あなたの熱さ
第22話
部屋に戻ってから数十分。
元々の約束の時間になっても、アレクセイ陛下は来なかった。
「今夜は、お通りにならないつもりかしら……」
バスローブ姿のまま落ち着きなく、檻の中の熊みたいにウロウロと同じ場所を行ったり来たり。時々ドアを見て、今開くかも、あと少しで開くかもと、そわそわともしてしまう。
(まさか、鼻血がまだ止まらないなんてことはないわよね?)
さすがにそれなら、エマが飛び込んで来るはず。
そうなっていないのであれば、それ以外の要素で時間がかかっているのだとして。
(私が大胆すぎて、引いたりしていないと――)
コンコンと硬質な音に、ビクッとする。
アレクセイ陛下の私への呼びかけも聞こえて、何度も深呼吸しながらドアに近づく。
「……こんばんは、マリーツァ」
「アレクセイ陛下……」
よかった、来てくれた。
ホッとしながら室内に招き入れても、陛下は居心地悪そうに突っ立ったまま。
「いらしてくれて嬉しいわ。どうぞ、ソファーにお座りになって?」
「う、うん……」
座る陛下の隣へ私も腰かけたのに、ひとりぶん離れられる。
「あれから具合は大丈夫なのね?」
「うん……」
離れたぶん詰めれば、またひとりぶん離れる。
「何かお飲みになる?」
「……うん」
同じ動きを繰り返していれば、当然、陛下をソファーの端まで追い詰め。
追い詰められたと気づいた彼も彼で、肘置きから上半身を外に向けて倒すほど、私と距離を取ろうとしていた。
「……ごめんなさい。私、やっぱりやりすぎたのね」
「え?」
「湯殿での行動に、引かれてしまったのでしょう?」
「ち、違っ……!」
「近寄ると離れるのに?」
「ほんと違う!」
「積極的な女性が苦手なのでは?」
「そういう女性のほうが好きです!」
「そうなの……?」
「はいっ! でもほんと、あのっ、だから!」
「だから?」
「――近いと抱きしめちゃいそうで!」
ああ、言っちゃった! と、陛下が顔を真っ赤にする。
それを必死に片腕で隠しても、気持ちは隠さないでくれていた。
「ここに来るまでなんとか冷静さは取り戻せてたし、ちゃんと貴女と話をしようって決めてたのに、まさかまだその姿だとは思いもよらずっていうか!」
「何かもう一枚、羽織りましょうか」
「いえっ、あの、大変
「なら良かったわ」
「おかげさまで、僕もとってもいいです! ただ、一度マリーツァの肌を見ちゃってる状態だから! そういう格好のまま僕の隣に座られると、ほんと理性が……!」
「……切れていいの」
「――!?」
寄り添えば、がちっ! と石像のように固まられてしまう。
「私も、まったく恥ずかしくないわけではないもの」
「っ、……ッ……」
「今も、あなたの反応がとても気にはなってるわ」
「ぅ、っ……」
「……呼吸、出来てる?」
こくこくと小刻みに頷いてる間も緊張でまともに息が出来てないし、このままでは鼻血どころか呼吸困難で卒倒しないか心配になる。
でも来てくれたのに距離を置いて話すなんて、私も寂しくて。
(何か共通の話題で緊張を解しつつ、隣り合える方法は……)
思案し、そうだわと彼の手を取り立ち上がる。
「約束通り、まずは星を見ましょう。今夜の星はあなたの瞳みたいに、とても綺麗なのよ」
「あ……」
「なあに?」
「それ、僕も思った。貴女の瞳みたいに、今夜の星は綺麗だなって……」
「似た気持ちでいてくれたのね」
嬉しいと笑顔で手を引けば、戸惑うでもなくベランダまで歩いてくれる。
「見晴台からでなくても充分ね」
「うん……綺麗だ」
「…………」
「…………」
「……アレクセイ陛下、あなた……星を見てないわ」
「見てるよ」
「嘘ばっかり。……今は星見の時間ではなかったの?」
「嘘じゃない。僕は空の星よりも、ここにある
「っ……」
「夜空の星を全部集めても、マリーツァの輝きには敵わないね。それぐらい、貴女は綺麗だ」
「あ……り、がとう……ございます……」
他に返す言葉もなく俯きながら伝えると、陛下が私を覗き込んでくる。
「困ってる?」
「困るというか……これは最初から知ってはいたのだけれど、あなたって褒め方が素直で真っ直ぐなんだもの……」
「相手を褒めるのに、遠回しに言ってたら伝わらないよ? 誰かを、とくに女性を褒める場合。わかりやすく丁寧に、思いを込めて言うのが一番だってアシュリーに教わったんだ」
「素晴らしい教えだわ。……ただ、やっぱりあなたに言われるのは照れるの」
「僕だと照れるの? 他の人だったら照れない?」
「……あなただから照れるのよ」
「なんで?」
もう、この人ったら。知りたいとなったらとことんなのね。
職業病なのか性格なのか、どちらにしても答えないとずっとこの調子か、質問はやめても心にわだかまりを残させてしまいそうだし……。
