第2話 アリと住処 ⑺

 夕方頃、産卵を終えて女王アリのオルミーは最下層の自分の部屋に帰ってる途中だった。


「ハァ、なにをしてるのだろうか」


 大きなため息を吐いた。いつもの威厳がある女王アリとは思えない様子だった。

 周りには1匹も働きアリたちはいない。全員食料と魔石を見つけるために必死に森の中を歩いてる。

 もうあの人間の子は諦めて人間の町に帰っただろうな。せめて殺して食べるべきだったんだろうと後悔していた。これだからいつも寿命を延ばすのに必死に魔石が付いた魔物の死骸を探すことになるんだろうな。

 私の寿命は本当は2週間くらいなのだが、魔石を一つ食べることで半年寿命を延ばすことができる。

 これだけ聞けば、寿命を延ばすのが簡単のようだが、実際は半年に1つ魔石を見つけられるか五分五分といった感じでいつ死んでもおかしくないような生活をしている。魔物の死骸は時々手に入るが、魔石は他の魔物にとっても寿命を延ばすものであり、人間も集めている物のため魔石をもった死骸なんてほとんど落ちていない。


 私は奇跡的に魔石を見つけることができて10年近く生きている。ここまで長生きの魔物は少ないかもしれない。他の魔物は私たちのような弱い魔物を殺して食べることができるため、人間にさえ会わなければ一生生きていける。でもそんなことをする魔物はほとんどいない。大体の魔物は次の世代に血の存続を任せて死ぬ。もちろん子供が死なない程度に成長するまでは生きてることが多い。

 でも弱いクロヤマアリの血を絶やさないためには私が生き残るのが最も良いから死ぬに死ねない。もちろん魔石が見つからなかったら死ぬしかないのだが、幸運にも見つけられている。いや、これが幸運とはいえないかもしれないな。魔物は生きていても幸せとは限らない。なぜなら人間がいるから。

 私たちにとって魔石を見つけるのがとても難しいということを理由にしたくはないが、そのせいで私以外の働き蟻たちには魔石を与えることができない。

 今の凜は地球のクロヤマアリと同じように2年くらい寿命があると考えていたが、実際は働き蟻たちは生まれた瞬間から働き2週間くらいで死んでしまう。地球の蟻と違い幼虫の過程がないのだ。


 だからこそ魔物より魔力があり、魔石よりも価値がある人間は喉から手が出るほどほしい。手に入れられれば愛しい子供達の寿命を延ばすことができる。しかし、魔物の中でも最弱を競う私たちでは本当に夢のまた夢の話なのだ。

 でもその夢が現実になろうとしていた。それなのに私はあの凜という少女を殺せなかった。いくら人間でも寝ている無防備なときなら簡単に殺せただろうに。それにあの少女は武器も持っていなかったから冒険者でもないだろう。

 私もアリの女王なのだからもう少し残虐にならないといけないと思った。それでもあの少女がもう一度来たとしても殺せる気はしないなぁと思い、自分が馬鹿らしくなる。


「まったく、これで女王アリを名乗っているとは、子供達に顔見せできないな、ギギ」


 自嘲するように声を発する。

 でもあの顔を見たら殺せない、私たち魔物に対してあんなに悲しんでくれるんだから。人間はいつだって私たちのことを見ていない。頭に付いている魔石しか見ていない。だから私たちを見て、触れて、私たちのことを考えている少女のことは殺せない。


「これだから私たちクロヤマアリは弱いのかもな」


 そんな言い訳を並べながら部屋に戻った。

 部屋に入ると同時に帰ったと思っていた少女は走って近づいてきた。呼ぶなと言った名前を叫びながら。


「オルミー、良い作戦思いついたんだけど手伝ってくれない?」

「え、あ」


 予想外の事態で驚いてしまった。目の前にはとても笑顔ではしゃぐ少女がいた。


「ど、どうした、人間」


 今まで他の者の前では女王として威厳ある行動をしてきたのに、この少女といると思考が鈍くなる。


「えっとね、……」


 目の前の少女は目を輝かせながら作戦を話してきたが、魔物に向けられるはずがない優しい顔を向けられたせいで話が入ってこなかった。

 やっぱり彼女を、凜を殺さなくて良かった。たとえ人間だとしても凜だけは違うと確信できた、この顔を見たら。

 そんなことを考えていたら凜が話すのをやめた。


「協力してくれる、オルミー?」


 久しぶりに自分の名前を呼ばれた気がした。私は子供に名前をつけない。自分の名前も呼ばせない。すぐに死んでしまうから。

 私は毎日のように卵を産む。生まなければすぐに働き蟻たちがいなくなってしまうから。毎日、毎日、毎日すぐに死んでしまう子供を産む。そして、毎日、毎日、毎日子供達が死んでしまう。私が子供達に魔石をあげないから。

 私は子供のことをできるだけ考えないようにしている。考えたら心が持たないから。

 私は子供に命令以外では話さない。会話が記憶に残ってしまうから。

 私は子供と一緒にいない。産卵のときも一人、寝るときも一人。顔を覚えてしまうから。

 私は名前をつけないし、呼ばせない。これから生きていけなくなるから。

 私はクロヤマアリの血を絶やすわけにはいかない。生きていかなければならない。

 母も同じだった。しかし母は私にだけは名前をつけてくれて名前で呼んでくれた。一度私の名前を呼んで動かなくなった。私は母を食べてお腹を満たした。


「ああ、いいぞ」

 威厳がある声に戻った。


「じゃあ働き蟻を全員集めてくれる?」

「分かった」

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