静寂狂乱(モノクロームノイズ)の王

第14話

「さすがはグーベルク国の市場ね。すごい人だわ」

「他国からも商人が集まって、商談や売買もしてるしね。近隣の国を見ても、一番大きな市だと思うよ」


 午後に入ってすぐ、「案内出来る」とエマから連絡を受け。アレクセイ陛下たちに共に、私は城下町へと到着していた。

 この国に到着した時の夕方の風景とは違い、日中の町は人も多く。行き交う人々が笑顔なのも平和の証で、市場がこれほど賑わうのも同様の証。


「珍しい商品もたくさんねえ……」

「見たい物があったら、遠慮なく言ってくれていいからね」


 大商人の娘として、私は幼い頃から珍品は見ているほう。そんな私でも初めて目にするものが多く、肉や魚の焼ける匂いもして、まるでお祭りに来た子供みたいに心が浮き立つ。


「あとは……そうだ。マリーツァは刺繍も趣味だったね。あの一角に、生地と糸のお店があるよ。エマ、案内してあげて」

「おふたりでどうぞ。わたくしどもは、少し離れた所で見守らせていただきます」

「騎士団員に囲まれてばっかは嫌でしょ?」

「マリーツァもそれでいい?」

「ええ、もちろん」


 並んで歩き出すと、陛下が女性と歩いているのは珍しいどころの騒ぎではないらしい。明らかに好奇こうきと期待の視線が集まっていても、そこは気づかないふりをした。


「この店の商品は全部国産で――おじさん、少しお邪魔するね」

「どうぞどうぞっ。ちょうど今朝、新しい商品が届いたところでしてなぁ」


 手に取ってご覧くださいと生地を渡され、その滑らかさもだし色にも驚かされる。


「まあ、なんて鮮やかな……。夕日の色を集めて、そのまま染めたようだわ。いったいなんの染料を使っているの?」

「基本、他の国と同じで植物だよ。でもうちは、温泉で染料を落とすんだ。泉質だったり温度で色の抜け方が違うから、独特な色合いが出るんだよ」

「もしかしてこれも名産?」

「にしたいなって、試行錯誤してるところ」


 他の生地と糸も手にすれば、どれも間違いない品だと分かった。


「これだけのものを作れるなんて、グーベルク国は養蚕業ようさんぎょうも製糸の技術も素晴らしいのね」

「…………」

「なあに?」

「あ、うん……温泉のほうにじゃなくて、すぐに養蚕業に繋げられるなんて男でも珍しいのに……」

「両親が商人なせいね。父も母も質を見て、作り手を見るの。作る人がいてこその品なのだから、出来上がった物だけで商品を評価してはいけないと、小さい頃から――」

「――釣り銭泥棒だ!!」

「追いかけた自衛団が、切りつけられたらしいぞ!」


 それまでの楽しげな喧騒が、一気に静まり返る。


「アシュリー、エマ! 怪我人の人数確認と、治療を! 他の騎士団員は民たちの誘導と、泥棒の侵入経路、逃亡経路の確認! 自衛団は、この騒ぎで商品が傷んだというなら城で買い取ると伝達を! 商品を買い取るかの判断は、自衛団に一任する!」


 見回り中の騎士団員はすぐに行動を開始し、自衛団も指示通り動いて統率が取れている。

 民たちも慌てず騒がず市場の外へ避難したり、店の中で身を潜めたりと自分のすべき行動を心得ているようだった。

 ただ、私はこういう騒ぎに慣れていない。どうすればいいのか微動も出来ずにいると、アレクセイ陛下が私の肩を引き寄せ、マントで身を隠すように抱き込んでくれた。


「ごめん、せっかくの買い物なのに。大丈夫? 怖くない?」

「え、ええ……怖くは……」


 これも驚きはしても、怖くはない。

 彼の腕の力強さと、軽くとはいえ体を覆うマントの重みが安心感を与えてくれていた。


「アレクセイ陛下! あちらで二名、犯人を確保いたしました!」

「仲間は何人だと言っている?」

「お姉様、こちらへ」


 陛下の腕の中から、店の影へ移動させられる。

 おかげで、陛下を称賛する近くの人たちの声が良く届いた。


「泥棒も馬鹿だなあ。陛下がいらしてると気づいてなかったのか?」

「騎士団員や自衛団がいてくれても、この手の犯罪ってのはなくならないが……それでもどの国よりも、犯罪率は低いんだろうよ」


 ありがたいことだと、陛下や騎士団員、自衛団を口々に褒め称え。安堵の空気が流れ始めたのに、その空気をまた切り裂く声が響いた。


「ひとり、まだ仲間がいたぞ!」


 声のほうへ視線を移せば、短剣を手にしている粗野な風貌の男がひとり、逃げるためかこちらへ向かっていた。


「エマ! 僕が戻るまで、絶対にマリーツァを離すな!」

「かしこまりました」

「アシュリー、抜刀ばっとうなしだ! 広くても一般人が多すぎる!」

「承知!」


 言うと同時に、アレクセイ陛下がアシュリーさんを従え駆け出す。


「エマっ、貴女も彼らの元へ!」

「わたくしはお姉様を守るよう、陛下直々にめいを受けました」

「私は気にしなくていいのっ」

「出来ません」


 冷静かつ淡々と言われてしまうと、声を荒らげているこちらのほうが間違っている気になる。


「ご安心ください。静寂狂乱モノクロームノイズの王と、切断劫火グレネイドディバイドの騎士が向かったのです。彼らは、自分の力を過信いたしません。弱い敵であろうと強い敵であろうと本気で挑みますが、犯罪者であろうと従順な者に、あの方は寛容であり寛大です」