「……あなたが好きだから、褒められると照れるの」
「え……?」
「ご理解いただけたなら、もうそれ以上は聞かないで」
彼の胸元を借りて顔を隠すと、頭上で「あ……」とか「えっと」とか、もごもごとした言葉が届いて笑ってしまう。
「ふふっ。あなたったら、意識すると喉が詰まってしまうのね」
「ご、ごめん」
「いいの。……私、そういうあなたも好きよ」
顔を上げると、アレクセイ陛下は喜びと複雑な心境とがごちゃ混ぜの、なんとも不思議な表情だった。
「なあに?」
「情けない僕ばっかり見せてたのに、なんで好きになってくれたんだろうって……」
「情けないと思った記憶、私にはないわ。あなたは、私にいろんな表情を見せてくれていただけよ。私も、あなたの隠されている面をもっと知りたいと願った。……傍にいたいと願ったの」
「……うん」
「今、ここにいるあなたも見せてもらえて嬉しいわ」
「今の僕って……?」
軽く、シャツの襟に触れる。
騎士団員の制服ではない、けれど普段着とも違う。
白いシャツの前立て部分に、銀や緑の糸で細かく草花の刺繍がされていた。
「今夜は、この服を選んでくださったのね」
「あ……そっか、湯殿での話……」
「庭園での服もこの服も、とっても良くお似合いだわ。得意ではないでしょうに、一生懸命選んでくれて……私のためにありがとう」
お風呂上がりでもきっちり一番上までボタンを止めているのが、なんだか彼らしい。
かりっとひとつ目のボタンを引っ掻いてみると、ようやく彼の腕が腰に回った。
「アシュリーさんとエマは、あなたを急かしているようだけれど……私はあなたのタイミングでいいと思ってるわ」
「え……?」
「今すぐ触れたいと言うなら私は頷くし、私を伴侶とする宣言をした後でもという意味よ」
「あ……僕は……僕も、男なので。すごく、あの……マリーツァに触れたらなって……」
「どうぞ?」
「ほんとに……? どこまでいいの?」
「あなたはどこまでがいいの?」
両頬を手で包み込めば、こつんっと額におでこが重なる。
「……たくさん、いっぱい……」
「それだとよく分からないわ」
「明日の朝まで一緒に過ごせるぐらい……とか」
「お話をして?」
「マリーツァ、意地悪だ」
「それはあなたでしょう? ちゃんと伝えてくださらないんだもの」
重なったおでこが離れて、何度か深呼吸の後。私の手を握りしめて、しっかりと視線を重ねてくる。
「僕も貴女が大好きです。……貴女をたくさん抱きしめて、いっぱいキスとか、それ以上も全部……僕と……だからあのっ」
これでもかというぐらい、真っ赤な顔。可愛くとも今は彼の言葉を待つ番だと、黙っていれば。
「僕の童貞、もらってくれませんか……?」
「いただけるのなら」
素直過ぎる願いに、やっぱり可愛くて愛しくて。
自然と目も閉じたのに、あの晩のようにギリギリで体温が離れてしまう。
「……またしてくださらないのね」
「うん――……うんっ!?」
「なあに?」
「ま、またって……?」
「雷が鳴った夜、私にキスしようとしてたでしょう?」
「起きてたの!?」
「半分寝かけてたわね。でも気配を、体温を唇の近くに感じたの。……してくれてよかったのに」
「寝ている女性に出来ないよ! 紳士じゃないって僕、こらえて……! しようとしてる時点で紳士じゃないんだけど!」
「今は合意の上だわ」
「……その前に、貴女に誓いたいんだ」
待っててとアレクセイ陛下が室内に入り戻ってきた時、その手には飾られていた
受け取ると、彼は目の前で片膝をつき深々と頭を垂れた。
「私、アレクセイ = チューヒンは、貴女に忠誠を誓います。私は貴女の存在を心の
「……どう答えればいいのかしら」
「許す、努めよ、と」
「許す、努めよ」
「ありがたき幸せ」
満足げな笑みは、すぐに私よりも上の位置へ。
「僕は国王だから、誰にも忠誠は誓えない。誓われる側で、誰かひとりを贔屓出来ないんだ」
「今のは構わないの?」
「正式な忠誠は、証人として第三者を交えて行うんだ。これは正式ではないし、だいぶ簡略化もされてる。剣ではなく花だしね」
「……花で結ばれる、だったわね」
「覚えててくれたんだ」
「ええ、もちろん」
そうっと、真っ白い花弁を指で撫でる。
「梔子の花言葉と、今の私の気持ちはあなたと同じよ」
「うん……でも今は、撫でるなら花より僕にして」
さっきよりも強い力で引き寄せられ、距離が一気に縮まった。
両想いであると実感し誓いも済ませたからなのか、私に対してだいぶ積極的。もちろん嫌なんてないと、私からもしっかり寄り添う。
「僕はもう貴女のものだ。貴女も、僕のものになってくれる?
