貴女のために何が出来るのか(アレクセイ視点)

第16話

「陛下。ご命令通り、お姉様が湯浴みをしている間に布と糸を置いて参りました」

「……ありがとう」


 あの後、自分で買った贈り物。だからって、さすがに自ら手渡せるはずもない。

 エマに託し報告を受け、椅子の背もたれにぐったり体を預ける。


「落ち込んでるわけじゃないんだろ?」

「それはない。さっきの自分を後悔もしていない。後悔したら、エマに剣を向けた意味が変わってくる。……ただ、反省はしてるよ」

「愛する者を心配したり守るってのは、お前だけの個人的感情ってのとは違くね? 誰もが同じ感情を覚えるでしょ。市場にいたみんなもあれも陛下だって怯えてもなかったし、外野の要素で怖さ倍増って自体にはなってないはずよ?」

「マリーツァお姉様の存在も、その評価も、民たちの間で一気に高まりました。状況を見聞き出来ていた者たちが大勢いたので、嘘なく話が広まっております。剣の前に飛び出し自分のを認め、陛下へはっきりと意見した勇敢な女性であると。さすがは、我らが国王陛下が選んだ伴侶であると」

「伴侶じゃない。彼女に申し訳ないから、誤解は解いておいて」

「すでに、そのように自衛団や騎士団へ伝達済みです。……それと、姉はどうして陛下がああなったかを理解しております。自分のせいだと謝罪もし、先程の陛下を怖いとは一言も口にしておりません」

「実感が湧いてないだけで、後からじわじわ怖くなったりするんじゃないかな」


 ため息も、つきすぎると出てこなくなるらしい。息を吐いたはずなのに、かすれた音だけが唇の端からこぼれ落ちた。


「よりにもよって、一日に二度も僕の別の顔を見せるなんて……」

「そんなもん、日を分けたって同じでしょうが。お前、自分の性格を恨むなよ。そういう部分があってこそ、国王陛下なんだ。優しいだけで国は治められない。時に、畏怖いふされる存在でなければならない。俺もそう。上に立つ者が優しいだけだと、国は衰退の一途だ」

「……どうせ、性格の根本は根暗だよ」

「お姉様はそういう部分も含めて、陛下に興味を持っているかと」

「どういう興味かによって、また話は変わって――」


 かしゃーんっ! と、金属を叩く音にも似た雷鳴で会話が途切れる。


「雷、強くなってきたね。天気予報士はなんて?」

「季節の雷ですが雲が厚いので、一晩中鳴る可能性が高いとの報告が」

「俺らが戻る前に、雷で火事が起きないか充分気をつけるよう、自衛団と残ってる騎士団員には伝えてあるよ」

「ありがとう。明日はいつも以上、城下町の見回りを強化して。雷が落ちた場所の確認と、被害状況。怪我人の有無もだね。家畜も雷に驚いて、逃げてる可能性もあるし……」

「承知いたしました」

「難儀な商売だねぇ。こんな時でも、愛する人だけ考えられないなんてさ」

「どっちも大事だよ。……比べられない」


 話をしている間も雷は確実に近づき、雷光も強く室内に差し込んだ。


(マリーツァ、大丈夫かな)


 窓に手をつき、空を見上げる。

 黒い雲の中で稲妻が浮かぶたび、激音がとどろく。

 聞いていると男の僕でも嫌な気分にはなるし、雷が大嫌いなマリーツァに至っては、恐怖はいかばかりかと思いやる。


(行ってあげたい)


 でも、雷よりも僕のほうが怖いって思われてたら?

 ドア越しに、会えないって言われたら?


