裏切り


◇◇◇◇◇


「こうして数十分のうちに、人間として生き残っているのは僕と鈴下さんとダイの3人になってしまったんです。広場のベンチに腰を下ろし、3人でどうするべきか話し合いました。」


◇◇◇◇◇



 人間に寄生しその身体を作り変え乗っ取ってしまう未知の生命体もしくはウイルス。寄生された人間は”それ”の影響で怪物化してしまう(同化と呼ぶこととする)。どんな見た目でどんな生態で、そしてどうやって同化してくるかすら分からない。3人で話し合った結論はこうだった。何もかも分からないということしか分かっていない。

 そう、この中の誰かが既に”それ”に同化されているかすらも……。


 そう気づいた瞬間、3人はスッと距離を置いた。


「おっ……俺は同化されてないぞ。」


「私も身に覚えない。」


「僕もだよ。」


 離れ離れに行動しても各々襲われて死んでしまうのは目に見えている。誰かが”それ”になるまでは協力するしかない。少なくとも夜が明けるまでは。



 深夜。数メートルの距離を置いて寝静まった2人をよそに、松村は見張りをしていた。押し付けられたのではない。疲れてはいるのに眠る気にならないのだ。


 遠巻きに焚き火を眺めつつ松村は思案した。”それ”の正体は何なのだろうか。怪物化してしまった仲間……タクヤとリョウコ……に何か共通点は?


 思い出すだけでも辛い。昨日まで一緒に遊んでいた親友の身体が崩れ落ち、異形になって襲いかかってくる。こんなことあって良い訳がない。しかしそんな「ありえない死」を迎えてしまった親友たちの分まで、自分は生きねばならない。生きて、この事実を伝えなければならない。

 そんな使命感と共に、彼は一つ思い当たることがあった。


「液体……。」



 思い返せば、ことの発端はウエットスーツ姿の異形だった。今にして思えば、あの異形も元は人間(多分尼さん?)で、”それ”に同化されてしまった成れの果てだったのだろう。

 そしてこのメンバーの中で最初に同化されたタクヤは、最初の異形と接触していた。彼は言っていた。「捕まえられて変な液体をかけられた」と。


 その後同化されたリョウコは最初の異形をバットでぶん殴り、その返り血をモロに浴びていた。その血が彼女の口や傷口から侵入したとしたら。



「異形の本質は液体…。触れなければ無害だとしたら。」



 結論はただ一つ簡単なことだった。誰とも接触しなければ良いのだ。

 人に会わなければ良い。触らなければ良い。そもそも液体を介して以外の方法で寄生される(例えば空気感染)のだとしても、人と対面しなければその心配はほとんど無い。



 生きたい。こんなところで死にたくない。


 彼の中で強い意志が芽生え出した。高層ビルに囲まれて生きている中で忘れかけていた野生の本能。極限状態でその本能が蘇ってきた。内なる本能に従わねば、この状況を脱することはできない。

 ならば。自分がすべきことは。自分が生き残るためにできる最善のことは……。


 彼の頭の中で悪魔が囁いた。


 悪魔。いや、彼を生かした救世主の声だったのかもしれない。




 暗い森の中を松村は1人で走った。仲間を置き去りにして。

 何度も転び、足を擦りむいた。それでも彼は走るのをやめない。岩を飛び越え、沢を渡り、丸太を乗り越えた。



 仲間と居るから同化されるのだ。仲間を置いて自分だけで行動すれば良いんだ。



 はるか後ろで鈴下の悲鳴が聞こえた。あぁ、やっぱりダイが同化されたのだろう。だってダイは風呂場でリョウコと……。

 密着すれば確実に感染するに決まっている。キスやそれ以上の行為をすれば尚更だ。



「松村くん…!」


 彼女が助けを呼んでいる。僕の好きな人が。でももう手遅れだろう。同化された人に接触すれば…唾の一滴、血液の一滴、汗の一滴ですら同化される可能性がある。

 鈴下はもう、助からない。


 会ってはいけない。接触してはいけない。戻ってはいけない。


 自分にそう言い聞かせ、松村は泣きながら走った。海岸に向けて。




◇◇◇◇◇



「気がつくと漁船に乗せられていました。海に飛び込んで漂流し、救助されたらしい。そこら辺はよく覚えてません。

仲間を見捨てて逃げてきたんですから、僕が殺したのと大差ありません。でもあの化け物が居たことだけはわかってほしい…。」


 松村はそう締め括った。



「そうか……。」


 先輩刑事はそれだけ言って、席を立った。そのまま無言で部屋を後にする。



ガシャン



 ドアが完全に閉められた。佐々木も先輩にすぐついて行けば良かったのだが、何とも思えない複雑な思いに足を止められてしまった。


 そんな佐々木をチラッと見たあと、松村は鉄格子付きの窓の外に目を遣った。


「刑事さん…。僕は正しいことをしたんですかね?生き残って逃げてきたのに、殺人を疑われてこんなザマです。こんな目に遭うんだったら…僕もあの島で、親友や恋人と一緒に、異形になって残れば良かったんじゃないかと思うんです。」


 佐々木は彼と視線を合わせた。その目に生き残った喜びは無く、果てしない虚無だけが支配しているように見えた。


「仲間を裏切った罰なんでしょうかね。」


「……。」


 佐々木は答えられなかった。

 松村の行為(彼の話が事実だと仮定すれば)は「緊急避難」として、法的には無罪となる可能性が高い。しかしそれはあくまで「法的」な話。心に蔓延るグジャグジャは一生彼の心を侵し続けるだろう。



 警官に連れられ再び留置施設に戻っていく松村の背が、ひどく小さく見えた。

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