「素直に謝れば許すと?」

「罰は受けますが、反抗しないほうがまだマシかと」


 スッと、エマが前を指した。

 つられてそちらを見れば、店先で倒れている椅子や木箱を飛び越えるふたりが目に映る。


「止まるんだ!」

「止まらないと痛い目見るよ!」


 ふたりの声に止まらないどころか男は剣を振り回し、罵声を浴びせているのが聞こえた。


「あの男は愚かです。自ら、己の罪を重くしました」


 アレクセイ陛下が、走りながら自分のマントを外す。それをまるで闘牛士のようにひるがえすと、背後から男の頭にかぶせ。間髪入れず男が地面を滑るように吹っ飛んだのは、アシュリーさんが脇腹に蹴りを決めたから。


「確保!」


 一斉に団員や自衛団が男を捕らえ、あっという間にその場から姿を消す。

 残る団員たちが市場の沈静化に務め片付けを手伝い、大げさでもなくものの数分で、泥棒が現れる前の穏やかな賑やかさのある市場へと戻っていた。


「本日も鮮やかでした」

「……あなたにとってあのふたりは、崇高すうこうする存在なのね」

「お姉様は、陛下とアシュリー様を神のような存在とおっしゃっているのでしょうか。だとしたら、その例えは間違っております。神とは人ではないものを指しますが、彼らは人間です。息もすれば血も流しますが、人という存在の中でわたくしの絶対となります。そんな方たちだからこそわたくしは忠誠を誓い……アシュリー様には忠誠とこの身を捧げ、伴侶となりました」


 無表情であったエマが満足の笑みを浮かべ、これで話はお終いと周りを見回し出す。


「陛下とアシュリー様は、後始末のためここに残ります。すでに収束し安全は確保しておりますのですぐに城へ戻られるとは思いますが、お姉様は先に戻りましょう」

「そうね。お邪魔になっても――」


 戻ってくるふたりの姿が目の端に映り、咄嗟にそちらへと駆け出す。


「アレクセイ陛下、アシュリーさん! ご無事でよかった!」

「…………」

「陛下? どこも怪我はされてないのよね……?」

「………………」


 一度目の沈黙は、私から声をかけ驚いたせい。

 二度目の沈黙は、エマに向けた怒りのせいだと彼女が隣に立って知る。


「エマ、僕の質問に答えてくれるね?」


 問う口調とは裏腹な態度で、陛下がエマの額に剣先を当てていた。


「アレクセイ陛下!? 相手はエマよ!」

「マリーツァは黙れ」

「――――」


 訓練場で見せたあの瞳は、まだ優しかったのだと知る。

 今見せている色は暗く冷たく、闇一色。切り捨てる言葉とぞっとする表情にも、従うしか出来なくなる。


「僕の記憶が正しいのであれば、僕が戻るまでマリーツァの傍を離れるなと君に言ったはずだ」

「はい陛下」

「なら、なぜ離れた」

「申し訳ございません」

「謝罪ではなく、なぜかを聞いている。問いには己の言葉で応じなければいけないよ」

「申し訳ございません」

「エマ」

「……申し訳ございません」

「それが君の答えだというならば、愚かだ。君の罪に償いは不要」

「――やめてください!」


 黙れと言われていても。

 私の知っている優しく穏やかな彼はそこにはいなくとも、もう黙ってなどいられなかった。


「エマは悪くないのっ。私が彼女の手を振りほどいて……それまでは、ちゃんと私の傍にいてくれたのよっ」

「それまではって何? それまでも、そこからも、僕はエマに命じた。僕が戻るまでが命令だ」

「だからって……――アシュリーさん、あなたもなぜ何も言わないの!」

「国王の命令を破ったのは彼女だ」


 アシュリーさんがエマの背後に立ち、陛下と同じように剣を鞘から抜く。

 その剣先は、軽くとはいえエマの腰に当てられた。


「あなたまでどうして……!」

「俺は彼女の伴侶であり盾であっても、第一に従うべきはアレクセイ国王陛下。そこは彼女も理解しているし、彼女も自身の罪を認めているから微動もしていない。……もしアレクが何も言わなかったとしても、俺が彼女を罰した。俺は騎士団長だからね。相手が愛する伴侶であろうと、贔屓ひいきはしないよ。……国王陛下からの、客人を守れという正しい命令を彼女は破った。重罪だ」

「そんな……」


 愕然がくぜんとはしても、これが彼らの規則なのだと教えられる。

 私がそこについて何か言っても変わらないし、何か言うほうがきっと間違い。

 でも、それでも。


「マリーツァお姉様!?」


 アレクセイ陛下の剣先とエマの間に割り込むと、ふたつの剣先は離れた。


「まず先に、私を罰してください」


 彼の視線を受け止める。

 感情のない瞳ではなく、ただただ静かな怒りがその奥に見えた。


「私が彼女の傍を離れたのです。アレクセイ陛下の命令を、私が破らせてしまった。もう安全になったからと、考えなしで動いたのは私。一番の悪を罰してこそ、罪は根絶出来るのではなくて?」

「…………」

「切ってくださっても構わないわ。あなたの貫く正義の矛先は、この場ではまず私へと向くべきよ。私はそれだけの罪を犯した」


 瞳の奥にある怒りの炎が徐々に消えていくのが分かり、一度、瞳が閉じられる。

 次に天秤座ヴァーゲの瞳が見えた時、視線は私に向いてはいなかった。

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