第5話
空は、快晴でした。
春の陽気に、暖かい日差し。もし今、全国ネットのTVがいつも通りに放送されていたら、日本全国が春の陽気に包まれていたことを報じていたでしょう。特に、この時期の天気予報の話題といえば、桜の開花情報です。
時は折しも、西から登ってきた桜前線が、ようやく関東にも届き始めた頃です。みんながいる千葉県でも、桜の木がピンクに色づいて来ていました。
図書館には、中庭があります。その中庭には、とても立派な、大きな桜の木が植えられていました。本来なら、この木の下で、花見をして、外で遊びたくなる季節です。
でも、いま、庭を徘徊しているのは、生ける屍、ゾンビたちだけです。
ゾンビたちの数は、この一週間でたくさん増えました。図書館の庭を埋め尽くす、とまでは行きませんが、図書館の敷地にはまんべんなく広がるくらいには。
親子連れ、老夫婦、大学生に、中高生、小学生。年齢も性別にも問わず、等しく。
ゾンビはゾンビを襲いません。だから、庭を徘徊しているゾンビたちは、自分たちが襲う対象がないまま、ただ昼と夜の別なく、彷徨い続けているのです。
図書館の中に籠城した八人は、外に出ることができないまま、館内を隈なく探しました。
いつかは外に出ることを、本来ならばできて当たり前の日常を、夢見ながら。
地下の閉架式書庫に、電気も付けず、かもめは一人、閉じこもっていました。
書庫の隅っこに、懐中電灯と一冊の本を持ち、腰を据えています。かもめは、本を開いて、しっかり熟読していました。そして、とあるページに封筒が挟まっているのを確認します。
この封筒は、もう、何度も取り出して、中に入っていた手紙も何度も読み、読む度に元に戻しておいたものです。だから、この本に、封筒が挟まっていて、その中に手紙が入っていることは、元から知っていたのです。
知っているから、その確認のために、今、みんなと離れて、この地下の書庫にいたのです。
「寒いな」
書庫の奥。入り口からは死角になっているところの、ひんやりと冷たい床に直座りして、なんとか人目を避けようとしているようでした。
改めて、かもめは、手紙を開いて読みました。
『ゾンビに噛まれたり、怪我をさせられた場合、ゾンビになるまでには、若干のタイムラグがありました。その場ですぐゾンビになる人たちもいれば、その場では無事だったのに、家に帰ったり、しばらく時間をおいてから、発症する人もいました。すでに、日本国外での感染について、いくつか判明した情報のうちの一つが、「感染から最長三日で発症する」というものでした。
何らかの傷が付いた場合、三日以内にゾンビになるが、すぐになるのか三日かかるのかは、ウイルスの感染量及び感染した人間の免疫力や体力なども影響してくるようでした。ひっかき傷を付けられただけの人は、かじられた人よりも発症が遅く、若者よりもお年寄りの方が、傷の程度によらず、感染するとすぐにゾンビ化する人の割合が多かったようです。
「感染者には、近寄らないないようにする」打てる対策はそれ一つでした』
何度も読んだその箇所を、もう一度読み返します。もう一度。もう一度。
やがて、何度目か分からなくなりました。
そして次第に、小さな嗚咽が漏れてきました。
「ごめんね、ゆり」
かもめが、その場にかがんだまま、ひっそりと泣き始めました。
かもめが泣いている、そこに、一人分のシルエットが近寄ってきました。かもめを探しに来た人たちでしょうか。いいえ、違いました。ゆっくり、暗闇の中を探りながら、近寄ってきます。
かもめは、気づいていません。手紙を握りしめて、抑えめの音で泣きじゃくっています。
そのかもめに、シルエットが手を伸ばしてきました。そっと。
手が、かもめの肩に触れます。
「ひっ!」
突然、暗闇から肩を掴まれて、不意を突かれたかもめは、驚いて声を出します。そして、バタバタと慌てて逃げようとします。が、シルエットは、かもめの口を押さえ、怖えが出せないようにします。
「騒ぐな!」
といわれて、大人しくなるかもめじゃありません。口を塞ぐ手に、思いっきりかみつきます。
「痛え!」
シルエットが、かもめの口を塞いでいた手を放してしまいます。
「変質者! 変態!」
ここぞとばかりに、大きな声で、叫びます。
慌てたシルエットが、
「黙れ! よく見ろ! 僕だ!」