(なんで、肝心なところでこんなに臆病になるんだろう……)


 なんで、こんな感情が生まれるんだろう。

 相手の気持ちを考えず行動しないようになのか。

 拒否された時、少しでも自分の負担を減らすためなのか。


(僕の場合は、これ以上嫌われたくないっていう保身ほしんだよね)


 臆病になって距離を保って、自分が傷つかないようにっていう。


(こんなの間違ってる)


 分かってるなら行動しないと。

 ああでも、僕が行っても迷惑なだけかも。エマにお願いするのが、今は一番正しいのかな。

 迷っている間も雷は近くなり、ばりばりっ! と空気を切り裂く音は、触れている窓にも振動として伝わる。


「おっ、わりと近くに落ちたね」

「ここまで鳴るのは、わたくしもこの国に来て初めてです」

「子どもたちは今頃、親に抱きついてるだろうねぇ」

「…………」


 マリーツァは今、ひとりだ。

 怖いのに誰にも怖いと言わず、朝になるのを待ってる。

 ブランケットに包まって、ひとりで。

 子供じゃないんだからって我慢して――。


「ふたりにお願いがあるんだ。この後の僕の仕事、明日に回してもらってもいい?」

「理由は」

「マリーツァが雷を大の苦手としていて、傍にいてあげたい」


 そうなの? というアシュリーの視線に、エマが間違いないと頷く。


「仕事は午前中に必ず挽回する。許してもらえないかな」

「だめー」

「……そうだよね。ごめん、我が侭だった。でもせめて、僕の代わりにエマを――」

「じゃなくてさ。明日は明日の仕事をしてくれるんでいいよ」

「え?」

「エマちゃん。今日中にアレクのサインが必要ってのは、それほどないでしょ?」

「はい、緊急性のあるものはございません。そもそもこの後は、各国から届いた手紙に目を通していただくのみでした。これも急ぎではない、いつものご機嫌伺い的な手紙ばかりです。明日の朝食か昼食時に、目を通していただければと」

「……ありがとう、ふたりとも」

「べっつにー? むしろ、俺に余計なお世話しまくってくれたあん時の仕返しが出来て、気分いいったらないね」

「わたくしも仕返しです」

「ははっ、そっか。……うん、本当にありがとう。ふたりとも僕の最高の部下で、親友だよ」

「そりゃどーも」

「光栄です、陛下。姉をよろしくお願いいたします」


 薄暗い廊下を駆ける。

 窓の向こうの激しい雷は治まる気配もなく、空が光るたび僕の影も浮かんだ。真っ黒いそれは、もうひとりの自分がそこにいるかのようだ。


(昼間のあれも僕なんだ)


 もし僕が守っていたのが別の大人や子供であっても、僕は同じ態度を取った。守れと命令した相手がエマでなく他の騎士団員だとしても、剣を突きつけた。

 そんな僕を、誰も「暴君だ」とは責めない。「当然だ」と認めてくれる。


(そこにあぐらをかくことは出来なくて、もっと冷静でなくてもいけないのに……)


 アシュリーが言うに、僕は「まだまだお前は若い」らしい。「穏やかで優しい国王を演じてる節がある」と言われたこともある。無様な自分を見せてしまわないよう、取り繕う場面が多いそうだ。

 もちろん穏やかで優しい国王の僕が、作り物ではないと承知の上での言葉。


(結局、これも保身だよね)


 誰からも嫌われないようになんて出来るはずもないのに、愛される国王陛下でいたくて必死になって。


(伴侶を得て癒やしてもらうといいなんて言われても、自分とは無縁の世界にも思えてて……)


 そんな時、貴女が現れた。

 柔らかい体と髪と、雰囲気と。甘い香りと、魅力的な菫色バイオレットの瞳と。優しいだけじゃなく芯がしっかりあって、自分の意見もはっきり言えて。僕に何も知らない、勉強不足であるとも伝えてくれて。泥だらけになるのも平気で、僕をたしなめてもくれて。


(何より、国王ではない僕を知りたいと言ってくれた)


 貴女みたいな女性、初めてなんだ。

 同じ条件を持つ、他の女性じゃ違うんだ。

 貴女の前でなら、僕はただの、どこにでもいる成人男性のアレクセイになれる。


(それでいいんだと、貴女が言ってくれたから僕は……)


 どしんっ! と地響きが起きるほどの雷が落ちると、駆け足は全力疾走に変わる。

 情けない臆病な自分も、もうひとりの僕の影も振り切るように――。

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