第43話「線路沿いのアパート」

 駅近の物件を探している若い女性が現れた。

 条件は「駅に近くて、家賃が安いこと」。よくある希望だが、駅周辺の物件はどうしても騒がしいものが多い。それでも、彼女の希望にぴったりな物件が頭に浮かんだ。


「あそこ、どうですか?線路沿いにはなるんですけど、割と静かなんです」


 俺は彼女をその物件に案内することにした。アパートは線路沿い、しかも隣には踏切がある。通常なら騒音がネックになりがちな立地だが、この物件は妙に静かだと評判だ。駅からの距離も完璧、家賃もお手頃……ただし、ちょっとした“訳あり”かもしれない。


 部屋に案内しながら、ふと俺も気になって一瞬耳を澄ませた。だが、やはり何も聞こえない。外は夕方、電車の本数が多い時間帯のはずなのに、線路沿いにもかかわらず、電車の音も踏切の警告音も完全に消えている。少し不気味だが、静かで快適と言えばその通りだ。


「駅から近いし、家賃も手頃です。何か気になるところがあれば遠慮なく言ってくださいね」


 女性は周りを見渡して頷くものの、少し戸惑っているように見えた。


「ここ、外の音が全然しないんですね……」


「ああ、それがここの良いところなんですよ。線路沿いなのに静かで、住む人たちからも評判が良くて」


 だが彼女はしばらく黙り込んだまま、ふと俺に視線を戻してこう言った。


「それが、なんだか不気味に感じるんです。外の音がしないのって、変じゃないですか?」


 そう言われてみると、俺も妙な気がしてきた。このアパートはまるで“無音”の結界にでも包まれているようで、ここに入った途端、外界からの音がすべて消えてしまうような感覚がある。近隣からの生活音や車の走行音すらも一切聞こえないのだ。


「うーん、確かに普通はこんなに静かってことはないですよね」


 俺は苦笑しながら言ったが、彼女の顔にはやはり不安が残っているようだ。


「やっぱり別の部屋を見てみたいです」


「かしこまりました。駅から少し離れますが、別の場所で条件に合う部屋を探してみましょう」


 アパートを出て駅から少し離れた物件を見に行くことにしたが、心の中でさっきの静けさが妙に引っかかっていた。電車も踏切も、まるでこの部屋に近づく前に消えてしまうかのようだった。



 事務所に戻ると、社長がのんびりした口調でさっきの物件の話を聞いてきた。


「おい田中、どうだった?あの線路沿いのアパート、いい物件だろ?」


「まあ、静かで快適なんですけどね。逆にそれが不気味ってお客さんが言うんですよ。外の音が全然しないのも変だって」


「あぁ、あそこなぁ。昔から静かで評判なんだよなあ。線路沿いのアパートなのに、電車も踏切も音を立てないって。なかなか面白い物件じゃないか」


「面白い、というか、不思議ではありますね」


 すると、社長はうっすら目を細めて続けた。


「でも、ああして何にも邪魔されないで静かに過ごせるってのは、ある種の贅沢じゃないか? ただ、気にする人は気にしちゃうのかな。まるで、そこだけ世の中と切り離されてるみたいだってさ」


 社長は、ぼんやりと空を見上げるような目をして微笑んだ。


「ま、騒がしくないのが気になるなら別の物件を勧めとけ。けど……静けさを楽しみたいって人には、あそこほどいい場所もないだろ?」


 そう言われると、なぜかこの無音のアパートが、静かさの代償に“何か”を引き受けているようにも思えてくる。社長はあいかわらず呑気だが、あの独特の静寂が何なのか、気になって仕方がなかった。

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