第15話

「……エマ。良い姉を持ったと感謝するといい」

「はっ」


 片膝をつき、深々と頭を下げるエマに目もくれず。私とも視線を合わせないまま彼は市場の奥へと歩き出し、アシュリーさんもすぐにそれを追う。

 残されたのは、ただただ悲しい罪悪感。


「……ごめんなさい、エマ。考えなしに駆け出したせいで、貴女に迷惑を……」

「考えなしではございません。安全であるとわたくしが伝えた後であり、陛下を心配してのこと。そして、お姉様が陛下の許しを得てくださったのです。今のわたくしは、なんら問題ございません。というより、あの状態の陛下の怒りを押さえられるとは……正直驚きました」

「なぜ?」

「お姉様もご存知の通り、普段の陛下は大変穏やかな方です。国王としてその穏やかさはいかがなものかと心配になるほどなのですが、この国の平和を乱す不穏分子や命令に反した者に対しては……アシュリー様の言い方を真似するのであれば、えげつなく切れる、です。そうなった陛下を落ち着かせるのは至難しなんわざなのですが……こんなにも早く、冷静さを取り戻してくださいました」

「私は正直に伝えただけだわ」

「それが出来る者は少ないのです。陛下の許しを得たいがため、自分のを認めず誰かのせいにする者が多くいます」

「そのたび、先程の彼が現れるのね」

「決して、私的な感情だけで動いてもいません。守る相手がお姉様でなくとも、陛下は同じような行動は取られました。ですのでどうか、ご自身を責めないでください。どうしても責めたいというならば、わたくしを責めてくださればいいのです」

「貴女も悪くはないのに出来ないわ。……ただ、謝罪をしたいの」

「お姉様が謝る必要はないのです」

「…………」


 もう一度、彼らの進んだほうを見る。

 と、今の騒ぎも周囲の人たちは目の当たりにしているからか、どこか気まずそうに視線をそらされた。


(申し訳ないわね……)


 せっかく落ち着いたというのに、こんな騒ぎを起こしてしまった。

 せめて、彼らには謝罪をすべきだわ。

 エマに気持ちを伝えようとしたところで、様子を伺っていた中でも高齢な方たちが近づいて来る。


「わたくしどもに何か御用でしょうか」

「エマ様、突然すまんなぁ……。その……」


 ちらり、その場の全員が私を見る。

 そっとエマの腕に手を添えれば、私の前から横にズレてくれた。


「皆さま初めまして。私はエマの姉、マリーツァと申します。……騒がしくさせてしまい申し訳ございません。これは私のせいです。どうか――」

「ああ、ならやっぱりだ!」

「よかったわぁ……!」

「よかった……ですか?」


 お怒りや心配の言葉を向けられるのではなく、感動と感激の言葉を贈られつい聞き返してしまう。


「アレクセイ様が女性を連れて城下町に現れるなんて、初めてのことでしてなっ。もしや噂の方ではと、話しておったのですよ!」

「まさかエマ様のお姉様が、陛下の伴侶になられるとはねぇ。これもご縁というやつかしらっ」

「いえ、それは……」


 まだ何も決まっていないと訂正しようにも、興奮からか誰にも私の声は届いていないようだった。


「これでわしらも、安心して死ねるってもんじゃよ」

「死ねるだなんて、そんな……。まだまだお元気で、長生きしていただきたいです」

「ありがとうございます。ですが儂らもご覧の通り、もういい歳でして」

「腰だってこんなに曲がってしもうた。……が、この歳まで生きられるとも思っておらんかった」

「平和になったこの国で、毎日夢ではないかと思うぐらいの幸せを、陛下は与えてくださる」


 ああ、そうだわ。

 この年代の方たちは、前王までのつらい時期を生きて……。


「でもねぇ……。陛下は国の幸せを望んでも、自分の平和は望まれないでしょ? それじゃアタシらも、先立ったみんなにどう報告していいか……。最近は、もっぱらそればっかり話し込んでるのよ」

「今の若い子らは平和しか知らんが、儂らぐらいの歳のもんは鮮明に覚えておるんだよ。この国の、混沌としていた時代を。毎日、諦めて生きていた頃を」

「陛下はな。新しく生まれ変わったここで、正しく生きさせてくださる。そうして年老いた順から死んでいく。それが正しいことだとおっしゃる」

「あの方は優しい。俺のような下々の者でも、ちゃんと名前を覚えてくれてましてね。この間は杖が折れたのを知って、自分で作ったと新しい杖まで持ってきてくださった」

「子供が生まれれば、おめでとう! と、お祝いの品まで届けてくださってなぁ……」

「小さな命が育つのが嬉しいと、子どもたちと一緒に遊んでもくれるのよ。自分もこんなふうに遊びたかったから、と言ってね」

「どうかもう休んでくれと願うが、僕はまだまだだ頑張らないと、と笑顔でおっしゃるしなぁ」

「せめて伴侶がいればと願い続けて、ようやくだ」


 誰もが彼を心配しているのが伝わったからこそ、私はまだ伴侶ではないと訂正が必要なのに、その場の全員が私に口を挟ませてくれない。

 それを意図してやっているのだと知れたのは、続く言葉でだった。


「どうか、さっきの陛下を怖がらんでくれ。エマ様とマリーツァ様が悪いとは儂らも思うておらんが……あの方は、アシュリー様も、罪は罪であると教えねばならん立場でもあるんじゃよ」

