世界はそれを何と呼ぶ

「ただいま」

「おかえり」

いつもの光景、もう何百回としたやり取りをするたびに一日が終わったことを実感する。

「今日は肉じゃがです」

翔也が鍋をつつきながら言った。

鍋の中を覗き込むと、ぐつぐつと肉と野菜が煮込まれているところだった。

「うまそう。なんか手伝おうか?」

「いや。すぐできるからいい。二人じゃ狭いし」

「そっか」

おれの家のキッチンは広くない。そもそもここは単身者向けの間取りで、キッチンも最低限の設備があるだけで、男二人が自由に動けるようなスペースではないのは確かだった。

机に食器を並べながら料理中の翔也を見る。

やはり特段どきどきはしない。

まあそれは当たり前か。お互いに裸も見慣れたものだし、それに今あるのはただの日常風景だ。この状況で欲情するほどおれは猿じゃない。

翔也の背中に手を伸ばす。

「なに?」

「ちょっとだけ」

料理の邪魔をしないように後ろから翔也を抱きしめる。

「どうかしたの?」

翔也が困惑した様子で聞いてきた。

「すまん、なんでもない」

翔也から手を放し、テーブルの席に戻る。

翔也はおれのことを気にする様子もなくコンロの火を消した。

「さ、できたよ」

肉じゃがを盛りつけた大皿を翔也がテーブルに置く。

「でも練がああいうことしてくるの珍しいな」

テーブルの席に着きながら翔也が言った。

「そうか?」

「うん。練あんまりスキンシップとか好きじゃないじゃん」

確かにおれはセックスするとき以外翔也に触ることをほとんどしない。翔也もそんな俺の様子を見てか、あまりべたべたしてくることはなかった。

「ねえ、練」

翔也がおれの目を見て言った。

「練はさ、俺のこと好き?」

ドキッとした。時々翔也は突拍子もないことを言う。まさに今のように。

「好きだよ」

動揺を隠しながらおれはそう言った。

実際におれは翔也のことが好き、だと思う。毎日飯を作ってくれて、たまにセックスさせてくれて、おれはおれで翔也と一緒に住むことに抵抗感があるわけでもなかった。だからこれは「好き」で良いと思う。

神に誓ってすべてを愛さなければ、そうしなければ相手を愛していないということになるのだろうか。

心の底から一挙手一投足すべてを愛していなくても、なんとなく一緒にいて苦痛を感じないのなら、それは「好き」で良いんじゃないか。

おれは毎日の翔也との生活に安らぎを感じている。男が好きと言うわけでなくても、目の前にいる男との生活に安らぎを感じているのであれば、それは好きでいいだろうが。世の中のカップルだってそんなもんだろう。誰に言うわけでもない言い訳を心の中で思う。

翔也がおれに言った。

「練ってなんか確かめるみたいに俺に触れるよね」

「......どういう意味?」

「俺のことを好きなことを、じゃないけどさ。なんか不安なことでもあんのかなって」

「ねえよ、別に」

「そう?」

「ああ」

翔也はそう言うとふっと笑って、俺の手を握って自分の頬に当てた。

「練は優しいなぁ。俺は今が幸せだよ。どこにも行かないし、行きたくない」

上目遣いになった翔也と目が合う。心臓がどきりとする。

「だから、なんだよ」

「練、きみって別に男の人を恋愛的に好きにならないでしょ」

翔也からそう言われたときに、初めてそのことに自分で気づいた。いや、気づいたは違う。認めた、だ。

「なんで?」

「なんとなく」

やっぱりか、と言う風に翔也は笑う。

肉じゃがから出る湯気が翔也の笑った顔を少し遮る。こんな話をしているのに旨そうな匂いがした。

「俺の好きと練の好きが違ってても、練がそれでも俺のことを好こうとしようとしてるのはわかるから」

おれの手に自分の指を絡ませながら、翔也は言った。

「俺は練のことを愛してるよ」


おれも愛してる、とは言えなかった。

「さ、冷めないうちに早く食べよ。今日のは力作なんだよね」

翔也は何事もなかったかのようにいただきます、と肉じゃがを食べ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る