第1話 アゲハと異世界 ⑴ 興奮なんて・・

 私は異世界に転移したようだ。アニメで見たことがあるので別に驚くことは無かった。私はもう70歳の老人だ、こんなことで慌てるような年齢でも無いし、興奮することも……


 私の方に薄い黄色の羽に黒い線がたくさん入っていて、前翅の根元に黄色と黒のしましま模様があるナミアゲハが近づいてきた。ここは異世界ではないのかと思ったが、アゲハが近づいてきて気づいた。目の前にいるアゲハは20センチくらいの大きさで、さらに頭らへんに赤く輝く石のような物が埋まっていた。


「えっ、し、新種!!」


 私はダッシュでアゲハに近づき観察した。

 めっちゃ興奮していた。まるで子供が新しいおもちゃをもらったときのようにはしゃいでいた。

 目の前のチョウは、大きさと頭の石以外は地球にいたアゲハ(ナミアゲハ)と同じだった。


「やっぱり、このチョンっとでた尾状突起が可愛い!あと後翅の紺色の斑点模様が絶妙に良いんだよね」


 自然と口から大きな声が出た。地球にいるときはずっと一人でいたから独り言が習慣化していた。

「異世界転移で早々にナミアゲハを見られるとは幸運だな」


 アゲハは幸運や変化の象徴であり、アゲハ蝶が寄ってくるのは幸運が訪れる前兆を意味している。今回は自分から近づいた気がしなくもないが、異世界転移して初めにアゲハが目に入ってきたのだから近づいてきたと言っても良いだろう。正直未知な生き物を見られただけで私は幸運だ。


『アゲハのスピリチュアル

 (昆虫にはスピリチュアルなメッセージを持っていると言われている)

 アゲハは昔から神秘的な存在とされていきた。アゲハは幸運、変化、再生の象徴とされている。

 さらにアゲハの色事にも意味がある。

 黒のアゲハ:大きな変化が訪れる吉兆

 黄色いアゲハ:仕事などの成功で金運上昇

 オレンジのアゲハ:元気や勇気を与えてくれる

 緑のアゲハ:復縁などの再生のチャンスを知らせてくれる

 他の色のアゲハもいるがここでは省略させてもらう』


 10分近く観察して一息つこうかと思ったときに気づいた。

 なんで70歳の私があんなダッシュできたんだ?あとなんか視線がいつもより低い気がするし、声も高い。

 私は自分の体を見ると、手の指が小さい、腕も短い、足も短かった。顔も触れてみるがしわの一つも無かった。まるで子供だった。大人というか老人の私もかなり小柄な方だったけど、子供の時はさらに小柄だった。

 隣に水たまりがあったので上からのぞいてみると私が子供だったときの顔がそこにはあった。多分だが6歳くらいだろう。自分で言うのも恥ずかしいがかなり可愛い。髪はショートで丸顔でおでこが広めで目が大きい。簡単に言えば童顔である。まあ6歳なのだから当然と言えばそうなのだが、私は大人になっても童顔で可愛かった。まあ下等生物である人間に興味が無かったから可愛くても良い事なんて無かったけど。

 まあここまではアニメでも見たことがあるから驚くことは無かった。アゲハに似た生き物を見たときの方がよっぽど驚いたし興奮した。


 問題は服装と持ち物だった。

 服装は子供の時に一度だけ着たことがあったゴスロリ衣装と呼ばれる物になっていた。最近の5年近くはアニメを見ていたからこういうヒラヒラがたくさんある派手な服を見る機会がたくさんあったが、もちろん老人の自分では着ることは無かった。さすがに童顔とはいっても70歳の私は皺がありそんな服装を着られるはずも無かった。もちろん着たいとも思わなかった。

 でも今の見た目なら似合っていたが、子供になったとはいえ精神年齢はおばあちゃんの自分がこの衣装を着るのは恥ずかしい。


 そして手には昆虫の標本を入れるための標本箱を持っていた。これは昆虫好きなら良いじゃないかと思うかもしれないが、これだけでは昆虫を保管できないのだ。

 標本作りには硫酸紙、展翅板、展翅テープ、虫ピン……などたくさん必要なのだ。そしてピンの大きさにもたくさん種類があり、きれいに標本を作るには妥協できないのだ。まあ昆虫好きでないひとには分からないだろうけど。

 なんで標本箱しか持っていないんだ?という疑問が浮かんだがとりあえず周りの状況を確認しようと思った。今のところ目の前のアゲハのような生き物に夢中でどこにいるのか全く分かっていなかった。


 目の前には中世くらいの町だろうか、木と石でできた建物に地面は土そのままで、道の端には露店がある。地球にいたとき生き物のことばかり調べていたせいで、町並みがどんな感じか説明ができない。まあ簡単に言えばTheファンタジー世界といった感じで、酒場とか冒険者ギルドがあるような見た目だ。正確な大きさは分からないが、かなり発展している大きな町だと思う。

 そして後ろには平原が広がり、すこし離れたところには広大な森が広がっていた。

 私は町の入り口付近に立っていた。

 目の前の町の入り口には門番のような人はいないので普通に町には入れそうだ。たぶん治安がいいんだろう。


 周りの様子を確認して絶望して膝をついた。この世界には多分だが、標本を作るための道具が無い。この右手に持つ標本箱は使うことがないだろう。


 なんで標本セットみたいなやつを持ってないんだよ!

 神様かしらないけどここに転移させた誰か、標本についてもっと勉強しといてくれよ!


 そんな不満を空に向かって叫んでみたが何も起こらなかった。いや、分かっていたよ、これで標本のために必要なものが落ちてきたりするなんて1ミリも思ってなかったよ。

 都合良いアニメもあったじゃん、なんでここは都合良い神様がいないんだよ、なんて思ってないよ。私は70年も生きてきたんだから。まったく……



 なんか悲しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る