第3話
ドンドンドンドンドン!
七日目の深夜、既に八日目に日付が変わった頃。
みんなは、それぞれの部屋の中に入り、もう寝る予定で、電気も消していました。自家発電ができるとは言え、電気の無駄使いはよくないので、夜はあまり活動しないように注意しているのです。だから、夜はみんな静かです。
静寂。
部屋の中からは、誰も出てきません。
寝静まっているのでしょうか?
ドンドンドンドンドン!
再び、静寂を破る音が、しんとした図書館の中に響きます。
しかし、それに対する返答はありません。電気が付いたりドアが開いたりといった反応もなく、ただただ、静けさだけが辺りを支配していました。
大きなバッグを抱えたシルエットが、図書館の入り口からゆっくりと離れていきます。辺りを見回して、物音を最小限にするよう気をつけながら。そろり、そろりと、シルエットは入り口から離れていきました。
それからしばらく経って。
小さな灯りの線が、上の階からフラフラと壁沿いに漂ってきました。
ペンライトの頼りない灯りです。二本。恐る恐る、建物中央を貫く階段を降りてくるのは、ゆりとかもめでした。二人は息を潜めながら、ゆっくりと、館内を歩きます。
ゆりは、キョロキョロしながら、緊張した面持ちで、ペンライトの明かりもぶるぶる震えていました。その姿を、真後ろにくっついて歩いているかもめは、変な動きをする小動物を見るような気持ちになっていました。しかも、おびえている小動物です。
身長一七〇cmを越えるゆりと、一五〇cm以下のかもめが並んで立つと、まるで大人と子どもですが、態度としては明らかに逆でした。
かもめは、ガクガクぶるぶる震えるゆりの背中に、人差し指を軽くあてがい、ツツーーッと腰の辺りまでなでさすりました。ひゃあ!
「くぁwせdrftgyふじこlp」
全身に鳥肌が立ったゆりは、あられもない悲鳴を上げようとしましたが、音を出すとやばいという自制心が働き、意味不明な、言葉にならない言葉を発しました。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
かもめも、似たような声にならない悲鳴を上げました。
「なんで、驚かした方が驚いてんの!」
ウィスパーな声で、ゆりがかもめに抗議します。
「だって! 現実でそんな訳のわからない悲鳴上げる人なんて見たことないし! 何、どうやってその音出したの!?」
かもめは、本気で不思議がっているようでしたが、自分も意味不明な音を出したという自覚はないようです。
「遊んでる場合か!」
「OK、OK。遊んでる場合じゃない」
二人とも、どこまで真剣なのかさっぱりわかりません。
「こっち側で音、したよね? 間違いないよね?」
ゆりが、念押しで確認してきますが、事実確認と言うよりも、事実であってほしくない確認のようでした。それが分かっていて、かもめは、改めてゆりをからかいます。
「ついに、この図書館も安全ではなくなったかなー」
「やめてよ!」
かもめが、にやりと笑います。邪悪に。
「あれれれれー? 怖いのー?」
「怖いに決まってるでしょ。だって、ゾンビだよ?」
ところが、かもめにはそうではなかったようです。
「そうとは限らないでしょ。助けを求める人かもしれないし」
と、ペンライトをあちらこちらに向けながら、簡単に捜索を終了しようとします。その態度は、ゆりにとっては不満でした。
「この間もそう言って、子犬を助けるために、外に出ようとしたでしょ。ダメだからね。みんなで決めたことは守って」
「はいはい」
「ちゃんと守って」
ゆりは真剣でした。かもめは欧米人が良くやるように、わざとらしく肩をすくめて、
「なんだか、ツグミみたい。ルール大好き真面目人間」
と茶化しましたが、ゆりには通じませんでした。一つ大きなため息をついて、
「『外で何が起きていようと、一切関知しない。今は非常時なのだ』」
「そう。だから——」
ゆりが言葉を継ごうとしたとき、
ドンドンドンドンドン!
