D.N.A
「やっぱり薬物やってるんじゃねぇかな。」
缶コーヒーを手渡しながら先輩刑事が呟いた。彼は「ほら飲めよ」と笑顔を見せる。
佐々木は缶を開け、中身を口にした。苦いはずなのに無味に感じられた。さっきの話が頭から離れないのだ。
「……被害者の検死はやったんですか?」
被害者…証言が正しければ異形と化した人たち…の遺体は腐敗が激しく、傷の有無や死因は直ぐにはわからないだろう。
しかし検死で未知の寄生動物やウイルスが見つかれば、被疑者の話の証拠になる。と言うか出なければ被疑者の話はただのウソとほぼほぼ確定だろう。
「やったさ。異常なし、とな。」
「そうですか……。」
やっぱりウソだったのだろうか。宿主の死後すぐに自らも死ぬウイルスとか、遺体から寄生生物が既に出ていった、などの可能性は捨てきれない。しかしそんなものより「薬物による錯乱」の方が圧倒的に説得力がある。何より人を異形にする…「ゾンビウイルス」のようなものが見つかったことはない。
近いうちに島の森から大麻か何かが見つかって、被疑者の薬物接種による錯乱状態での犯行……などという結論になる。そんなストーリーが見えてしまう。
「おい、あんまり気にすんな。自分の心を病むほど考えなくて良い。ほら定時だ帰れ。」
先輩に見透かされていた。佐々木はそれもそうだな、と思い直し、思念を頭の隅っこに押しやった。厚意に甘えて今日は早く帰らせてもらおう。
15分後、彼は警察署を後にした。
佐々木は駅近くのファミレスでに入った。注文したのはオムライス。今日は金曜日なのもあって、少々美味しいものを食べる気になったのだ。
店内は混んでいた。友人同士や家族連れ、カップルなど様々なグループが店に訪れている。そんな中にスーツ姿の男が1人。少し場違い感もあるな、と彼は思った。
しかし今はそんなことどうでも良い。とりあえずゆっくり食事をしたい。
冷たい水が疲れた喉を潤す。1週間の疲れが洗い流されていく気がした。まだ注文したものが届いてすらいないのに。
「ふぅ〜」
ため息を吐いた。水を飲み干すと同時に、昼間のこと……例の殺人事件……が再び頭を支配し始めた。
人間が異形と化す。そして襲いかかる。
人に接触してはいけない。誰が”それ”になっているか分からない。正体が何かも分からない。
薬物中毒、もしくは精神異常にしては妙に鮮明だった。単なる妄想・幻覚ではない気がする。被疑者は本当にそれを体験した……つまり話は事実なのでは?と思ってしまう。
こんなに荒唐無稽な内容にも関わらず。
荒唐無稽だから話を疑っているのか?いや違う。自分は「話の真偽」ではなく、もっと他の何かモヤモヤしている気がする。話の筋のどこかに違和感があるというか…。
「俺はあの話を信じている…?その上で違和感を抱いているんだ……。」
あんな話を信じてしまっている以上、もはやこれは刑事としての役目でない。自分の興味で「違和感を解消したい」と思っている。
佐々木はより深く思考を始めた。
もしあの化け物に自分が直面したらどうするだろう。警官なのだから拳銃で戦うだろうか。それとも一目散に逃げるか。
松村は後者を選んだおかげで助かった。仲間を見捨ててまで、自分が生き残ることを選んだのだ。人間だって所詮生物、生物は自身の生存を最優先する。彼の行動は当たり前と言えば当たり前だ。
彼のように「逃げる」のが最適解なのだろうか。
ここにきて佐々木は「なぜ彼は逃げ延びられたのか」と気になり始めた。ただ逃げていたから助かったのだろうか。被害者には柔道経験者、野球愛好家、登山家など、被疑者以上に生き残りそうな人もいたみたいだし。失礼ながら、なんなら被疑者こそ最初に死にそうなのに……とさえ思った。
佐々木のテーブルにオムライスが置かれた。オムライスは黄色い表面からもうもうと湯気をたて、良い香りを充満させる。しかし彼はそれを無視して考え続けた。
