世界の中心で

「お疲れ様です」

「おつかれい」

シフト終わり、売り場から事務所に戻ると、休憩スペースで米村さんが文庫本を読んでいた。

「何読んでるんですか?」

「ああ、これ。友達が書いた小説」

「えっその人、作家なんですか」

「うん。マイナーだけどね」

読む?と米村さんは表紙を見せてきた。

タイトルには『色違いの僕ら』とある。

「どんな話なんですか?」

「うーん、身分の違う二人のラブストーリー?っていうのかな。読んだ方が早いよ」

はいこれ、と文庫本を半ば押し付けられるように手にする。

「あのまだ読むって言ってないんですけど.......それにこれ私物ですよね。おれ本読むの遅いから返すの遅くなりますよ」

おれがそういうと、米村さんは笑って言った。

「いいのいいの。まだ家に同じの二冊あるし」

「そんなに好きなんですか?この小説」

うーん、と米村さんは少し考え込むようにして言う。

「好き.......そうだね。好きかなぁ。顔見知りが書いた本っていうのもあるけど、一番はこの小説、作者の叫びが書かれてるんだよね」

「叫び、ですか?」

「うん、物語のパワーっていうのかな。たまに物語見たり読んだりしてるとあることだけど、作者の言いたかったことはこれなんだな、っていうのがすごくわかる。きっとこの世界に対して怒ってるんだろうなっていうのが手に取るようにしてわかる。そういう作品、私好きなんだ」

それにね、と米村さんは続ける。

「みんな、の中に入れない人のお話だから、私もちょっと感情移入しちゃうんだよね。ほら、この前言ってたでしょ。見た目とか振る舞いとかでどんな人か勝手にジャッジされる。そういうことも書いてる。だから好き」

読書好きの米村さんがそういうのであれば確かにいい作品ではあるのだろう。

「読んでみます」

おれがそういうと、ちょうど休憩終わった、と米村さんは椅子から立ち上がった。

「読んだら感想教えてね」

おつかれ、とおれに軽く手を振りながら米村さんは売り場へ消えていった。


「ただいま」

家に帰っていつものようにつぶやくと、今日はおかえりの声が返ってこなかった。見れば部屋の電気が消えている。

少し怪訝に思いながら部屋に入ると、ベッドの上で翔也が寝ていた。その様子を見て安心する。

すーすーと静かに寝息を立てながら寝ている翔也を起こさないように、そっと電気スタンドの電源を付けて、米村さんから貸してもらった文庫本を開く。

本を読むなんていつぶりだろうか。売り専と書店バイトの二足の草鞋で忙殺されて、ゆっくりと本を読むなんてここ数年できていない気がする。

おれが文庫本のページをめくっていると、ベッドの上の翔也がもぞもぞと動いた。

「......ん、おかえり」

「すまん、起こしたか?」

「だいじょうぶ。それより飯作ってなくてごめん」

「いいよ別に。今日はあんまり腹減ってねえしな」

そっか、と文庫本を手にしたおれを見て翔也は言った。

「珍しいね。何読んでるの?」

「職場の人に貸してもらった小説」

「へぇ~、どういう本?」

そう言いながら翔也がベッドから出ておれの隣に座った。

「なんか恋愛小説?らしい」

「ますます珍しいね」

翔也はそういうと、立ち上がってキッチンに向かった。

「なんか食べたいもんある?」

「特には」

「じゃああり合わせで適当に作るわ。ゆっくりしといて」

「手伝おうか?」

「いいー」

台所に立つ翔也を見ながらふと思う。

「翔也、お前家事しんどくねえか?いつも俺が飯作らせてるし」

「え、何急に?全然だよ。料理するの好きだし。それに台所荒らされる方がめんどくさい」

「そうか」

「うん、だから気にしなくていい。ほんとに。俺が好きでやってることでもあるし」

翔也は家にいる時間がおれより長い。たまのバイトに出勤するとき以外は家にいることが多く、必然的に家事の分量はおれよりも翔也のほうが多かった。

家に帰ると、飯を作ってくれる恋人がいて、たまにセックスができて。その生活に不満があるわけではない。むしろこんないい生活はないと思う。だけど、それと同時に、このままでいいのかとも思う。ずっとこのまま同じ生活を続けられるのだろうか。いつかはできなくなるのではないだろうか。そう思うと、少し恐ろしくなる。この生活を失いたくない。翔也を失いたくない。いつか愛想を尽かされてしまうことも怖いし、別の要因で、例えばどちらかが大病を患ったりして、今の生活が維持できなくなるのが怖い。

おれのこれは、愛でいいのだろうか。翔也を便利に使いつぶしているだけじゃない、と胸を張って神様に誓えるだろうか。

台所に立つ翔也を見る。

おれの好みの細い体に、小さい背。見た目はすごく好きだ。でも中身は?翔也は男で、おれも男だ。

自分の中にある「好き」の感情がちゃんと正しいのか、おれにはまだ分からなかった。

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