第15話「スリッパが増えていくモデルハウス」

 うちの会社で管理しているモデルハウスの営業を手伝うことになった。

「田中さん、ほんとすみません……急に、無理言って」

 逆木地所での俺の立ち位置は、すっかりおかしな物件担当の便利屋になってしまったようだ。

 小湊は申し訳なさそうに頭を下げた。彼女は5年目の営業担当で、モデルハウスの管理や内見の準備を一手に引き受けている。自分の仕事に誇りを持っているらしく、リビングの家具の配置からスリッパの位置に至るまで、いつも細かく気を配っている。


「でも、ここ……ちょっとおかしいんですよね。私も何度も確かめたんですけど、どうも変で……」


 そう言いながら、彼女は玄関のスリッパを不安そうに見つめた。


「最初にこのモデルハウスを準備したときは、スリッパも玄関に置いたのは四足だけなんです。でも、気づくといつも増えてるんです。誰かが持ち込んだとか、何かの間違いだって思いたいんですけど……」


 声のトーンは、どこか怯えが混じっていた。俺は小湊がスリッパの数を増やしたのではないかと最初は思っていたが、彼女の表情を見て、その考えを変えた。彼女は、内見に来る人間が快適に見学できるように、備品や飾り付けに工夫を凝らす、どちらかと言えば几帳面なタイプだ。実際、リビングの照明やカーテンの色も彼女の選定らしく、よく考えられている。

 調査のため俺たちは家の中を歩き回った。だが、進むにつれて、スリッパの数はさらに増えていく。リビング、キッチン、廊下、どこに行ってもスリッパが置いてある。しかも、デザインも色もバラバラで、まるで誰かが毎回違うスリッパを持ち込んでいるかのようだ。


「どういうことだ?」と俺は思わず呟いた。

「そ、そうですよね? なんか変ですよね?」


 小湊は俺に同意を求めるように、こちらをじっと見た。俺が何か意見を言う前に、彼女はすでに怯えている様子だったが、仕事柄か周囲にはその弱さを見せたくないのだろう。慣れない状況に対する戸惑いが、彼女の表情にじわりと浮かんでいた。


「これ以上増えたら、さすがに困るな」


 俺が呟くと、小湊は心底安堵したような顔になった。


「……やっぱり私だけじゃなかったんですね、こういうの、感じるの……」


 田中という先輩が同じ空間にいてくれることが、彼女にとっては少し心強いらしい。それでも、彼女がまだ俺にこの件を頼むのに勇気が要ったことも、会話の端々から伝わってきた。

 リビングのソファに座ると、背後で不意にスリッパの音が聞こえた。

 誰か来たのか? と思って振り返るも、誰もいない。ただ、増え続けるスリッパだけが目の前にある。

 俺たち急いでモデルハウスの公開を中止して帰ることになった。

 こういう時はどの専門業者に頼めばいいんだ?

 上棟式やお祓い、除霊なんかをお願いしている馴染みの神職や僧侶もいるが、彼らの仕事は目に見えないもの、邪気や祟りを払う。つまり依頼者の精神的安心を担保することだ。だが、スリッパは現実的に増え続けている。祈ったって、スリッパは減りやしないだろう。

 玄関を出る直前にふと後ろを振り返ると、さらに増え続けて数えきれないほどのスリッパが並んでいて、小湊は「ヒッ」と小さく悲鳴をあげた。

 逃げるように俺たちは車に乗り込んで会社に戻った。小湊は恐怖と驚きで引っ込んでいた涙を、助手席で流していた。


「このまま辞められたら面倒だなあ……」と内心思った俺は、ダッシュボードから、弟がくれたお守りを取り出し、彼女に渡した。

 変な事件が起こるたびに若手社員が辞めていくようじゃ、ますます俺の仕事は増えていく。俺はお化けを信じてないのと同時に、神様も信じちゃいない。彼女の精神的安心に寄与するなら交通安全のものでも効果があるだろう。


「あ゙り゙が゙どゔご゙ざ゙い゙ま゙ずぅ゙」


 鼻水を啜りながら小湊はお守りを握りしめた。


「あのモデルハウス、無限にスリッパが増えていくのかもしれません」と社長に報告した。

「それは面白いな。これで我が社はスリッパを買わなくて済む」と軽く笑っていたが、俺はその反応が薄気味悪く感じた。

 結局、モデルハウスはすぐに取り壊され、最新のスマートハウスってやつに建て直された。そこではスリッパは増殖したりはしてないが、前のモデルハウスで増えたスリッパを使っているらしい。

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