一緒に楽しむ時間

第10話

アレクセイ陛下から直接の願いも受け、前向きに側室そくしつの件を検討すると決まった翌日。

 予定よりも滞在期間は長くなるとなれば、さすがに城内を知らないのは不便だろうと、エマが城のあちこちを案内してくれていた。


「さすがはグーベルク城ね。どこもかしこも立派なのに、無駄に華美されてもいなくて……」

「革命に勝利し、城を手にした際。芸術として価値があるものは残し、ただの無駄な装飾は売り払い、町の修復や整備に当てたとアシュリー様が」

「名産のタイル張りの廊下は、確かに見事だったわ。それに、書庫の所蔵量も素晴らしくてっ」

「陛下は贅沢を好みませんが、これからの時代。戦力だけで国は発展しないと、知識、経験、技術と、すべてにおいて惜しみなく財を注ぐべきだと判断されております。なので欲しい本があれば、いつでも要望を出すようにと。本好きのお姉様にも見てほしいと願っていただけに、ご案内出来たこと、わたくしもとても嬉しく」

「私も嬉しいし、嫁ぎ先では得られなかった経験もさせてもらえてるわ」


 懐かしむでもなく本心として伝えれば、エマが少し間を置いて問うてくる。


「あの男は……サミュエル = ベッタリーニは、お姉様に良い経験を与えてくれなかったのですか」

「結婚という経験を与えてくれたし、男のプライドも教えてくれたわ。恨みながらでもなく、こういう離婚もあるのだと教えてもらったわね」


 廊下で立ち止まり、ため息も苦笑もなく淡々と続ける。


「良くも悪くも、あの人は貴族という自分の地位を大切にしていたのよ。自分の地位をはっきりと自覚している、それは悪いことではないわ。残念なのは、彼は貴族という体面を保つため、そこそこの贅沢を続けたいがために借金を願ったことね」

「すぐに拒否を?」

「うちに借金をし、その後の返済方法はどうするかを確認したら……彼、家族なんだから返さなくてもいいだろうと言ったの」

「…………」

「そうね、私も今の貴女のように黙り込んでしまったわ。それでも、このままでは彼が駄目になるとすぐに助言をしたのよ。やめられる贅沢はやめて、本当に儲かるかも分からないような商いに手は出さず、慎ましく暮らすのでも良いのではないか、と」

「聞いてはもらえなかったのですね」

「……責めるつもりもないの。本来の自分を出してはあまりにも妻らしくないかと、慎重になりすぎた私も悪かった。時々は意見もしていたけれど、夫婦としての距離感をもっと早くから縮めようとしていれば――……なんて、結果論ね。私も両親も、彼の本質を見抜けなかったのだし……」

「どうか、今回の件で異性に対して諦めないでください。わたくしがアシュリー様と出会えたように、お姉様にも間違いなく良い相手がいらっしゃいます」

「アレクセイ陛下?」

「単刀直入にお聞きします。あれから、お姉様は陛下を好きになられましたか」

「…………」


 適当に流すのも誤魔化す言葉も、エマには通用しない。

 卑怯であるとしても応えないほうを選び黙って廊下の角を曲がると、近くの開かれた窓からずいぶんと楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 気になって外を見ても近くにそれらしい人だかりもなく、どこから? と不思議がっていると。

 隣に立ったエマが指差すのは、近くの倉庫。


「あの裏に、お姉様を案内すると約束した畑がございます」

「そこから聞こえるのね。いつもこんなに賑やかな作業なの?」

「いえ、普段ここまでではありません。陛下が、お姉様をどの畑に案内するか下調べをしているからかと」

「そう……」


 まだ届く楽しげな声。

 どんな感じで陛下が皆さんと畑仕事をしているのか気になって、どうしたって見たくなる。「遠目から、少しだけ覗かせてもらっても?」と願えば、エマはすぐに連れて行ってくれた。


(なんて楽しそうに……)


