変わるもの、変わらないもの

「結婚、ですか」

電話口で今話しているのは先日僕の担当編集になった川上と言う若い男性編集だった。

「はい、山城先生の作風にピッタリだと思うんです」

川上が提示してきた仕事はとある文芸誌に寄せる一本の短編小説だった。テーマは「結婚」。ジューンブライドに掛けて六月号に掲載する短編小説の連載会議で、腐っても恋愛小説家である自分に白羽の矢が立ったのだという。

プライド月間とも呼ばれるその月に、自分が出来ない結婚というものをテーマにした作品を作る。皮肉なものだと笑いがこみあげてくるようだった。

「最近お身体の調子はどうですか?」

「ぼちぼちです」

「そうですか、無理はなさらないでくださいね」

社交辞令なのか、本心からなのかは分からないが、川上はそう言った。

せっかく久々にもらった仕事なのだ。無理をしなくて何が作家だ。

「お気遣いありがとうございます。死んでもやり遂げます」

僕がそういうと川上は、ほんとに無理しないでくださいね、と笑った。


川上との通話を切って、一息つく。

結婚か。

僕も惣吾も儀礼的なものに興味がある方ではない。

そもそも正式に恋人になったのも一緒に暮らし始めてからで、それまではお互いに好き合っていたものの、普通の恋人たちがやるようなロールプレイはしてこなかった。中学生の時からずっと一緒にいて、友達のような、恋人のような、そんな距離感を維持しながら二人で人生を歩んできた。だからというか、僕らにとって結婚というものはそれが包括する制度や補助を受けるための法律上の契約と言う認識だった。僕らが持っているパートナーシップ宣誓書に法的な拘束力は無いに等しい。

今仮に片方が死ねばもう片方は赤の他人として事務的に処理される。また遺された方の為に保険に入ったとしても、そもそも保険金の受取人になれるのは「配偶者」もしくは「二親等以内の血族」であり、同性パートナーは保険金の受取人にすらなれないのだ。

元々誕生日とか、記念日とか、そう言ったものにもさほど熱を上げない性分だから、神前式のようなものもしたことがない。

喉から手が出るほど望んでいるものだが、考えてみれば普通の人間が考える「結婚」という概念に対して疎い自分がいることに気が付いた。

これではせっかくの仕事で良いパフォーマンスが出せないのではないか。そう思った。

ふと大学で同じサークルにいた先輩の存在が頭によぎった。

先輩は年が10個離れた同性パートナーと都内で暮らしていたはずだ。

「去年彼と神前式を挙げた」そんな趣旨の年賀状が今年の初めに届いていたのを思い出す。

僕らとは違い、イベントや行事ごとにも関心があって、尚且つ儀礼的なこともしている先輩に取材が出来ないだろうか。

そう思って先輩にメールを送ると、すぐに返信が来た。

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