第4話
夜が明けて、八日目の昼です。
みんなは、図書館に侵入者がいるという事実に、恐れおののき、まともに夜を過ごせませんでした。
そう。
すでに、図書館の平穏は破られました。外部からの侵入者が、どこかにいるのです。自分たちだけ助かろうなんて、そもそもが虫が良すぎたのかもしれない、世界は、生きてる人間を放ってはおかない、外にいる人たちと同様、遅かれ早かれ、同じになる……それが、自分たちの人生の結末だと、どことなく悟っているのかも知れません。
それでも、各々、せめて何かの足しになるというレベルではあっても、武器になるような、棒や鈍器などを手に、四階のこどもおはなしのへやに集まりました。みんなで相談するときは、いつもここです。
「誰かが侵入した。これは間違いないよね?」
クイナが、念を押して確認します。何度目か、もう自分でも分かっていません。
「やっぱり、ゾンビかな?」
何度問われようが、出てくる回答も同じ。
答えるコルリだって、確証は持てないのです。
「とも限らないけど、その可能性は考えておかないとだね」
そう、気丈にものを言うキジは、隣にいるツバメと、しっかり手を握り合っています。
「ねえ、本当に誰も姿を見てないの?」
ツバメは、心底怖いという風におびえながら、キジの身体に身を寄せています。ぶるぶる震えています。その姿を、仕方ないという思いと同時に、複雑な思いで、コルリが見ています。でも、もう、キジもツバメも、そんな自分たちの姿を、隠そうとはしません。
「ツバメが、侵入者とぶつかったんだよね?」
超のつく真面目人間で、今も仕切ってくれているツグミは、本当は怖いのを、必死で我慢しています。誰よりも臆病で、だからこそ、しっかりしようとしているのは、みんなも分かっているんです。
「ぶつかって逃げ出したってことは、ゾンビらしい行動じゃないよね」
論理的に考えると、そうなります。ツグミがまとめます。
「再確認するね、ゾンビの特性。ゾンビの動きは鈍い。とにかく、遅い。ゾンビは、生きている人間しか襲わない。不思議と。ゾンビはゾンビ同士を襲わない。不思議と」
「不思議なことばっかりだね」
ツバメが、妙に真面目なツグミの言葉に、少しだけ心がほぐれて軽口を言いました。
自分の言葉に、えへへ、と笑いながらキジの顔を見るツバメ。
キジは優しい顔をしてくれましたが、でも、真剣にやってるツグミからは睨まれました。
「……ごめん」
より一層、キジにしがみつくツバメを見て、心がさっきからチクチク痛いコルリが、ツグミの話に補足をしました。
「現実的な部分も確認しておかないとだよね。ゾンビはゾンビウイルスによって感染する。ゾンビに噛まれると、程度にもよるけど、最悪の場合は瞬間的に、かすり傷程度の時にも、最長三日で発症する、でいいんだよね?」
みんなが、頷く。ゆりが、キョロキョロしている。
「ねえ……」
ゆりが何かを言おうとするが、
「逆に言えばさ、三日かかっても発症しなければ、感染はしていないってことでいいんだよね?」
クイナが、一応論理的に考えられる帰結を確認した。
「再確認するね。わたしたちの中に、感染者がいれば、容赦なく外に出します」
そう、ツグミがはっきりと言うのは、ルールを重んじる性格故なのでしょう。
他の人たちは、どうにもすぐには賛成できませんでした。特に——
「あ、あのさ! それって、さ。本当にやんなきゃダメかな?」
ツバメの、キジにしがみつく手に力が入り、キジからも力が伝わります。
「今さらルールは変えられないよ。感染者以外を守るためにも」
メガネの位置を直しながら、ツグミが、はっきり言います。普段の、弱い部分を、まったく見せないほど、しっかりとした言葉で。とはいえ、だからといって納得できない人もいるのです。
「でも、でももし、もし、誰かが感染してたら……」
ツバメは、どうしても最悪の想像が抜けないといった風で、何度も確認します。
「助かるためには、わたしたちが友だちだってことは、いったん忘れて。お願い」
ツバメは、不安そうに、キジの顔を見ます。キジが、「大丈夫だよ」と、優しく小声で言います。でも、ツバメはやっぱり、ツグミに反論しました。