再び、入り口を叩く音が聞こえました。
その瞬間、ゆりもかもめも大パニックに陥り、やはり声にならない悲鳴を上げて、それぞれ別々の方向に走り出してしまいました。
先ほど、入り口から中をのぞき込んでいたシルエットが、再び入り口の前に現れました。ゆっくりと、辺りを警戒します。ゆっくり、ゆっくり。一度バッグを持ち直してから、また、入り口を通り過ぎました。
また、階上から懐中電灯の灯りが降りてきました。今度は、三つ。コルリと、キジと、ツバメでした。ツバメは、ビクビク震えながらキジにしがみつき、キジもまた、ツバメの手を握って、二人は寄り添っていました。一人、後ろからついて行くコルリが、キジにしがみつきました。
「……二人とも、もう少し離れてくれるかな?」
キジが、とても歩きにくそうにしながら言いました。が。
「やだ!」
コルリは、即答で断ります。
「大きな声出さないの!」
と、ツバメが文句を言って、コルリをキジから突き放しました。そのくせちゃっかり、自分は、キジにしがみついたままです。
「ツバメも離れなさいよ!」
「やだ」
ツバメは、より一層、キジにしがみつきます。キジは、ため息をついて、
「ねえ、二人とも離れてって言わなかったっけ?」
と言いますが、ツバメもコルリも、都合よく聞こえていないようです。
結果、キジの左腕にツバメ、右腕にコルリが、それぞれしがみつく格好になりました。おかげで、ツバメが持っている懐中電灯は、あらぬ方向を照らすことしかできなくなりました。やれやれです。
「ところでさ」
キジにしがみついたまま、コルリが話します。
「いつ二人は『ヴェニスの商人』を観に行ったの?」
キジの身体が、緊張でこわばったのを感じました。演劇を見たとは言ったけど、二人で行ったとは言ってないのに……なんで? と、キジとツバメは不思議に思いました。
「いつって、先月だけど」
キジが、何もやましいことはしないんだからと思って、正しい情報を吐き出しました。つまり、「二人で行ったこと」は、認めたことになります。
コルリには内緒にしてたのに。
「ふーん。二人でねえ」
ツバメが、顔を背けます。顔を見ることができない。
「だってあんた、誘っても断るじゃん。『そんな堅苦しいもの、見てるだけで疲れちゃう』とか言って」
顔を見ずに、ツバメは抗弁します。コルリからの視線は感じています。
「確かに、もし誘われても断ったかも。でもさ——」
普段のコルリは、明るい。とにかく、テンションが高い。こんなに冷静に追求してくるのは、あまりないことなのです。
「でも、なに?」
返答を聞くのが、少し怖い。
「隠し事って、どうなんだろうね」
正論に、二人は口をつぐむことしかできませんでした。
きいぃ……きぃ。
どこかの扉が開かれて……静かに閉まりました。
少なくとも三人には、そういう音に聞こえました。
こわばるキジ、ツバメ、コルリ。三人で、お互いにしがみつきました。ただし、誰が誰の手を掴んでいるのかは、はっきりしていません。
「……何か中に入ってきた?」
ツバメの疑問は、「何か」でした。「誰か」ではなく、ある特定の、「何か」。
「わかんない。わかんないから、できるだけ離れないようにしよう」
そう言いながら、キジはコルリとツバメのどちらの手もしっかり握っています。誰だろう? 汗ばんでるな。私? そんな心の声が漏れ出てきそうです。
「きゃー、こわーい」
キジと手をつなげてテンションが上がったコルリが、ふざけた声を出しました。
「このお調子者!」
ツバメがいらだちを感じてコルリを責めました。
懐中電灯の灯りを頼りに、三人は、音がした方向とは別の方向に行きました。
ひとまず、この状況から逃げたかったのです。
喫茶コーナーに通じる裏口から、シルエットが侵入してきました。大きなバッグを、ドスンと床に置きます。とても重そうです。ふうっ、と一息ついて、辺りをキョロキョロと見渡します。
一階は、喫茶コーナーと受付がメインですが、新刊書などの書棚もあります。普段は、その日の新聞や最新の雑誌などを常備しており、喫茶コーナーでくつろぎながら閲覧することができます。ただし、ここに今置いてあるのは、一週間前のものです。そして、最新号に更新されることは、きっともうないのでしょう。
シルエットが、暗闇の中で書棚を物色します。
何冊か手に取り、パラパラとめくります。めくっては放り捨て、床に本が散乱していきます。
そのうち、受付にある館内見取り図を確認したシルエットは、地下への階段を探して、降りていきます。ゆっくり。音を立てずに。
地下は、閉架式書庫になっていて、通常は一般立ち入りは許可がないとできません。書庫には、主に、持ち出し禁止の本、発行部数の少ない希少な本や、稀覯本、近隣住民から寄贈された古書などなど、貴重な書物類が収められています。本が好きなら、たまらないところです。古びた書物の放つ、独特の匂いも、マニアにとっては、甘美なパヒュームです。
シルエットは、そこでも、本を物色して、取り出してはパラパラめくって、本を投げ捨てます。罰当たりめ!
