怖いのは……

第12話

「本日ですが、午前中はどうぞ好きにお過ごしください。午後に、またお誘いが入るはずです」


 翌日の朝も、エマが予定の報告に来てくれる。


「城下町の案内になるとは思いますが、午前中の騎士団員の見回りが終わり、状況報告を受けてからの決定になるかと。それまで、また城内の散策でもなさいますか」

「あまり出歩いても、みなさんの迷惑になりそうだもの。部屋でおとなしくしているわ」

「城の者はみな、お姉様をひと目と望んでおりますので迷惑ではございません」

「そんなに貴女の姉というのが珍しい?」

「見た目があまりにも対照的という意味では珍しいかも知れませんが、本質はそこではなく。陛下が特定の女性と頻繁に、しかも城内で会うなど今までになかったことです。公言はしておりませんが、伴侶候補の女性なのではと噂にはなっております」

「ご迷惑になっていないかしら」

「迷惑どころか、城下町では陛下の応援歌が出来上がっておりました」

「……ご迷惑になってるわね」

「お気になさらず。みな、純粋に応援し、喜び、楽しんでもいるのです」


 エマがベランダ側の窓を開く。

 初夏の風に誘われ外に出ると、眼下に目立つふたりが通り過ぎたところだった。


「噂をすればね。アレクセイ陛下とアシュリーさんだわ」

「先ほど、手合わせするとアシュリー様が陛下を連れ出しました」

「連れ出したって、もともとの予定ではなかったの?」

「先日、勢いに任せて伴侶にと願ってしまい、ムードも何もなかったと陛下が落ち込まれておりましたので。流れがあったとはいえ、畑の中、泥だらけであれはないと自身でも反省されたようです」

「次の日に落ち込まれるのね」

「今朝、昨日を思い出して初めこそ楽しかったと浮かれていたのですが……冷静になって思い出すと、悪い部分も鮮明になったと」

「面白い方だわ」


 ふふっと笑っていると、エマがふたりを目で追い、そわそわし出しているのに気づく。


「一緒に行きたい? いいわよ、行ってらっしゃい」

「本日はお姉様のお相手をするようにと、陛下から仰せつかっております」

「なら、私も一緒に行くわ。そうすれば、貴女は私の願いを叶えるために付き添っていることになるもの」

「ありがとうございます!」


 珍しく弾んだ声。つま先も、すでに入り口に向いていた。


「貴女がそこまでになるなんて……」

「強いおふたりが剣の腕を競うのです。見ているだけでも勉強になりますし、何より芸術的なほどに美しく」


 手合わせが美しい?

 剣と剣の打ち合いを見て、私はこれまで一度も美しいなんて感想は浮かばなかった。


(騎士ともなると、強さを美しいと形容したりもするのかしら)


 分からないまま訓練場へ入ってすぐ、エマの言葉の意味を理解する。


「アシュリー、手加減してるね!?」

「お前相手にするわけないでしょうが! 俺、まだ死にたくないんで!」


 言い合いながらも剣を振り軽やかに動く姿は、まるで剣舞。

 銀の髪と金の髪が交わるように流れ、汗でキラキラと輝いてもいた。


「いかがでしょう、お姉様。あの無駄のない動き、素晴らしいと思いませんか」

「私は剣術に明るくはないけれど、ふたりの動きが美しいという貴女の気持ちは分かるわ。……アレクセイ陛下とアシュリーさん、どちらがお強いの?」

「単純な強さだけで比べるのであればほぼ互角ですが、得意分野は違います。アシュリー様は小柄な体格を活かし、相手の懐へ入り込むのを得意としております。陛下も苦手とはしておりませんが、速さではアシュリー様には敵いません。陛下は相手の攻撃を受け流し、きを作るのを得意としております。この切り返しの速さは、アシュリー様よりも優れております」

「そうなのね」


 刃と刃がキンッ! と弾き合う音は、高音の楽器が奏でられているよう。

 足さばきも速さのあるダンスを見ているようだと感動しかけて、はたと気づく。


(弾き合う音?)