「冷たいんだね、ツグミ」
言われたツグミも、本当は分かっています。だけど——
「私は、現実的な話をしているだけです。それに、最初にそう決めたはずでしょ」
「最初とは、状況が違うでしょ」
「違わない! ずっと、同じ状況が続いてる」
「あの……」
ゆりがまた言葉を挟もうとしましたが、キジの言葉に遮られました。
「だからこそ、最大限、気をつけよう。もし、少しでもゾンビに襲われたら、必ず報告すること。外部からの侵入者は、問答無用で外に出す。それでいいよね?」
キジは、現在の状況を分かった上で、いかにも意見を集約したまとめとして話したのですが、実際には、特に新しい意見でもなく、何も変わっていませんでした。
なんとなくみんなにも、分かっていたのです。この状況で、誰も、確たる答えなんて持っていないし、出せるわけがないということも。
そして、答えが出ない、解決策が出ないと言うことは、この場にいる人たちを疲れさせ、イライラさせていくのです。
一度、反発する気持ちが芽生えたツバメは、ツグミに食ってかかります、
「もし、侵入者が普通の人間だったら? どうするの?」
「その時は申し訳ないけど、でも、保菌者かもしれないんだから」
ツグミだって、分かっているつもりなんです。だから、精一杯答えます。
でも、ツバメは、更にかさにかかって責めます。
「だって、普通の人かもしれないんだよ!?」
倫理的に正しいことを言おうとしているのが果たしてどちらなのか、そして、倫理というものがこの状況でどれほど効力があるのか、答えが出せる人はいません。
みんな、二十歳そこそこの、人生経験なんてまだまだ足りない、子どもなんです。
「ツバメ。わかってる。それは、みんなわかってる。それでも。これは、みんなを守るための戦いなんだから」
熱くなってきたツバメを、キジがなだめようとします。軽く、ツバメの頭をなでてあげて。
でも、一度熱くなったツバメは、そう簡単には冷めません。
「間違ってる。助かる方法はないの?」
沈黙。
多分、ほんの一瞬でした。でも、みんなには、とてつもなく長く感じられる一瞬です。たくさん考えて、そして、答えなんかないと気づくまでの、一瞬。
ツグミが、ようやく言葉を紡ぎます。
「もしそんなのがあれば、とっくに世界は救われてます。何も期待しちゃいけないんです」
今この場の話を、世界レベルの話にまで広げてしまう。
苦し紛れの言葉だと言うことは、ツグミには、自分でも重々承知です。
「じゃあさ、助かるための方法を模索することは、悪いことなの?」
ツバメだって、不安なんです。不安だから、とにかく話すしかない。自分が正しいのか間違っているのか、それもわからないんですから。
「いい悪いの問題じゃないでしょ。わたしたちが助かるかどうかの話なんだから」
「本当に助かるのかな? 食料は、そんなに潤沢にあるわけじゃないでしょ。たかが喫茶コーナーの備蓄なんだし。水だって、今は出てるけど、いつまでも出るとは限らないし。あと何日、ここで本を読み続けていればいいのか、分かる人いる?」
コルリの疑問は、現実を突きつけるものでした。そして、その現実に対して、今まで、より正しい回答をしようと心がけていたツグミも、圧されてしまいます。
「いつまででも、です」
ツグミは、顔を伏せ、みんなの顔を見ることができなくなりました。
「ルールを重んじるのはいいけど、結局できることって、つまり、餓死して死ぬか、ゾンビになって生きながらえるか、ってことじゃないの?」
コルリのまとめは、残酷にもツグミのせき止めていた心の中を、壊すものでした。
どうなの、どうなの、どうなの?
正しいの、正しいの、正しいの?
突きつけられる言葉に、ツグミは、これまでも一生懸命答えようとしてきました。
ただひとえに、自分自身の心に従って、正しいことを、みんなのためにやりたいという気持ちだけで。でも、答えの出ないことなんか世の中にはたくさんあります。
それでも、答えを出さなければならない。
どうなの、どうなの、どうなの?
真面目、真面目、真面目、真面目。
正しいの、正しいの、正しいの?
真面目、真面目、真面目、真面目。
楽しいの、楽しいの、楽しいの?