そのうち、一冊の本で、手を止めました。本の間に、封筒が一通、挟まれていたのです。中は分厚く、パンパンになっていました。
シルエットは、封筒をズボンのポケットに入れました。
その時、物音を聞きつけたのか、地下への入り口付近で、足音が聞こえました。シルエットが、音と気配を消して、書棚に隠れます。
やってきたのは、クイナとツグミでした。懐中電灯と、ツグミは、大きな辞書を持っています。
辺りを警戒しながら真剣な顔で辞書を持ち、ゆっくりと歩くツグミに、クイナが問い質します。
「あのさ、一つ聞いてもいい?」
「一つだけだよ」
「あ、うん、一つでいいんだけど、えっと、それ、何?」
と、ツグミが持っている辞書を指さして聞きます。
「? 広辞苑」
「当たり前じゃん、バカなの?」とでも、声には出さないが、はっきり顔に書いてある状態で、ツグミが返答する。もちろん、クイナも、それが辞書であることは了解しています。
「じゃなくて……もしかして、武器?」
思い当たる可能性の中で、一番馬鹿馬鹿しいものを選択して訊いてみた。
すると、ツグミは、なぜか得意げに誇らしげに、
「本の角の殺傷能力は、想像を超える」
と、ふふんと鼻息も荒く、主張した。あー。
「あのさ、私、もしかしてツグミのこと、ずっと誤解してたかもしんない」
そう言われても、ツグミは何が何やら分かりません。
「何のこと?」
きょとんとしたその顔を見て、クイナは、くっくっと笑いを堪えることができず、
「いや、何でもない。いいよ。すげーいいよ、ツグミ」
「何が? ねえ、何が?」
ツグミは、本気で訳が分からなくて問い質しますが、クイナは応えず、声を押し殺しながら笑い続け、やがて二人は、そろりそろりと辺りを見回しながら、地下の書庫を徘徊し、上階に戻っていきました。
そこまでの経緯を見定めてから、シルエットが、隠れていた書棚のそばからゆっくり出てきました。
その反対側の書棚から、別のシルエットが出てきました。こちらのシルエットは、懐中電灯を持ち、書棚の本を物色し始めました。しかし、こちらのシルエットは、目的の場所は分かっているとばかりに、一直線に書棚に近寄り、先程のシルエットが物色していた棚にたどり着きました。ところが、目当てのものがそこになかったのです。
慌てた二人目のシルエットは、懐中電灯で周りを探します。床に、本が散乱しています。
拾おうとしたとき、一人目のシルエットが隠れていたところで、近くにあった本を落としてしまい、物音を立ててしまいます。
「誰!?」
驚いた二人目のシルエットは、持っていた懐中電灯を周りに向けました。
が、静寂。
どちらのシルエットも、動けなくなりました。
そこに、上階から降りてくる人たちがいました。コルリ、ツバメ、キジの三人でした。
三人は、そこにいた二人目のシルエットの顔に、同時に懐中電灯を向けました。
「○×△☆♯♭●□▲★※!」
突然の灯りに目潰しを喰らって、声にならない悲鳴を上げたのは、誰あろう、
「スズメ!?」
キジが言うとおり、スズメでした
「そんなに驚かないでよ。こっちがおしっこちびっちゃうでしょ!」
といいながら、コルリが自分の股を確認します。隣にいたツバメに、小さな声で、「ちょっと漏れてる……」と報告して、ツバメに嫌な顔をされました。
「なんだ、あんたらか」
むしろ落ち着いて、スズメは言います。でも、放っておく訳にはいきません。
「一人で動かないでよ。危険だから」
キジが、注意をしますが、スズメは聞く気はありません。
「大丈夫」
「でも、何者かが侵入したかも知れないから、気をつけないと」
「わかってる!」
言えば言うほど、機嫌を損ねそうです。キジとしても、そこまでかたくななスズメに、忠告を続ける義理はありませんでした。
「そう。じゃあ、勝手にすれば」
「最初からそのつもり」
険悪になりそうな二人のムードに、ツバメが言葉を差し挟みました、
「何か探しものなの?」
ツバメの疑問に、
「ちょっとね」
とだけ答え、
「地下は大丈夫だから、上の方探してよ」
と、スズメは突っぱねました。
「何かあったら、大きな声出してね」
キジは、心配している言葉を言っているようでありながら、聞き分けのないスズメと一緒のところにいたくなくて、むしろ、シャットアウトしました。珍しく不機嫌になって、ツバメとコルリと、その場を後にしました。ツバメとコルリも、慌てて後を追いかけます。
スズメが、床に落ちていた本を確認して、一冊の本を見つけました、それは、お目当ての本でした。本を手に取って、中を見たところ、
「ない! ない!」
あるはずのものがなく、パニックになってしまいました。
スズメは、改めて周囲を確認します。
一人目のシルエットもまた、その場を立ち去ろうと動こうとしました。
ところが、どちらかが焦りすぎたのか、お尻とお尻がごっつんこしてしまいました。
二人そろって、悲鳴を上げましたが、焦ったシルエットは、そのまま、逃げ出しました。
そこに、上階からクイナとツグミがやってきました。
「大丈夫!?」
ツグミが心からの心配で訪ねると、
「誰か、誰かいた!」
スズメの言葉で、クイナには、確信が持てました。
「侵入者だ!」
八日目は、まだ始まったばかりなのです。
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