変わらない生活

朝起きて、まずやること。

昨日の夜にできなかった分の洗濯物を回して、洗濯物を回している間、惣吾のお弁当と朝ご飯を作る。

飯を作っていると、惣吾が起きてくるので、コーヒーを淹れてやる。

「おはよう」

「おはよう。朝ごはんの良い匂いがする」

そんなことを言いながら惣吾は起き抜けでぼさぼさの髪を掻く。

「お湯沸かしてるうちに顔洗ってきなよ」

「うん」

洗面所に行く惣吾の後ろ姿を見ながら、いつも思う。

幸せだ。

きっと何千何万の人たちがしているであろう、なんの変哲もない朝の風景が僕にとっては世界一幸せな時間だった。

洗い物をしていると、

「いつもありがとう」

洗面所から戻ってきた惣吾がそんなことを言う。

「僕はほとんど稼いでないし。それに僕が好きでやってることだからいいんだよ」

「それでも」

そう言いながら惣吾が後ろから僕に抱きついてくる。

「危ないって」

「少しだけだから。充電させて」

そんなかわいいことを言われて、思わず許してしまう自分がいた。

「俺は良い旦那さんを持ったなぁ」

自分の表情筋がほころんだのが分かった。

なんだか恥ずかしくなってしまったので、朝ご飯を食べるよう急かす。

「わーかったから早くごはん食べて。遅刻するよ」

はいはい、と言いながら惣吾は僕から離れた。

この生活を始めて、もうすぐ十年になる。

高校を卒業して、お互い別々の大学に入って、大学を卒業したタイミングで二人で暮らすことになった。

男二人が入居できる物件はさほど多くなかったものの、なんとかして二人で居ても不自由のない生活を手に入れることができた。

惣吾がテレビを付けると、朝のニュース番組で同性婚訴訟のニュースが流れていた。

洗い物をする手を止めて、そのニュースを見る。

『すべての人に結婚を』裁判、通称・同性婚訴訟。

数年前からLGBT当事者達とその支援団体が原告となって国相手に訴訟を起こしているそのムーブメントは、至る所に波及していた。先日行われた衆議院選挙でも、同性婚は選択的夫婦別姓制度と同じく、それに賛成しているか否かも争点となっていた。

ニュースは、東京高裁が「同性婚を認めないのは違憲」と言う判決を出した、という報道だった。色んな人にとっては大したことじゃない。だけど、僕たちにとっては大したことだった。

「結婚、いい加減できるようになりたいね」

惣吾がパンをかじりながら言った。

「そうだね」

同性婚訴訟について報道されるたびに思うことがある。僕たちが同性婚ができるようになるのは一体いつになることだろうと。

初公判から五年の月日が経ったが、まだこの国は変わっていなかった。

このままずっと、僕と惣吾は赤の他人なのだろうか。

そんなことを考えると、たまらなく悔しい気持ちになった。

「顔。怖いよ」

そんな僕の様子を見てか、惣吾が言った。

「結婚ができなかろうが俺は何年でもお前と一緒にいるつもりだけど」

「僕もそうだけど、公的に認められないのはやっぱり何かあったときに怖いよ」

「それはね。だけど今考えても仕方がない。俺らにできることは何もないから」

正しくも、諦観するようなことを惣吾は言う。

実際に、僕ができることなんて何もない。それはそうだ。だけど、今目の前にいる最愛の人との関係性が法の下で担保されないなんて、そんなの嫌だ。明日が当たり前に来るうちは良い。だけどお互い何か大きな病気をしたり、事故に遭ったりしたら?考えただけでも恐ろしい。


「要」

いつの間にか後ろに朝ご飯を食べ終えて食器を持った惣吾が居た。洗い物をしながら考え事をしていたから、気づかなかった。

「大丈夫だ」

食器を置いて、惣吾は僕の頭をなでる。

僕よりも背の大きい惣吾に撫でられると、すべてが大丈夫になったように思えた。

「ごめん」

「謝るな。それより薬ちゃんと忘れず飲めよ」

「分かった」

「じゃあ、行ってくるから」

ソファにかけてあった上着を羽織って、惣吾はリビングから出て行った。

コップに水を注ぐ。一人になった家の中はがらんとしていて、シンクに水が落ちる音だけが響く。

精神科でもらってきた薬を飲み込みながらふと思う。

いつまでこの幸せな生活が続けられるのだろうか。

今のところ、僕も惣吾も大きな病気を患ったことはない。

だけど、今のままの生活がずっと続くわけでもないだろう。考えたくはないが、どこかのタイミングで今の生活が出来なくなる時が来るはずだ。そんなとき、僕は正気を保っていられるだろうか。

ダメだ。

頭の中のぐちゃぐちゃが落ち着くまで横になっていよう。残った洗い物と洗濯物は後でやればいい。

自分の不甲斐なさに呆れつつ、目を閉じた。

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