「誰も、あの陛下を恐ろしいとも言わん」

「でもね? 私たちも、ああいう陛下が表に出る回数が減ってくれればいいとは願ってるのよ」


 たくさんの優しい目が私を見つめ、続く言葉も優しい声色こわいろのままだった。


「あのな。……儂らの子供は、革命で死んでしもうた」

「自分よりも年下の少年が剣を取り戦うと決めたのに、じっと隠れてはいられんと自ら志願して陛下の隊に入った。俺たちは、それを止めなかった」

「すでに結婚し、子供が生まれたばかりの息子を送り出した親もおったが……」

「国葬をしてくださった陛下は、泣いてくださったのよ。ごめんと。全部を守れなくて、とねぇ……」

「覚悟はしておったが……悲しいもんは悲しい。けれど今、この国を見ればな。息子が作った国でもあるとほこれるよ」

「アレクセイ様もアシュリー様も、革命を起こしてくれた方々みんなが覚悟を持って挑んでくださった。自分らで罪を背負う覚悟でだ。……俺たちのように、大事な人を失ってもいる。そんな人たちを恨めんよ」

「だからこそ、アレクセイ陛下には幸せになってほしいんじゃよ。自分ばかりを責めんでほしくてな」

「それだけが、今の私たちの願いなのよ」


 ぺこりとお辞儀をして去りかける人たちに、何か言葉をと口を開いて出てきた言葉は。


「ありがとうございます」


 という感謝の言葉と、深々としたお辞儀だけ。

 皆さんも笑顔で、「こちらこそ」の返事と態度を残してくれた。


「……アレクセイ陛下はご存知なの?」

「しっかり届いております。なにせ今のように、見回り中の陛下を捕まえては必死に伝えてくださっておりますので」

「その時の彼は……」

「いつも困った笑顔で、うん、分かった、とだけを」

「見える平和の底の部分にある悲しみを、彼は引き受けているのね」

「アシュリー様もです。あの方も、陛下が全部を受け止めてしまわないようにされております。わたくしは、そのアシュリー様が背負っているものが軽くなるようお手伝いしたくもあり、伴侶になりました」


 私にもそれは出来るの?

 午前中の訓練所での騒ぎも、今の出来事に比べれば些細なもので。

 彼の側室そくしつに、伴侶になるとは、こういうことも受け止めるのだと覚悟は出来る?


「似た言葉の繰り返しになりますが、お姉様は難しく考えずにいてください」

「そういうわけには……」

「わたくしは盾となる約束もしております。ですがこれは、騎士であるからです。普通の女性がそこまでは無理なのです。……傍で抱きしめて差し上げる。それだけでも陛下には、充分力の抜ける時間を得られます」


 不意に、冷たい風が私たちの間を流れていく。見上げた空は変わらず青空でも、山の上に暗雲が立ち込め始めていた。

 その暗雲の中が微かに光り、気づいた店の人たちもどこか慌て気味に店じまいを開始。


「急ぎ戻ります」

「ええ……」


 城に戻り一日の汚れを落として部屋に戻ると、雨は降っても通り雨程度だったのか、今は止んでいた。

 にも関わらず、まだ雷鳴が遠くから聞こえて少し不安になっていると、テーブルに置かれている袋に気づく。


「何かしら」


 袋の下に、エマの手紙が添えられていた。

 陛下が届けるように、と。気に入ってくれていたから、と。


「これは……」


 袋の中身は私が最初に手に取った布と、何色もの刺繍糸。


「アレクセイ陛下……」


 あなたが分からない。

 分からないから知りたい。


「私、あなたを知りたいわ」


 あといくつ、私の知らない顔を持っているのかを。

 あなたの心にある喜びも悲しみも、全てを――。


 **********


 親愛なるお父様、お母様


 お父様、お母様、お変わりありませんか?

 私のここでの生活は、驚きの連続です。エマもきっと、ここに来たばかりの頃は私と同じように驚きの連続だったのではないかしら。


 その彼女は、今や誰からも愛される騎士に成長しています。

 祖国では彼女の真面目さや気高さ、強さを評価してくれる人があまりにも少なく私たちは残念だと何度も口にしたものですが、ここでは誰もが正しく評価してくださっているわ。


 エマも評価を真摯しんしに受け止め、努め。アシュリーさんもエマを愛し、妻として可愛がり、騎士として厳しく接しているのです。あのエマが全力で守り、愛し、夫としても騎士団長としても尊敬するだけの方よ。


 そんなふたりが尊敬しているのがアレクセイ陛下となれば、改まって彼の人柄の説明などいらないでしょうけれど……私の中では、最初の印象とはだいぶ違ってきているわ。

 悪い意味ではなく、良い意味でよ。どういう人なのだろうと知りたくなる、そんな方なの。


 本来、もう帰国してもいいぐらいはお邪魔しているのですが、もう少しだけ……あと少しだけ滞在します。繰り返しますが、どうか心配なさらないでね。

 またお手紙もいたします。きっと次が、帰国前の最後の手紙になるはずよ。


 そちらの天候はいかがでしょう。こちらは、雷の音が近づいてきました。相変わらず慣れない音だわ。

 今夜はもうペンを置き、寝てしまおうと思います。明日の朝が、晴れていることを祈って。


 マリーツァ = ウィルバーフォース

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