「答えなさいよ!」
追求は止まず、ツグミは、
「やめてよ!」
まん丸で可愛い眼に、たっぷりの涙を浮かべ、
「私だって! わかんないよ!」
涙をぼたぼたと落としながら、見たこともない勢いで話します。
「わかんないけど! わかんないから! どうしたらいいか、考えてるのに! みんながそんなんじゃ、私にできることなんかあるわけないじゃん!」
みんなは、こんな風に乱れているツグミを、初めて見ました。
「私だって、私だって、怖いんだもん! でも、誰かが決めなきゃいけないじゃん!」
嗚咽混じりに、ツグミが泣き叫びます。
あまりの剣幕に、とても、まともに見ることができません。
普段、真面目でしっかり者で、みんなのまとめ役で、気丈にしているツグミとは思えないほどのとり乱し様に、みんなは、どうしたらいいか分かりません。
その中で一人、クイナが、ツグミに近寄ります。
ツグミが、近寄ってくるクイナをキッと睨み、突き飛ばします。
でも、クイナは、また近寄ります。再び突き飛ばすために伸ばされたツグミの両手を、クイナはしっかりと掴みました。
「なっ……!」
クイナは、泣きじゃくるツグミを、ぐいと抱き寄せ、その小さな、でもたくさんのことを考えてくれている頭を抱えるように、しっかりと抱きしめます。
「ごめん。ごめんよ、ツグミ。ツグミを責めているわけじゃないから」
みんな不安だから。そこまでは言わなくても、ツグミにはちゃんと伝わります。
ツグミだって不安なのを、クイナが受け止めてくれたから。
「私だって……怖いんだもん……!」
「わかってる。ごめんね」
クイナが、力任せじゃなく、優しくその両手で包んであげます。
ツグミが、大きな声を上げて、泣きました。たくさん。これまでずっと心の中にせき止めていた分も、全部、放流するように。まるで、子どものように、駄々っ子のように。
しばらく、ツグミが落ち着くまで、みんなは待ちました。
そう長い時間ではありませんでしたが、泣き叫ぶ声も、次第に、ひっく、えっぐ、と、しゃくり上げる音に変わってきました。クイナが出してくれたハンカチに、思いっきり鼻水を噛みました。二度。
もう大丈夫、と、ツグミが言って、クイナが、解放してあげました。でも、その手はしっかりと握ったままです。それで落ち着くならと、クイナもしっかりと握り返します。
クイナに眼で促されて、キジが話します。
「さっきみたいな言い方は、よくないよ、コルリ」
でも、コルリは納得しませんでした。
「なんか、それ、気に入らない」
ツグミが落ち着くまでの間に、冷静になって考えていたみたいです。
「泣かせたのは悪いと思うけど、泣いたからって意見を流される訳にはいかないし、泣けば済むなんて考えも嫌いだし」
「私、そんなつもりないもん」
ツグミが、まだ目を真っ赤にしながら、反論します。でも、コルリは、
「私は、ツバメと同意見。できるなら、一緒に助かる方法を考えたいって思う」
ツバメが、キジから少し距離を取って、ひと言だけ答えます。
「賛成」
ほんの少し、ツバメとの間に感じた距離に、キジは妙に焦りを感じました。
「青臭いことを言わないでよ。もう子どもじゃないんだから。ツグミも私も現実的な判断をしているだけでしょ。今、この状況を打開する方法なんて、どこにもないんだから」
でも、ツバメは納得しません。
「じゃあ、キジはそっち側だね」
「ねえ、かもめは?」
不意に、ゆりが言葉を挟みます。
そういえば。かもめがいない。ずっといなかった?
みんなが周りをキョロキョロと見回します。
「あんた、一緒だったんじゃないの?」
あまり興味なさそうに、今まで静観していたスズメが訊きますが、
「夜中に、物音に驚いて逃げ出してから、はぐれたままかも」
ざわ。
「まずい」
クイナが、おそらくクイナだけではないけど、最悪の事態を考えました。
「まさか、かもめが?」
ゆりも同じく、最悪の事態を考えます。
助かるためには、友だちだということは忘れる。
「探しに行く?」
コルリの言葉が意味するのは、
「その前に確認させて。もしもの時は、かもめも、外に出す。いい?」
ツグミのルールの、確認でした。
ゆりには、受け入れるなんて、もちろんできません。
誰あろう、自分の親友なんです。身長差二〇cm以上の。
「やめてよ。ねえ、かもめだよ? 友達だよ?」
ゆりは、「友だち」にすがろうとします。
本当に、大事に思っている友だちなら——
「わかってる。私たちだって、かもめの友だちなんだから」
キジの言葉は、まともでした。まともすぎて、要するに、冷静に判断できる相手という意味の友だち、ということが丸わかりでした。
「友だちでも、議論の余地はないです」
泣きじゃくっていたツグミも、自分の考えは取り戻しました。しっかりと。
ということは、同じく、自分の意見を持っているのが、
「自分が助かるためなら、なんでもいいの?」
ツバメでした。
ツバメは、もしキジがゾンビになったら——それが怖かったんです。
