第11話

「……あえて言うとしたら、女の勘かしら」


 曖昧であり、逃げの返事だと勘づいているはずなのに。


「なら、僕の気持ちを全部言う。僕はとっくに決まってるから」


 アレクセイ陛下は私の揺らぎへ攻め込みはせず、そっと泥まみれの両手を握って見つめてくれる。その手も泥まみれなのに、決して嫌ではなかった。


「マリーツァ。僕は貴女が好きです。側室そくしつではなく、本当は僕の伴侶になってほしいんだ」


 驚いて手を引こうとしたのに、させまいと少し強めに握りしめられる。

 さすがに困ってしまう私に気づいてか、力を緩めてはくれても離しはしなかった。


「今すぐ返事をとも願わない。祖国に戻るまでに考えてとも言わない。まずは側室になるかを決めて、それからでいい。どうか、僕とのことを真剣に考えてくれませんか?」


 天秤座ヴァーゲの瞳も、私を捕らえた。

 いつもなら平気でしょうに、今はその真剣さに私が耐えられず視線を落としてしまう。


「どうして……」

「好きになった理由? それ以外の何か?」

「すべてにおいて、どうして、よ」

端的たんてきに言うなら一目惚れ。貴女の瞳に引き込まれたんだ。……誰かをこんなに欲しいと望んだのは、初めてだよ」

「……女性の柔らかさに触れて、錯覚したのではなくて?」

「最初は僕も、そうかも知れないって自信はなかったんだ。でも僕に花の名前を教えてくれて、貴女自身を正直に教えてくれた。僕にはっきりと意見もしてくれた。その正直さは誰かにとっての短所かも知れないけど、僕にとっては長所だ。貴女が僕の伴侶になってくれたら、僕はもっと安らぎを覚えられて良い国王になれる。僕もたくさん貴女を愛してあげて、もっと素敵な女性にしてあげたい」

「そこは、あげられると言い切らないのね」

「僕だけの感情で、貴女を縛り付けられない。貴女が望んでくれない限り、断言は出来ないよ」

「……あなたって、本当に真面目だわ」

「真面目さならアシュリーのほうが上。僕の真面目さは……あまり良くない。許せないものは徹底的に許せなくて、アシュリーみたいに柔軟じゃなくて……」

「彼は彼。あなたはあなたではなくて?」

「その言葉、貴女にも当てはまるよ」


 まったくそのとおり。

 なら私が今、彼に伝えられる言葉は限られていた。


「まずは側室になるかどうか、私はそれだけを考えるわ。それでいいのよね?」

「うん……ごめんなさい、困らせて」

「困るというより戸惑っている、かしら。離婚したばかりとかではなく……まさか国王陛下にプロポーズされるなんて、夢見たこともないもの」

「……ごめんね?」

「何度も謝らないで。あなたは、それこそ正直に伝えてくれただけ。あなたの性格を考えるなら、真剣に考えて、きっとエマやアシュリーさんにも相談しての結論なのでしょう?」

「うん……」

「だとしたら、私も無下むげには出来ないわ。それは、あなたが国王陛下ではなくともよ。本気の相手には本気で接しなくては失礼だもの」

「貴女のそういうところも好きだよ。尊敬する」

「ありがとう。私もあなたを尊敬しているわ。それも間違いなく本心よ」


 安堵の笑顔は幼く見えて、可愛い人だと――それは言わないでおいた。


「もし答えが出なくて祖国に帰ってからの返事となっても、待つ間、手紙を送ったりしてもいい?」

「ええ」


 そこでまた笑顔になられると、良心が痛んでしまう。

 純粋な恋心を真正面から受け止めるには、今の私には眩しすぎた。


「……ごめんなさい。期待させてしまうだけで、すぐに答えを出せなくて。待たせた後、やっぱり無理という可能性だってあるのに……」

「それでいいんだよ。好きです。はい、私も。なんて返事が、すぐに返って来ないのが普通なぐらい僕もわかってる。だからどうか、これからも真摯しんしに向き合う貴女でいてほしい」


 時を知らせる鐘の音が響く。

 彼にとっては、また卓上の職務を知らせる音。


「昼には安らぎの時間を。夜は、どうか良い夢を。そうしてまた明日、僕との時間を」

「アレクセイ陛下……」


 ゆっくりと名残惜しげに私の手を離し。見守ってくれていたふたりの元へ戻るとエマに何か耳打ちし、アシュリーさんだけを連れて去って行く。

 私も部屋に戻ると、見送ってくれたエマが深々と頭を下げた。


「本日もありがとうございました。陛下は楽しかったと。そして側室そくしつを経て、伴侶に願ったとの報告も受けました。お間違いございませんでしょうか」

「ええ、そのとおりよ」

「お姉様の、今の心境を教えていただければ幸いです」

「…………」

「わたくしはお姉様の妹でありますが、ここでは陛下の側近であり、騎士団長の補佐という立場。申し訳ございませんが、ご理解いただければと」


 エマらしい真っ直ぐな願い。

 畑に入る前のように、もう無言で誤魔化すわけにもいかなかった。


「アレクセイ陛下を憎からず思っている、これも本心。そう思うにいたった経緯は、彼は穏やかで優しい人。国王陛下として立派な人。真面目で誠実で、花の名前をほとんど知らなくて……笑うと幼くなって可愛い人だと目の前で見て知ったから。……でもね? 私はその程度しか知らないわ」

