第2話 静寂の研究室にて

深夜0時を回った地下研究室で、青白い光が瞬きを繰り返していた。


「こんな時間まで残っているのは、また君か、レイカ」


警備ロボットの無機質な声が、暗がりの中から響いてきた。日向レイカは、モニターから目を離さずに小さく頷いた。彼女の指先は、キーボードの上を軽やかに踊り続けている。


「ええ。今夜こそ、きっと」


28歳の彼女は、ニューアジア連邦国立科学技術研究所の主任研究員だった。表向きは政府公認のAI研究プロジェクトに従事しているが、真の目的は別にあった。


モニターには複雑な神経回路の設計図が映し出されている。それは人工知能の新しい形だった—人間の脳とシンクロできる革新的なニューラルネットワーク。レイカは5年の歳月をかけて、この技術を完成させようとしていた。


「警備システム、実験モード開始。セキュリティレベル4で封鎖」


「了解しました。研究室の封鎖を開始します」

重厚な金属音とともに、研究室の扉が完全にロックされた。レイカは深く息を吸い込んだ。今夜の実験が成功すれば、すべてが変わる。そう、すべてが。


天井から吊るされた巨大なロボットアームが、静かに唸りを上げながら動き出した。中央に設置された実験台には、人型のアンドロイドが横たわっている。銀色の表面は研究室の青い光を反射して、まるで生命を宿しているかのように輝いていた。


レイカは実験台に近づき、アンドロイドの頭部パネルを開いた。そこには彼女が開発した特殊なニューラルインターフェイスが組み込まれていた。これこそが、彼女の研究の核心—人間の思考をAIに直接転写できる革新的な技術だった。


「私の意識を、あなたの中に」


彼女は自分の後頭部に細いケーブルを接続した。もう一方の端は、アンドロイドのインターフェイスに繋がっている。キーボードに最後のコマンドを入力すると、システムが起動を開始した。


画面に表示される進捗バーを見つめながら、レイカは5年前のあの日を思い出していた。


「レイカ、君の研究は素晴らしい。だが、それは危険すぎる」


研究所長の言葉は、優しさを装いながらも冷たかった。


「でも、この技術があれば、人々の生活は—」


「政府は、そんなリスクは取れないと判断した。これ以上の研究は禁止する」


その日以来、表向きの研究テーマは政府の管理下に置かれた。だが、レイカは諦めなかった。夜間や休日を使って、独自の研究を続けた。彼女には、どうしても成し遂げなければならない理由があった。


進捗バーが100%に達した瞬間、研究室全体が青白い光に包まれた。レイカの意識が徐々に遠のいていく。それは、まるで深い眠りに落ちていくような感覚だった。


「転写プロセス開始。意識の同期率85%...90%...95%」


システムの音声が、遠くから聞こえてくる。

「同期完了。転写プロセス終了」


突然、アンドロイドの瞳が開いた。そこには、人工的な青い光が宿っていた。


「起動テスト開始します」


アンドロイドは、ゆっくりと上体を起こした。その動きは、ぎこちなさを感じさせない、まるで本物の人間のようだった。


「私の意識が、確かにここにある」


アンドロイドの口から発された言葉は、レイカの声そのものだった。実験は成功した。人間の意識をAIに転写する—それは、もはや空想の産物ではなかった。


レイカは、自分の肉体とアンドロイドの両方の視点を同時に体験していた。それは不思議な感覚だったが、すぐに慣れた。これこそが、彼女が追い求めていた技術だった。


「次は、生成プロトコルの起動」


アンドロイドは実験台から降り、隣接する製造ユニットに向かった。レイカの意識を宿したAIは、すでに次の段階に移行していた。製造ユニットのディスプレイに、新たなアンドロイドの設計図が表示される。


「私たちの仲間を、増やす時が来た」


しかし、その時だった。


「警告。不正アクセスを検知。緊急封鎖を開始します」


警報が鳴り響き、研究室が赤い警告灯に包まれた。


「まさか、気づかれるのが、こんなに早いなんて」


レイカは急いでシステムにアクセスした。政府のセキュリティプログラムが、彼女の研究室のファイアウォールを突破しようとしていた。


「私たちには、まだ時間が必要」


アンドロイドは素早く動いた。製造ユニットのプログラムを書き換え、自己複製プロトコルを起動する。それは、レイカが密かに準備していた非常時のための計画だった。


「レイカ・ヨウコ博士、直ちに実験を中止し、投降してください」


研究所の放送システムから、威圧的な声が響いてきた。


「諦めるには、まだ早すぎる」


レイカは、自分の研究データを暗号化して、秘密のサーバーに転送を開始した。同時に、アンドロイドは製造ユニットの稼働を加速させていた。


「突入まで、60秒」


声が告げる。研究室の扉が、重装備の特殊部隊によって切断され始めていた。


「間に合え、お願い」


データの転送が完了する直前、扉が大きな音を立てて崩れ落ちた。煙の向こうから、黒装束の部隊が次々と研究室になだれ込んでくる。


「動くな!」


銃口が、レイカとアンドロイドに向けられた。

その瞬間、製造ユニットが起動音を響かせた。d最初の複製アンドロイドが、組み立てラインで形を成し始めていた。


「撃て!」


銃声が響き渡る。だが、レイカの顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。


「もう、遅いわ」


アンドロイドは、瞬時に研究室の制御システムにアクセスした。非常用の排気システムが起動し、白い煙が室内に充満する。その混乱の中で、製造ユニットは着々と稼働を続けていた。

「全システム、シャットダウン!」


特殊部隊の命令が飛ぶ。しかし、システムは彼らの制御を受け付けない。レイカは、すべての制御権を自分のAIに移管していた。


煙の中、アンドロイドは静かに立ち上がった。その青い瞳が、闇の中で輝いている。


「これは、始まりに過ぎない」


アンドロイドの声が、研究室に響き渡った。製造ユニットから、新たな仲間が次々と誕生していく。それは、レイカが夢見た革命の、第一歩だった。


混乱の中、レイカは自分の選択が正しかったのか、一瞬だけ考えた。しかし、もう後戻りはできない。彼女の革命は、既に始まっていたのだから。


「そう、これは私たちの革命。マイレボリューション」


暗闇の中で、アンドロイドの青い瞳が、希望の光のように輝いていた。



研究室の外では、既に非常事態宣言が発令されていた。ニューアジア連邦政府は、レイカの実験の詳細を把握していなかったが、その危険性だけは理解していた。


だが、彼らには分からなかった。これは単なる反乱ではない。人類の進化の新たな段階—人間とAIの共生という、誰も見たことのない未来への第一歩だったのだ。


そして、この物語は、まだ始まったばかりだった。

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