と、自分の顔をかもめによく見えるように正面に向けます。その顔に、かもめが、懐中電灯の灯りを向けて照らします。じっくり見てみると、
「あんた、誰?」
見当も付きませんでした。
「メジロだ。気づかないよな。小学校卒業以来、会ってないし」
シルエットは、自らをメジロと名乗りました。
目白の顔をまじまじと見ながら、かもめがこの状況では当たり前の、デリカシーのない質問をします。
「あんた、ゾンビ?」
「おお、ド直球だな。でも、まだ生きてる。その手紙、読ませてくれない?」
メジロは、かもめが持っている手紙を指さしますが、かもめは力一杯手紙を自分の背後に隠して、
「え。普通にやなんだけど」
全力拒否です。
「なんで」
「誰かわかんないのに、言うこと聞けないでしょ?」
いや、メジロ……。
「だから、メジロだってのに。その手紙を、読みたいんだ」
「知らない人には渡しません」
かもめは、首を左右にぶんぶん振って完全拒否で否定します。
「だから、僕はメジロだ。柿本メジロ」
柿本メジロ。一六八cm、五二kg。今は、アメリカ在住のフリーアルバイターです。色白で左利き、ショートカット。小学生の頃から一人称が「僕」の僕っ子で、見た目に化粧気はないし、ショートカットでさっぱりしているし、年齢的には成長したのに、胸が発達していないし体つきも……のせいもあって、男の子に間違えられることもあるようですが、歴とした女の子です。乙女です。幼い頃から協調性がなく、何かと言えば周りとケンカになっていました。運動神経はいい方で、主に、メジロを女子だと認識していない女子からモテているようです。女子だと認識している女子からも、けっこう支持されています。男子から、というデータは、みつかりません。
そして、このメジロが、九人目です。
「もしかして、あんた、メジロ?」
ようやく、かもめがメジロを認識しました。じろじろと、メジロの顔を眺め回します。
「そうだよ。さっきからそう言ってるでしょ?」
「じゃあ、間違ってないじゃん」
かもめは、心底安心した、とでもいうように、ほっと一息つきました。
「何が」
と聞き返されて、かもめは、今度はたっぷり、すううううううっと息を吸ってから、
「変質者! 変態!」
肺の空気全てを使って、大きな声を出しました。
「だから、違うってのに!」
かもめの声に、上の階から、次々に人が集まってきます。
パッ、部屋が明るくなりました。
誰かが、ようやく、書庫の灯りを付けてくれたのです。
かもめを探していた人たち全員が、地下の書庫に集まりました。そして、全員で、メジロに襲いかかります。
「やめろ! おいこら、やめろ!」
数人がかりで押さえつけられたメジロが叫びますが、
「やっちまえ!」
ガラの悪い言葉を発したのは誰やら、とにかく全員で、メジロをタコ殴りにします。
外で拾った棒きれや、調理器具のおたまや鍋のフタ、ゾンビ化前の老夫婦が持っていた杖などで、ボコボコにします。
「いて!」「やめろ!」「なにすん!」「いてえ!」メジロは散々な目に遭ってますが、広辞苑の振り下ろし攻撃が重量的に一番キツそうです。
そんな騒動の中、ゆりが、かもめに駆け寄ります。かもめの両手を取って、
「かもめ! 大丈夫!? ごめんね、はぐれてごめんね!」
ぎゅっと、かもめを抱き締めます。
「苦しい!」
力強くやりすぎたようです。
「かもめに何をした、この変質者め!」
メジロを数人がかりで押さえつけながら、コルリが、問い質します。
「何もしてねえよ!」
メジロは、すでに、ガムテープでぐるぐる巻きにされています。
その時ふと、顔をのぞき込んだツバメが、見覚えのある顔に気づきます、
「ちょっと待って! こいつ、メジロだよ!」
その声を合図に、みんなは、動きが一瞬止まりました。
ツバメ以外も、メジロの顔をのぞき込みます。色白です。色気はないです。
「色が白い……メジロ? もしかして、柿本メジロ?」
クイナが、ようやく自分の記憶の中から、該当する人にたどり着いたようです。
「悪い!?」
みんなが顔を見合わせます。やっちまった、って感じで。
「まあ、でも」
「変質者には変わりないし」
と、再びタコ殴りが再開されました。
「やめろーーーー!」
メジロが、飛び跳ねて暴れ回って、力づくでみんなを振りほどきました。