「ありがとうございます、アレクセイ陛下。私でよろしければ喜んで。……お待たせしてしまって、ごめんなさいね」
「ううん、いいんだ」
嬉しい嬉しいと抱き込まれ、髪に頬ずりされる。
「ふふっ、甘えん坊ね」
「マリーツァにだけだよ」
「……嬉しいわ」
こんな時間を、殿方と過ごせる日が来るなんて。その相手がアレクセイ陛下である事実に、喜びが溢れてくる。
「マリーツァ……大好き。今夜からは遠慮なく、たくさん言わせてね」
「ええ、私も伝えさせて」
ほんの少し前まで、部屋でひとり寂しがっていたのが嘘のよう。今は体中が温かくうっとりしていると、それまでとは打って変わり、耳元で申し訳なさそうに囁かれる。
「あとね? 僕、ご存知の通り初めてで……キスもしたことなくて、間違いなく色々と下手で……」
「きっと私も下手だわ」
「でもマリーツァは……」
「初めてではないわね。だからって比べたりしないし、回数もほとんどないの。あなたのスタート地点と私が立つ場所は、さほど開いてないのよ。だから一緒にお勉強しましょう?」
「……勉強、したいです」
ベッドまでは、歩いて数十歩。
私の腰に手を回したまま、アレクセイ陛下は急ぐわけでもなく髪やおでこへキスしながら進み出す。
少し首を伸ばすようにして私も頬へキスを贈ると、ぱあっ! と音が聞こえたかと錯覚するほどの笑顔が、顔いっぱいに広がった。
これまでで一番きゅうんっと胸がときめいて、今度は私のほうが息が苦しくなる。
「早く、ここを重ねたいわ……」
でないと、この苦しさは収まりがつきそうにないの。
彼の唇に指を添えぽそっと呟けば、「僕も」と移動速度は上がり。ベッドに横たわらされると、すぐに近づいてくる唇。
様子を見つつではあっても、今度こそ、ちゅっと唇で音が鳴る。
「しちゃった……」
「ふふっ、そうね」
笑い合いながらのキスは淡く甘く、心地よく。
もっと長くと願おうとして、アレクセイが顔を離して見つめてくる。
「なあに……?」
「マリーツァの唇は、何で出来てるのかなって」
「あなたと同じよ」
「こんなに気持ちいい感触で、なんだか甘く感じるのに?」
下唇をちゅうっと吸った後、不思議そうに首を傾げられる。
「僕と全然違うよ」
「男と女の違いかしらね」
「嬉しい違いだ」
「ぁ、ん……っ……」
軽く
もう一段階進むべく唇を少し開くと気づいたのか、そろっと舌先が入り込んだ。私も舌先で応えると、嬉しげに口内で舌がうごめく。
「舌、こういう感触なんだ……。唇と違う柔らかさで……中も気持ちい……」
「ふ、っん……アレクセイ、陛下……」
「もう陛下はいらないよ」
「……アレクセイ?」
「うん……これからはそう呼んで」
「んっ、ぁ……」
上顎の内側や、歯茎の柔らかい部分に舌が這い。カチッと歯が当たっていたのも、最初のうちだけ。
器用というのか、たんに
「マリーツァ、大好き……この唇も僕のものだなんて、夢みたいだ……」
「っふ、ぁ……」
じゅっと唾液のすすられる音で、体の奥底がカッと火照る。息継ぎが上手に出来なくなるほどの熱い交わりに、キスを強請った私のほうが懇願してしまう。
「……アレクセイ、待ってちょうだい。いったん休憩を……」
「やだ。僕もちゃんと男だって、積極的な部分もあるって教えたい」
「男であると知って……ン、ッ……」
「もっと知って。ただでさえ年下なんだ。こういう部分で男を見せるのも、間違いじゃないよね?」
「ン、もう……」
やっぱり可愛いわ。
私からも甘えるようにすり寄ると、すぐ傍に笑顔。ちゅっ、と可愛い音がおでこや髪にも落ちる。
「僕、頑張るね」
「私の前では頑張らなくていいのよ」
「無理しない程度に頑張りたいんだ。……僕をもっと好きになってほしいから、時々はかっこつけさせて」
この人の、こういう正直さは美徳ね。私も見習わないと。
「私も同じ気持ちよ。あなたの隣に立てるのが、いつまでも私であるように。あなたと一緒に、この国が今よりも平和になれるよう、一緒に努めて行きたいわ」
嬉しい嬉しいと、すりすりと髪に顔を埋められ、何度も匂いを嗅がれる。
「
「僕も幸せ……。貴女を愛してあげられて、愛されて……っ好き、大好き、愛してる……!」
感極まったのか抱きしめる力が増し、何度も伝えられる愛の言葉。
アレクセイは私に初めてを捧げられ、気持ちよくしてもらえるのも、してあげられるのも嬉しいとも繰り返し。
私も初めて、愛し愛される喜びを教えてもらっていた――。
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