なぜ彼は生き残った?途中で仲間を離れたとは言え、それまでは仲間と一緒に行動していたのに。
「生き残りそうな奴」が積極的に異形に戦いを挑み命を落として、結果として貧弱な松村だけが残った。その後は運良く海岸まで……というのはご都合主義すぎる。
異形には「知性」は無くとも「行動原理」はあるだろう。生物には基本行動原理が備わっているはずだ。光に向かって進む、自分より大きいやつからは逃げる、動くものを口に入れる…など。
被疑者の話から、異形には「人間を襲う」という行動原理が感じられた。人間の居るキャンプに出現した点、人を追い詰めるのに特化した形に変形(?)した点などが証拠だ。
それならば被疑者が1人で逃げたところで、既に異形と化していた誰かに襲われる確率はかなり高そうだ。
「うーーーむ。」
目の前にオムライスがあることにやっと気づき、彼はナイフを手にした。オムライスの上部にナイフを優しく押し付ける。卵黄の層に切れ込みが入り、ホカホカのご飯が姿を現した。切れ目から垂れるケチャップ。
「……。」
佐々木は思った。
怪物は人間という「皮」を纏っているのではないか、と。皮の下で隠れて中身を侵食し、自分色に作り変えていく。しかし人間の身体は脆い。作り変えられて耐えきれなくなった途端肉体は崩壊する。オムライスにナイフを刺した時のように、皮が剥がれ、中から本体(が創り出した「肉体」)が異形として現れるのだ。
つまり、人体が耐えられなくなるまで、怪物は体内に潜伏し活動している。体の隅々まで弄り、自分が適した環境に作り変え、おそらくは増殖し、他の人間を襲って同化できるように宿主の身体を改造するのだ。
細菌なのかウイルスなのか、はたまた動物なのかは分からないが、1匹でも人体に侵入すればお終い。その人の身体は奴らのものになってしまう。
1匹さえ入れれば……。
「……なんで松村は1匹も入られなかった?」
再び似た問いに辿り着く。あんなに感染力が強いのに。彼だって途中まで仲間と一緒に行動していたのに。
いや、そもそも、なぜ松村は自分が同化されていないと言えたのか。誰とも接触していないのは途中からで、それまでは普通に仲間たちと一緒に逃げていた。もちろんその仲間たちにも、その時既に同化されていた人も居る。
同化されたら自分で分かる?いやそれはない。だって彼の友人たちはなんの前触れもなく”それ”になっていった。
1匹さえ入れれば。
既に同化した人に”それ”は襲いかかる必要はない。1匹侵入した時点でその人は”それ”になる運命だからだ。
もし、松村が同化されていたなら……。
1人で逃げたのに襲われなかったのも。仲間と一緒に居たのに同化されなかったのも。すでに彼が”それ”になっていたから。
それに気がついた佐々木は血の気が引いていくのを感じた。そんな奴が人間社会に出れば取り返しのつかないことになる。ゾンビ映画の比ではない、阿鼻叫喚の地獄絵図になることは目に見えている。
彼はオムライスを近くの客に譲ると、すぐさま店を後にした。
そもそも”それ”は人間社会に進出するために、松村という男を見逃した(ように見せている)のではないか。あの島よりもっと広い餌場があると悟り、そこで狩りをするべく、松村を乗り物の代わりにするわけだ。
夜道を歩き佐々木が向かう先はガソリンスタンド。手には近くのホームセンターで買った灯油タンクが握られている。
“人狼”が留置施設に入れられている今しかチャンスはない。それに気がついてしまった俺以外にやれる奴はいない。
「灯油満タンにしてください。」
店員にそう伝えつつ、ポケットを右手で弄る。中にはマッチ箱が入っていた。
「世界を守ってみせる。」
決意と共に見上げた夜空は、どんよりと曇っていた。
ヒトガタ 佐藤特佐 @EDF-Satou
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