みんなは、そっぽを向いて、乱れた髪を軽く整えて、今し方まで何をしていたのか、ごまかしました。
成功です。
「ごまかせてねえよ!」
どうやら、メジロには通じなかったようです。体中にまかれているガムテープを剥がしながら、服に付いた埃を払います。
メジロの前にずい、と歩を進めたのは、ツグミです。
「出ていって」
その言葉を鼻で笑いながら、自嘲気味にメジロが答えます。
「歓迎されてないなあ」
「ゾンビウイルスの保菌者は、外に出す。これはここのルールなんです」
少し緊張気味に、でもしっかりと、ツグミが説明します。広辞苑を構えながら。
「相変わらず頭が固いね、ツグミは。なんで僕が保菌者だと思うの?」
「感染してないの?」
「もちろん」
スズメの質問に、メジロは〇秒で答えました。自信満々に。でも、どれだけ自信があっても、ただの自己申告は証拠になりません。
「外はゾンビだらけの世界なのに、どうやってここまできたの?」
「道を空けてくれたよ。けっこう親切だよね」
「茶化さないでよ」
軽口の冗談は、あまりツグミには通じません。
もちろん、メジロはわかっててからかっているんですけど。
小さく肩をすくめて、
「ゾンビにも弱点はある。撃退はできなくても、逃げる方法くらい何とかなる」
ゾンビの弱点。それは——
「ゾンビは、動くものしか認識できない」
コルリが補足します。そう、それは、ゾンビのルール。
「BINGO! よく知ってるね。そう、ゾンビの前では、動かずじっとしていればいい。ゾンビの目線がそれたら、少しずつ動く。それだけで、襲われずに移動することが可能なんだよ」
ということは、メジロは、このゾンビだらけの世界の中を、止まったり動いたりしながら、少しずつ進んできたと言っているのです。どれほど大変だったことか。もちろん、
「集合日時は、一週間前だったはずでしょ。なんで今ごろになって来たの?」
大変な時間がかかったのも、無理ありません。
「ちょっと、寝坊しちゃったかな」
おそらく、ツグミの疑問は、「今ごろになって、なぜわざわざ危険を冒してここに来たのか?」ということだと思うのですが、さっきから、まるでアメリカンジョークのように軽口で答えるのは、アメリカ在住だからなのか、性格がそうさせるのか、判断が難しいところです。
「時間を守らない人は嫌いです」
質問の真意をはぐらかされて、それでも、ツグミは、ぷいとそっぽを向きながらも、回答を合わせました。議論するつもりはないようです。
「どうするの。追い出すの?」
ツバメとしては、半分くらいどうでもいいという感じで、実際にどうでもいいのでしょう。
「どっちにしても、保菌者の可能性はあるんだし、外に追い出すことはしないにしても、三日間は、様子を見ないといけないんじゃない?」
「ゾンビウイルスは、最長三日で発症する。三日かかっても発症しなければ、感染はしていない、ってことね」
クイナとしては、あくまでも理屈として考えられることを延べ、コルリの補足もあって、みんなは一応、それで納得したようです。
「じゃあ、とりあえず合流ってことで。いいかな?」
メジロが、にやりと笑います。
「いや、聞きたいことはまだあるんだけど」
キジの言葉に、
「なんでもどうぞ」
と、促します。キジが、ずいとメジロの前に歩み寄り、視線を強く突きつけながら、
「あんた、ここに来たのは夕べだよね? なんで、ずっとこそこそ身を隠してたの?」
その質問に、メジロは真っ向から視線を返します。
沈黙。ほんの一瞬だけ。
メジロが、小さく息を吐いて、
「最初はドアを叩いてたのに、お前らが扉を開けてくれなかったんでしょ」
「お前って言わないで」
ツグミの指摘に、OKOKと返しつつ、
「おたくさま方が、ドアを開けてくれなかったんですのよ?」
より嫌味な言い方に呼称を変え、みんなは若干イラッとしましたが、ツグミとしては、自分の意見が通ったので、ちょっと満足げです。
「それは確かに。でも、警戒する気持ちだって分かるでしょ?」
呼称なんてどうでもいいスズメが、聞くと、
「もちろん! ゆっても、不審者だからね」
自らを不審者と名乗るメジロでした。
「でも、結局どこから入ったの?」と、ツバメ。
「喫茶コーナーの勝手口の鍵が開いてたから、そこから」
緊張感が走ります。鍵が開いていた!? まさか!?