 倉庫の影で覗く、彼の姿。

 土から野菜を掘り起こしては一緒に歓声を上げ、顔に泥がはねれば袖で拭う。まるで少年のような笑顔が、周囲の人たちも笑顔にしているようだった。


「お茶会の席や昨晩とは、だいぶ雰囲気が……」

「どちらかというと、あれが普段の陛下です」

「ふたりで話て可愛らしい方だと気づいてはいたけれど、まだまだ私の前では緊張してらしたのね。あそこまで無邪気ではなかったわ」

「どうぞお傍に」

「平気なの?」

「はい、問題ございません」


 近寄ると、こちらを向いていたアシュリーさんが私に気づく。

 しーっと唇に指を当てるとこちらの意図を読み取ってくれたのか、アシュリーさんがアレクセイ陛下の顔の汚れを注意して、振り向かないようにしてくれた。


「お疲れ様です、アレクセイ陛下」

「あ、うん。お疲れさ、ま……――っぇ!?」


 振り返ってびっくりした顔と、びっくりしすぎて裏返った声に笑ってしまう。


「ふふっ、そんなに驚かれなくても」

「あ、や、あの、これは……違くて! 貴女を案内するための下調べついでに収穫もっていうだけで、普段ここまで泥だらけには……!」

「なぜ誤魔化されるの?」

「国王らしくないかなって……」

「私が知る国王陛下は、目の前にいるあなただけよ」

「……うん、はい」

「でも、顔の泥は拭いたほうがよさそうね」

「は、はいっ」


 大急ぎで顔中を拭く姿を微笑ましく見守っていると、アシュリーさんが横から提案してくれる。


「こうなったら、今マリーちゃんを案内してあげれば?」

「いいんだ?」


 すでに人払いを済ませてくれていたエマも、どうぞと私の背を押す。


「アレクセイ陛下もご予定があるのではなくて?」

「下調べをしていたぐらいです。時間に関しても、問題ございません」

「ならぜひ、お願いしたいわ」

「じゃあマリーツァ、こっちに」


 手を取られたまま畑に降り立てば、すぐ傍に青々と豊かに生い茂る葉。


「これはズッキーニね」

「今年も豊作だし、大好きな野菜のひとつなんだ。スープに入れたり塩コショウで焼くのもいいけど、チーズを乗せて焼いても美味しいんだよ」

「チーズを? 祖国にはない食べ方だわ」

「今夜の夕食に出してもらうよう、厨房に伝えておくね」


 庭園で花を教えてくれたのと逆で、今度は彼がこの場にある野菜の説明をしてくれる。


「で、こっちはカボチャ畑。向こうの林側では、茸類も栽培してるんだ」

「小さな畑がいくつもある、向こうのあれは?」

「他国で主流の野菜だよ。うちの国では土壌の関係か、あんまり育ちが良くないんだ。どうすればいいか研究中で――……あっ、そこ足元気をつけてね」


 ごろごろ転がるかぼちゃに引っかからないよう注意を促され、避けるのではなくしゃがみこんで撫でてみる。


「まあ、立派だこと」


 試しにひとつを持ち上げようとしても、軽々とはいかない。


「城下町の畑と同じように育てつつ、試行錯誤はしててね? この一部だけ、今回は肥料を変えてみたんだ。それがあってたのかな。今までになく大きく育ってくれて――」

「――っ、きゃ!?」

「マリーツァ!」


 重心もしっかり整えカボチャを持ち上げたら、角度でもよかったのか。今度はひょいっと持ち上げられて、勢いよく真後ろに尻もちをついてしまう。


「ごめん! 支えるの間に合わなかった!」

「柔らかい土の上だもの、痛くもなかったわ。どの茎も踏まないで済んだし……それより、ほら見て? 美味しそうなカボチャだわ。私は趣味だったけれど、陛下は肥料に関しても研究しているお話だったし、完全に趣味ではなかったのね」

「うん」

「こうして成果が現れているなんて、素晴らしいことよ」

「ありがとう。でも僕は、もっと頑張ら――」

「私の前では無理はしないという約束、守ってくれたら嬉しいわ」

「あ……」

「もちろん、頑張るのがいけないとも言わないわ。楽しいなら楽しい。つまらないならつまらない。それでいい時もあるのよ。年上の助言として聞いていただけるかしら」


 部外者の私が同情なんて失礼だとしても、労う気持ちはどうしたって持ってしまう。

 そんな気持ちも込めて伝えれば、何か考えるためなのか落ち着くためなのか、目を閉じたアレクセイ陛下。


(あなたの瞳に、この世界はどんなふうに映っているのかしら)


 生まれた瞬間から、王になるため育ったわけではない人。

 おごらず、自惚れもせず、確実に着実に自身を高め。多くの人たちの助けもあり、彼はその助けも素直に受け入れ感謝し、今の地位を得て国をここまで育ててる。


(悩み、苦しみ、眠れぬ夜もあったでしょうに……)


 初夏の爽やかな風が、ふわっと体を包むみたいに流れていく。

 気づいた陛下がまぶたを開くと、現れる天秤座ヴァーゲの瞳。隠していたはずの「疲れ」を、ほんの少し私に見せてくれていた。


「貴女は、本当に素敵な女性だね。自分をいつわらず、意見をはっきり言うのに相手を尊重もし、出しゃばるわけでもない」

「過大評価しすぎよ。私は嘘もつくし、誤魔化しもするわ。素晴らしい女性というのは……私の母や、エマのような女性。自分の夫を尊敬し、正しく導き、愛し愛される女性よ」

「マリーツァだってそれは可能だよ」

「一度失敗した女なのに?」

「……遠回しに僕を拒否してる?」


 ああ、と軽く頭を振る。


「違うわ、ごめんなさい。でも、今の言い方はそう取られても仕方ないわね。私の悪い癖だわ。良くも悪くも正直で……相手を傷つける」

「前の人を傷つけた?」

「……私は正論を言い過ぎるの」


 ここが悪いからこうするべきだ。正しさはそこにある。

 時には優しい嘘も必要なのに。

 正直さが、必ずしも良い方向に進むとは限らないと知っているのに。


「小さい頃からそう。だから結婚はしないようにしていたの。この性格は、結婚に向いていないと知っていたから。夫を立てるだけではない、控えめな女ではないから。……最後の最後で両親の願いを叶えようと、親孝行をしようとして……」

「僕には、相手が悪かったとしか」

「いいえ。エマにも伝えたけれど、悪いのは私もよ。あなたも、そういう女を側室そくしつに望んでいると忘れないで」

「ならなぜ、側室の件を前向きに考えてくれたの?」

「それは……」


 真っ直ぐに問われても、返答に困ってしまう。

 なんの理由もなく「検討する」と頷いたわけではなくとも、その時の気持ちを伝えてしまうには私の感情があやふやで。

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