し緊張した面持ちで真面目に答える小湊を見て、俺は肩をすくめた。
「まあ、勉強にはなるかもな。行くなら準備してこいよ」
物件は市の外れにある古びた平屋の一軒家だった。到着してみると、庭には雑草が生い茂り、あちこちにガラクタが散乱している。奥には、社長が言っていた古い焼却炉が不気味に佇んでいた。
「ここが例の焼却炉か……」
俺が蓋を開けて覗き込むと、小湊が後ろから興味深そうに声を上げた。
「田中さん、焼却炉って今はもう使えないんですよね?」
「ああ、家庭用は法律で禁止されてる。でもまだ残ってるところもあるんだよな。こいつも処分前提だ」
中を調べると、煤と灰がたっぷりと溜まっていた。その中から出てきたのは、焼け焦げた櫛の破片だった。
「櫛……?」
「しかも、こんなにたくさん……?」
小湊が覗き込んでくる。掻き出すうちに、櫛の破片が次々と現れる。それは一本や二本ではなく、大量だった。真っ黒に煤け、細かく砕けているものも多い。加えて刺激臭の混ざった焦げ臭さがが強くなってくる。
「老人がこれを一体何に使ってたんだ……?」
俺が呟いたその時だった。小湊のまとめ髪を固定していた黒いコームがするりと滑り落ちた。
「あっ!」
慌てて拾おうとした彼女の手が小さな悲鳴とともに、引っ込んだ。
コームの歯が黒く艶やかな毛束に変わっていた。それは人の髪そのものが絡みついたような……などと生半可なものではなく、髪の毛そのものなのだ。
「なにこれ……気持ち悪い……」
彼女の顔が引きつる。俺たちは互いに顔を見合わせたが、何も言えなかった。
不気味な空気を感じつつも、家の中を調査する。玄関を開けると、焼却炉の灰から漂ってきた匂いがする。暗い廊下を進み、部屋を一つずつ見て回る。
「田中さん……、あれ」
小湊が指差した先には、棚の上に並べられた大小さまざまな櫛があった。それらはどれも歯の部分が毛束になりかけていた。一本ずつ微妙に異なる形状や大きさの櫛が、不気味に並べられている。
さらに奥の部屋に進むと、床一面に散乱している櫛の中には、完全に髪の毛そのものになり果てたものもあった。長く艶やかな黒髪が絡まり合い、渦を巻く濁流の様になってしまっていた。
「老人が、これを燃やしてたのか……」
鼻の奥に嫌な感覚が広がる。なぜ櫛がこんなことになっているのか、まるで理解できない。
「田中さん、これ、普通じゃないですよね……」
家の中で髪の毛になりかけた櫛を見つけた時、小湊は低い声でそう呟いた。震える手で口元を押さえ、後ずさる彼女の顔は青ざめている。
「俺もこんなの見たことがない」
俺が答えると、小湊は目を伏せ、短く息を吸った。
「櫛って、なんか……、髪の毛が一本絡まってるだけでも気持ち悪いじゃないですか。でも抜け毛だから仕方がないじゃないですか。自分のだし。生理現象ですし」
彼女の声は少し震えている。しかし言葉を紡ぎ続ける。言葉にすることで少しでも現状を整理しようとしているのだろう。
「普通じゃないですよ……櫛が髪に変わるなんて……これからどうしたらいいんですか? こんなの見ちゃったら……。もし明日の朝、髪をとかして、ブラシを見た時、髪の毛が絡まってて、それが抜け毛なんじゃなくて、ブラシが髪の毛に変化したものだったなら――」
「……それ以上、もしもを考えても得をすることは何もないよ。家帰ったら塩でも撒いておくといい」
俺が冗談めかして言うと、小湊は不安そうに笑いながら頷いた。
「はい……。ブラシにも塩をまいておきますね。田中さんも気をつけてくださいね」
翌日から、小湊は髪をゴムだけでまとめるようになった。
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