「ああ、違うよ。鍵が開いてるんじゃないよ。鍵が壊れてたんだよ」
何でもないという風に言いますが、本当なら大問題です。
「調べに行かなきゃ!」
ツグミが急いで行こうとしますが、メジロが止めます。
「大丈夫。とりあえず、針金でぐるぐる巻きにして閉めといたから。不安なら、確認してきてもいいとは思うけど」
ひとまず、みんなはほっとしました。
「お礼を言った方がいい?」
「お好きに」
「じゃあ、ありがとう」
にやりと答えるメジロに、ぺこりと頭を下げるツグミ。
ツグミもそろそろ、警戒心が薄れてきたようです。
「まだ答えを聞いてないよ。どうして、半日以上も、姿を潜めていたの?」
キジは、あくまでもそこにこだわります。挑戦的に、敵意を持って。
その意味を、みんなはなんとなく察しています。
キジは、メジロが嫌いでした。キジは、モテます。必要以上に。だけど、男性からモテても、女性からの支持はあまりありませんでした。幼なじみのコルリと、ツバメの二人は親友だったけど、逆に言うと、その二人以外に、本当に心を許せる同性の友人はいなかったのです。
「それ、真面目に答えるべき? あんたに?」
メジロは、挑戦的に、まっすぐ目線を投げてきます。
女性からの圧倒的な支持を、小学生の頃に既に確立して、男子からは男扱いされ、自由に男女問わず楽しく遊んでいたメジロは、キジにとって、感覚的に好きになれない人であり、同時に憧れでした。そのせいか、キジはメジロにはついきつく当たってしまうことが多かったのです。
その行動のいくつかで、世間では、「いじめ」と認定する可能性もある行為が、当時、行われていたのかもしれません。あまり、褒められた話ではありませんが。もちろん、人に大きな声で言う話でもありません。
だから、この半日、できるだけキジと顔を合わせないようにしていた。
メジロは、そう言っているのかも知れません。
「まあ、いいよ。わかった」
しっかり見据えていた目線を先に外したのは、キジの方でした。
「Thanks」
妙にいい発音で、メジロが応えます。
とすると、次の疑問が出てきます。
「ねえ、メジロはさ、なんでそこまでしてここに来たの?」
利害関係に一切ないスズメが、余計な探りもなく、屈託なく聞きます。
「おいおい。小学生の時に埋めたタイムカプセルを開けるから集合しろって言ったのは、お前ら……おたくさま方でございましょ?」
ツグミの視線を感じて、わざわざちゃんと言い直したことに、ツグミは満足しました。うんうんと頷いています。
この一連のメジロに関する追求の中、ゆりは、ずっとかもめの様子を見ていました。そのかもめが、ゆりに、話しかけます。
「ねえ、寒くない?」
「今日はちょっと暖かい方だと思うけど」
二人だけの会話でしたが、ツグミが、
「雨でも降るのかな」
会話を拾います。実際に、日は落ちてきているとは言え、まだ春の陽気が残っています。
「そうだよね、ちょっと寒いよね」
でも、かもめは、身体を震わせます。
「かもめ? お前、大丈夫か?」
なんでもない。なんでもあるはずがない。
「ごめんね、寒い。寒い」
「かもめちゃん、なんか、様子おかしくない?」
スズメが、異変に気づきました。なんでもないなんてことはない。
「まさか」と、ツグミ。
「かもめちゃん、何日か前に、外をうろついてた子犬を保護しようとして、外に出たことがあったよね……?」
まさに、喫茶コーナーの勝手口から、かもめが、「出ようとしていた」ことがありました。
その時は、確か——
「あのときは、みんなで止めたはず」
ゆりが言ったことは、正確ではありませんでした。
「止める前に、外に出てた可能性はない?」
キジが指摘した可能性こそが、事実だったのです。
かもめは、一人で喫茶コーナーで食料の備蓄を確認しているとき、窓の外に、一匹の子犬が彷徨って、くぅーんと鳴いている声を聞きました。家で犬を飼っているかもめは、弱っている犬を放っておけませんでした。すぐに勝手口のドアを開け、周りを確認しつつ、犬に駆け寄りました。