もちろん、自分がゾンビになるのも怖い。だけど、キジがゾンビになるのはもっと怖い。自分にとって、キジがどれほど大切か分かっていたから。そう思っていたからこそ、再三、ツグミの言葉に反論してきました。
図書館で籠城し始める、そのちょっと前から、二人は、ずっと一緒でした。小学生の頃から、キジとツバメとコルリは、三人で遊ぶことが多かったんです。でも、中学高校と別々の学校に行くようになり、会う頻度は減りました。減ったとは言え、毎日が毎週になった程度で、仲の良さは変わりませんでした。
あるとき、ツバメが、恋愛の相談を、キジにしました。ツバメは、演劇の道を志しながら、なかなか自分のやっていることに自信が持てず、夢を諦めようと思っていました。と同時に、自分の周りに、バンドマンや演劇人など、さまざまな男性が寄ってくることも分かっていました。夢を追いかけながら、お互いに頑張ろうと言い合いながら、何一つ頑張らない、頑張っていると口で言うだけの男たち。でも、付き合いが長くなってくると、(そういうものかも……)と思い始め、段々と、自分もその男たちのようになっていくのを感じていました。
一方、キジは、小学生の頃から美人でスタイルがよく、発育がよくて胸も大きかったせいか、兄や姉の友人から告白され、年上とばかり付き合っていました。それこそ、大人の男性と言われる雰囲気を持った男ばかりでしたが、何のことはない、小学生や中学生にとっては、中学生や高校生が大人に見えただけで、中身は女の顔とおっぱいのことしか考えていないような連中ばかりでした。それでも、少しはかっこいい男たちだったので、同じ中学や高校に、別に彼女がいるのが当たり前でした。年下の自分は、ただの遊び相手のお人形だったんです。浮気をされたんじゃない。ただ自分が、ちょうどよく遊ばれただけ。紹介した兄や姉にも、当たり散らしました。誰も、見た目以上の自分を見てくれない。でも、兄も姉も、それを、「仕方ない」と言ってしまい、余計にキジは逆上しました。
そして、何人目かもう分からないクズヤロウと別れた頃、ツバメの恋愛と人生の相談を受けました。近所の、人気のない公園のベンチに座り、缶コーヒーを飲みながら、ツバメが泣いてダメ男たちの文句を言うのを聞いている内に、そんな内容はどうでもよくなって、ふと見たツバメの横顔を愛おしく感じ、ああ、ツバメとだったら、二人とも、絶対に裏切らないよね、という思いが生まれました。だから、ツバメの涙を細く長いキレイな指で拭いつつ、そっと唇に触れました。自分の唇で。
ツバメは驚いていましたが、驚いたのは、キジ本人もです。
今、何をしたの?
胸が高鳴りました。どきどきどきどき。それは、どちらの?
ツバメは、缶コーヒーを落として、逃げるように家に帰りました。中身がこぼれました。
でも本当は、それが、お互いに通じ合う思いだったと知るのは、後日に約束していた、『ヴェニスの商人』を観に行った日の帰りでした。観劇後、二人は自然と手を繋いで歩いていました。お互いの指の長さを測るように、絡め合って。一本ずつ、確かめるように。
この間話したときと同じ、近所の公園にやってきて、今度は、くだらない男の話なんか一切せず、何も言わずに、二人は見つめ合いました。そして、どちらからともなく、自然と唇を重ねました。この間の続きをするように。空いた時間を惜しむように。
コーヒーの香りがした。
「ねえ、どうなの?」
ツバメにとっては、当初、自分で想定していた相手ではなくても、意見は変わらなかったようです。
そして、その想定した相手とは、埋めがたい距離を、既に感じてしまいました。今のツバメにとって、一番大事な人が誰なのか、わからなくなりました。それでも、一度振り上げた拳は、そう簡単には降ろすことができません。
「私が、じゃないです。わたしたちみんなが、です。人情に流されて正しいことをはき違えたら、とんでもないことになるでしょ!」
ツバメとツグミの意見は、どう転んでも、相容れそうにありませんでした。
クイナが、ツグミの手をほどいて、
「まずはとにかく探そうよ。話はそれからでいいと思う」
本当にそれでいいかは分からなかったし、何の解決にもなっていないどころか、ただ答えを先延ばしにするだけだということが分かっていて、クイナは、とにかく先に進もうとしたのです。
それは、キジも同じでした。
「はぐれないように、集団で動くようにして。侵入者が何者でも、相手が一人なら、何とかなるから。きっと」
「相手がゾンビだったら?」
コルリが想定した相手が、外部からの侵入者なのか、内部にいた者のなれの果てなのか、今それを確認する人は誰もいません。確認したくないんです。
「なんとかするよ。なんとも出来なくても、なんとかするしかないんだから」
キジの言葉を最後に、みんなは、再び、図書館内の捜索に当たりました。
八日目は、まだまだ終わりそうにありませんでした。
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