「知りたいのでしょうか」

「……そうね。もっと知りたいわ。次は、残念な結果にならないように。私だけでなく、相手も残念だと思わないように……」


 離婚したばかりの女が綺麗事を言うなんてね、とも零せば、エマは否定として小さく首を振ってくれた。


「真剣に考えてくださるなら、今は充分だと陛下はおっしゃっておりました。国王に告白されたと浮かれず、自分の心に正しく向き合うお姉様は素晴らしい女性だとも。わたくしも同意見です」

「いいえ……私も存外、女だったみたい。あれほどの方に告白されたのだもの。喜びはどうしたって覚えるわ」

「自分を誤魔化さないのであれば、やはり正しく向き合えている証拠かと」


 では、と綺麗なお辞儀をしてエマは去る。

 部屋にひとりになっても、書庫で借りた本を読んでいても、頭の片隅にあるのはアレクセイ陛下。

 向き合わないといけない相手とはいえ、こんなふうに誰かひとりを考え続けるなんて、私も初めてかも知れない。


 窓際に椅子を置き直し、ぼんやりと眺める景色。彼が今なお、平和であるようにと守る世界は美しかった。


(アレクセイ陛下の本質はどこ?)


 私も、自分自身のすべてを見せてはいない。

 彼もきっとそう。


(そこのみぞが埋まれば、あるいは……)


 視線を室内に戻すと、陛下が贈ってくださった梔子くちなしの花が目に映る。

 しおれ始めているのが切なくとも、花は枯れるからこそ美しい。

 だから私は、白い、強い匂いのある梔子が一番好きだった。

 枯れていく様も美しいと。また次も、綺麗に咲いてほしいと願えられて。


(こんな考え、誰とも共有出来ないと思っていたのに……)


 あなたとなら出来るのかしら。

 それとも……。


「この世界だけでなく。あなたが見る景色は……花の色は、どんなふうに映っているのかしらね」


 あんまり綺麗な瞳だから、私たちとは違う景色に見えているのではないかと錯覚しそうよ。


(私もどう映っているの?)


 誰かの視線を気にするなんて、これも初めての経験だった――。


 **********


 親愛なるお父様、お母様


 お父様、お母様、お変わりありませんか?

 私はおふたりが用意してくれた署名付きの声明書もあって、なんら問題なく嫁ぎ先を出立しました。なのに、私が帰国するより前にこの手紙が届いて驚かれているかしら。


 実は今、グーベルク国に寄り道をしています。

 エマに挨拶をと立ち寄ったところ、伴侶のアシュリーさんとアレクセイ陛下にまで滞在を勧められ、しばらくこちらに留まることになったのです。


 グーベルク国は聞きしに勝る大国であり、平和な国よ。アレクセイ陛下もアシュリーさんも、素晴らしい方なのも間違いないわ。

 エマもおふたりの傍で充実した日々を送っているようで、以前にも増して美しい娘へと変わっています。本当に、羨ましいぐらい生き生きしているわ。


 アレクセイ陛下とお話させていただく機会も多く、彼を知れば知るほど心配になるの。国王陛下とはこうでなくてはいけないと、あまりにも国王である自分を固めすぎている気がしてなりません。エマやアシュリーさんのようには無理でも、少しでいいから私も陛下のお役に立ちたいと思う次第です。


 以前、そちらにエマから頻繁に手紙が届いた時期があったでしょう?

 その時、お母様が私に「エマが困っていたり困っていなかったりしているけれど、とにかく元気に過ごしてはいるみたい」と、意味不明な手紙をくださったのを覚えているかしら。

 後日。結局はそういうことであったと報告を受けて笑ってしまったのだけれど……私もしばらく、意味不明な手紙を送るかもしれません。


 どうか心配しないでと言っても、難しいでしょうね。ただ何も悪いことは起きていないし、結果はどうあれ私は必ず祖国に戻ります。

 アシュリーさんとエマも、近い内に必ず挨拶へ行くと。直接のご挨拶が遅れて申し訳ないとも言っていたわ。手紙も預かる予定になっているので、戻り次第、必ずお渡しするわね。


 それでは、またお手紙いたします。しばらくお付き合いくださいませ。


 マリーツァ = ウィルバーフォース

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