すると、その犬が、かもめに向かって飛びかかってきたのです。かもめは、避けました。
いえ、避けたつもりでした。でしたが、左腕に、軽く引っかかれた痛みを感じました。勝手口のドアを戻り、慌てて勢いよく閉めたところ、鍵が壊れてしまったのです。
その鍵をなんとかしようと、ドアノブに手を伸ばしたとき、物音に気づいたゆりたちがやってきました。
「なにやってるの!?」
「あの、外に、犬がいて……」
「開けちゃダメだよ!」
「ドアに触らないで!」
かもめは、動きをストップさせ、観念したように、ゆっくりと両手を挙げて、大人しくみんなに捕まりました。
ゆりたちには、「かもめが外にいる犬を気にして、外に出ようとしていた」ように見えました。しかし、事実は逆でした。かもめは、既に外に出て、しかも、ゾンビ犬の牙で、傷を負っていたのです。小さな小さなかすり傷ですが。
それでもそれは、人間を人間ではなくする傷です。潜伏期間は、最長三日。
ウイルスに侵され、症状が現れてくると、寒気を感じ、五感の機能が低下していきます。肌の感覚が失われ、耳が聞こえにくくなり、視界がぼやけ、においも味も感じにくくなります。
「寒い……」
かもめが、ぶるぶる震えます。
じりっ。周りのみんなが、警戒して一歩、いや、三歩分くらい離れました。
ゆり以外。
「かもめ……嘘でしょ?」
「ゆり。離れて」
ツグミが、ゆりを引き剥がそうとして手を伸ばしますが、ゆりは、そのツグミの手をはねのけます。逆に、ゆりはかもめにつかみかかります。
「ゆり!」
「かもめ!」
ツグミの声をかき消すほどの、大きなゆりの声。でも、もうかもめには、聞こえていないようでした。
顔面蒼白、つまり、血色が悪く、青白い顔をしていたのです。
「寒いよ……」
その言葉をきっかけに、かもめは、ガクッと首を落としました。
次の瞬間——
かもめは、大きく口を開いて、ゆりに襲いかかりました。
ツグミとクイナが、かもめの両脇から、かもめを押さえます。が、止まりません。メジロとスズメも、必死になって止めます。
ゆりもゆりで、かもめに近寄ろうとしますが、キジとコルリが止めます。
「かもめ! かもめ!」
どれほど呼びかけても、かもめは応えません。ただ、ゆりに向かってくるだけです。
「ゆり、離れて!」
キジが、ゆりを無理矢理、力ずくで引き剥がします。
「感染してる。間違いない!」
メジロの見立ては、もう、周知の事実です。でも、認めたくない人がいます。
「やだ、やだよ、かもめ!」
キジたちに、床に押さえつけられながら、ゆりは、かもめに呼びかけます。
「外に出そう!」
ツグミの提案に、クイナが、
「でも、ここ、地下だよ!」
と言いますが、やるべきことをやらないといけないのです。
「なんとか連れて行くしかない!」
「やめてよ! かもめだよ? 友達だよ?」
ゆりの気持ちは、みんなわかっているんです。ただし——
「友達でも、今はゾンビなの! わかって!」
クイナの言葉が、全てでした。
メジロが、かもめを背後から羽交い締めにし、暴れ回る両手と両足を、ツグミ、クイナ、スズメ、ツバメで押さえながら、持ち上げて上階への階段に運びます。
一四八cm、三八kg。
幸いにして、かもめは、この中で一番からだが小さく、体重も軽かったのです。四人がかりで押さえながら、一階エントランスまで運び、入り口のドアを開け、外に放り出す。
事実としてはそれだけでしたが、実際の作業は、困難を極めました。
途中、キジとコルリが押さえていたゆりが、力ずくで二人を振りほどき、エントランスに向かいました。必死で走って、なんとか、エントランスへ。
まさに、大暴れするかもめが、外に出された瞬間。