 まさか――。


「ふたりは真剣で……?」

「はい」

「手合わせでそれは! 怪我でもされたらどうするの!」

「この国は平和ですが、おふたりは……わたくしも、平和に慣れるわけにはいきません。平和に慣れていいのは民だけです」

「……貴女も同じような訓練を?」

「わたくしは新人の期間を経た後、グーベルク国騎士団の第一部隊に所属しました。第一部隊は有事の際、真っ先に剣を抜き、敵陣に突撃する部隊です。剣の重さに慣れておかなくてはなりません」


 いまさら、自分の妹がどういう仕事に就いているかを知り。反対するつもりはなくともどうしたって不安にはなった。


「こういう時、なんて言ったらいいのかしらね……。慰めや気遣いの言葉なんて、貴女たちは欲しくないでしょうし……」

「理解しようと努めてくださっているのが伝わるだけで、わたくしたちは充分なのです。それでも完全にはお姉様も理解出来ないかもしれませんが、それでよろしいかと」

「本当に?」

「お姉様は大商人の娘というだけで、一般人にも違いありません。ですが、わたくしはもう騎士なのです。民を、国王陛下を守る者なのです。ああして真剣で打ち合うおふたりを見て、団員はみな、気を引き締めます。わたくしたちはいつでも本気でなければならないと、身をもって教えてくださるのです」


 平和になったとはいえ、革命時の記憶が残る人たちもまだまだ大勢いる。先頭に立った陛下やアシュリー様にいたっては、当事者も当事者。

 自分は当時を経験していないからこそ、騎士として正しく成長したいのだとエマは言う。


「アレク、脇が甘い! 何度も注意してんだろ!」

「っく……!?」


 弱点を見抜かれたのか、アレクセイ陛下が押され始めた。


(私の知らない人だわ……)


 剣を振るう彼の瞳に、これまで見てきた穏やかさは一切なく。それこそ優しさなんて欠片も見つけられないのに、視線を逸らせない。

 次はどんな表情を見せてくれるのか気になって、よそ見が出来なくなっていた。


(――っ!?)


 立ち位置が代わり、彼がアシュリーさんを睨んだ先に私がいて目が合った、それだけなのに。

 体のどこかがバチンッ! と音を立てたかのような錯覚と痺れ。体中の産毛が総毛立ったのは決して気のせいではなく、咄嗟とっさにうなじを手で抑えてしまう。


(あの色は何?)


 緑の瞳が、今は違った色に見える。

 黒にも、金にも、赤にも、彼の感情のすべてがそこに反映されているような色。

 ギンッ! と、一際強く剣のぶつかりあう音で我に返ると、ふたりが後ろに飛び引いて距離を取っていた。


「陛下に火がつきました」

「なぜ急に……」

存外ぞんがい、あの方も男であるといったところでしょうか」


 アシュリーさんも狂気とも狂喜とも呼べる表情で唇を舐め、剣を両手で握り直す。

 互いに重心を落とし、低い位置での打ち合いが始まった。


「アシュリー様にも火がつきました。ああなると終わりません。怪我も覚悟とはいえ、さすがに止めなくては」

「……止めて良いものなの?」

「稽古中に、互いに私的な部分が出すぎております。あれでは訓練になりません」


 言うと、エマが数歩前に進む。


「陛下、アシュリー様、そこまでです」

「僕はまだやれる!」

「俺だってやれるし絶対負かす! 国王陛下に両膝つかせるとか、興奮で震えるね!」

「こっちの台詞! 人気者の騎士団長様が崩れ落ちるとか、最高に震えるよ!」

「はあっ? お前、最近ちょっと調子乗ってね!?」

「そっちこそ!」

「やんのかコラ!」

「受けて立つ!」


 終わる気配のなさに、エマがふうっと肩で息をした。

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