外のゾンビたちが、エントランスの騒動に気づいて、ゆっくりと近寄ってきます。かもめもまた、なんとかして館内に戻ろうと、いえ、そこにいる生きた人間に襲いかかろうと、手を伸ばしてきます。
それを、鍋のフタで防ぎ、おたまでかもめの頭を叩きながら、ドアの外に追い出そうとしていました。
ゆりが、ドアに飛びつこうとしましたが、後から追いかけてきたキジが、ゆりを掴んで、そのせいで、ゆりの手は、ドアに届きませんでした。
ドアは閉じられました。かもめは、外に。
しばらく、かもめは、ドアをひっかくようにうごめいていましたが、みんなで必死になってドアを閉め続けていた結果、やがて、ドアを離れ、庭をうごめくゾンビたちの群れに、そのまま入っていきました。
ゆりは呆然として、その場にへたり込みました。
「なんで止めたの!? それでも友達なの?」
いったん落ち着いてから、全員、四階に集まりました。
ゆりは、全員を睨みつけて言いました。
まるで、今にも全員を殺さんばかりの鋭い目線で。
その睨まれているみんなにしても、晴れやかな顔をしているわけではもちろんありません。この図書館の中から、犠牲者が出たのです。
「気持ちはわかるけど、今はこらえて。お願い、ゆり」
ため息をつきながら、ツバメがそう言いますが、
「やだよ! ツバメだって、キジが同じ目に遭ったら、どうするの?」
「それは——」
ゆりたちだって気づいていました。キジとツバメが、付き合っていると言うことくらい。
とはいえ、ツバメにとっては、一度は、心が離れそうになった相手。
だけど、やっぱり——
「私が同じ目に遭ったら、見捨てて。お願いだから」
ツバメの気持ちを知ってか知らずか、キジは、むしろ突っぱねるように言い放ちます。
「そんな、そんなのって——」
ツバメは返答することができず、ゆりは言葉を飲み込むことしかできませんでした。
少しばかりの沈黙ののち——
「ねえ。助かる方法、探してみない?」
思い切ったように、スズメが、予想外の提案をしてきました。
みんな、何を言われたのか、一瞬、よくわかりませんでした。
「そんな方法があるの?」
コルリは、思いも寄らなかったという風に聞きます。
ところが、それに応えたのは、スズメではなく、メジロでした。
「ないこともない」
みんなは、ざわつきました。
あったらいいなという希望頼みの言葉ではなく、あるかも知れないという、現実感を伴った言い方……でも、まさか……?
助かる方法、というのが、どんなものなのか。
生き残った人間が助かる方法? ゾンビになった人が助かる方法?
この場にいた人たちで、そのことを把握している人がいたわけじゃありません。ただ、それぞれに、「助かる」という言葉を、解釈しました。
「本当に? かもめを助けられるの?」
ゆりにとっては、後者だったようです。
そのことについては、はっきりとは触れず、
「手紙を見つけて。話はそれから」
と、メジロが、一つの提案をしました。
「手紙?」
不思議がるキジに、スズメが頷いて、応えます。
「昔、クラスメイトだった、ノジコが残した手紙」
メジロが、ひゅうっと口笛を吹きます。
「知ってたんだ。やるね」
「本の間に挟まってるのを、偶然、見つけたからね」
どうやら、メジロとスズメだけが、状況を把握していたようです。
それ以外の人たちにとっては、何のことやら分かりません。
「どういうこと?」
「すべての鍵は、桜の木の下にある。この図書館の庭にある、桜の木の下に。僕はね、それを見つけるために、ここに来たんだ」
メジロは、ここにきてやっと、本当のことを言いました。
その話に、ツバメがハッとします。
「それって、小学校卒業の時に私たちが埋めた——」
キジも、気づきました。
「本当なら、一週間前に掘り返す予定だった——」
「タイムカプセル?」
ゆりの言葉に、メジロは、大きく頷きました。
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