第2話
「ねえ! 聞いてよ! ねえってば!」
わいわい騒ぐ七人の女の子たちを前に、緊張した面持ちで立っているのは、ツグミちゃんです。大きなメガネが、とってもキュートです。
七日目、図書館に立て籠もった八人は、昨日に引き続き、本の読み聞かせをするために、四階の、こどもおはなしのへやに集まっていました。
最初の発表者は、ツグミ。ものすごく真面目な彼女が選んだのは、『聖書』。別にツグミがキリスト教徒なわけでもなく、むしろ、無宗教の典型のような日本人だけど、昔から、特に『旧約聖書』の神話の部分は面白いと思っていたらしく、一生懸命調べて、発表してくれました。
ツグミは本当に真面目で、発表が決まってから、模造紙にイラストや図解などを書いて、万全の準備で発表に臨みました。準備の段階で、とにかくウキウキしながら、楽しそうに作っていたのです。
「一日目、神は天と地を作ろうと思い立ったんです。そのために、まず神は、「光あれ」と言った。光ができたから昼と夜ができて、一日ができた。二日目に神は、水と空を分けて、三日目には、水が海に、それ以外が大地になったの。四日目には、季節を作り、太陽と月ができた。五日目、水の中に魚と、空には鳥、生き物を作り始めた。そして六日目、地上に人間を始めとした生き物を作った。これで、天地が完成し、神様の天地創造は終了した」
ところが、ツグミちゃん。極度のあがり症で、緊張しすぎて、発表では、ミスをしまくりました。話の順番を間違え、自分で作った原稿を読み上げるときに舌を噛み、滑舌は怪しく、せっかく用意した模造紙を、自分の指で指し示そうとして、勢い余って破ってしまう始末です。
だんだん、みんなも、ツグミの発表する内容よりも、ツグミ自体を楽しみに発表を見るようになり、わいわい騒ぎ始めてしまいました。女子が集まると、本当に賑やかになりますからね。いい悪いはともかくですよ。
「七日目は?」
はい、と手を挙げて、ツバメが質問しました。
「いい質問ですねえ!」と前置きして、ツグミが答えました。
「七日目は、頑張って働いたから、お休みにしたんです。これで、一週間ができたというわけなんですよ!」
おおー、なるほど、と、みんなから納得の声が出てきました。ツグミちゃんが得意げな顔になっています。
「聖書って、そんなところから書かれてたんだね! 全然知らなかったよ!」
「存在は知ってても、手に取ったことないし、まともに読んだことないからね」
コルリとキジが、感心したように話をします。二人はいつも仲がいいのです。
「一応、世界一のベストセラーだよ。けっこう面白いでしょ?」
ツグミは、発表そのものに、ちょっと興奮していました。
そもそも聖書を手に取ったのは、アニメで旧約聖書の神話部分をモチーフにしたものを見てから興味が出たから、ということは、内緒にしていた。自分がアニメオタクだということは、あまり公言していないのです。割とバレてるし、隠せてないし、別に隠す必要もないことなのですが、真面目なツグミとしては、真面目なツグミのイメージがあるので、隠さなければならないと思い込んでいるようです。
「さすが学級委員」
そのクイナの言葉に、ツグミはちょっとだけむっとしました。
「こんな機会でもないと、読むことなんてなかったんだろうなあ」
クイナは、あまり意図したわけではなかったと思いますが、ツグミとしては、あまり真面目だから、とか学級委員だから、とか、という言われ方をされるのが好きじゃないのです。
何かしら反応しようとしていたら、かもめが、
「読んでないじゃん。読み聞かせてもらっただけじゃん」
と、ケタケタ笑いながら、すかさずツッコんでくれました。
「そりゃそうだけど」
クイナも、それ以上は特に何も言いませんでした。
その後も、ツグミは、『聖書』について、調べた限りのことを発表しました。いろんなトラブルがあったものの、最後まで頑張って発表し、なんとか無事、終えることができました。
ようやく、ほっとした表情になりつつ、たくさん失敗してうまくできなかったことを、ツグミは反省していました。それでも、頑張ってやったという手応えはあったようです。
それから、気になったことの質問などを、ツグミはたくさん受け、その一つ一つに、一生懸命、分かる限り丁寧に答えました。
「じゃあ、ツグミの発表はこれで終わりかな。ありがとう、ツグミ!」
キジが仕切って、ツグミが、
「ご静聴! ありがとうございました!」
メガネを外して、深々と頭を下げます。
みんなが、大きな拍手をしてくれました。満足げに、ツグミは片付けをして、今度は発表を聞くために座りました。
「じゃあ、次はツバメ。お願いします!」
次の発表者、ツバメちゃんに交替です。笑顔がカワイイ。
ツバメは、薄い文庫本一冊を持って、みんなの前に立ちました。
「はい! それじゃあ、私の発表ですが、私は、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』を選びました! みんな知ってる?」
知ってるかと聞かれて、みんなは、知ってるだの知らないだの、わいわい騒ぎ始めます。
かもめが手を挙げて、
「ヴェニスの商人って、あの、悪そうな商人だよね?」
そのかもめを指さして、
「わかる! 最初はそう思うよね!」
と同意しておいて、
「でも、ちょっと違う。かもめが言ってるのは、ユダヤの金貸しシャイロックだと思うんだけど、あれは主役じゃない。むしろ、純然たる悪役として、コテンパンにやられるために出てくる登場人物なの!」
ツバメとしては、まさにいい指摘だったと言わんばかりに興奮して返答したのです。
「そうなの!? なんか、演劇のポスターとかだと、偉そうにしてない? そんなイメージあるよね?」
コルリが、訳が分からないといった感じで、みんなにも同意を求めるように話します。
我が意を得たとばかりに得意になって、ツバメが答えます。
「わかるー。でも、もともとは、悪役として作られたキャラクターだったし、メインのお話も、ちゃんと主役の商人アントーニオのお話になってるんだ」
「悪役シャイロックを、喜劇的に描くのではなく、悲劇的な登場人物と見なして上演した結果、いつの間にかそのシャイロックの方が、存在感が大きくなったんだよね」
ところがなぜか、その続きを、クイナが話し始めてしまいました。
これには、ツバメもちょっと怒ります。
「人の発表、横取りしないでよ」
ちょっとふてくされたところも可愛いのは、ツバメちゃんの特権です。
「あー、もうやる気なくしたー」
こうなると、悪者はクイナです。
「空気読めよ、クイナ」
「そうだそうだ!」
かもめとゆりが、クイナを責めます。楽しそうに。
言われたクイナは、しゅんとなって、
「ごめんなさい」
と謝りました。かもめとゆりにからかわれているのは分かっていたので、他のみんなは、クスクス笑います。
「シャイロックから借りた金を返せなくなったヴェニスの商人アントーニオが、裁判にまでなって、そこに、美貌の貴婦人ポーシャが現れて弁舌を奮い、窮地を救う。そこが見所だよね」
今度は、キジが、続きを話しましたが、驚いたのは、コルリでした。
「すんごい詳しいね」
「だって、観に行ったことあるから。演劇」
当たり前のように言うキジに、コルリは、
「嘘!……誰と?」
と、疑問を持ちます。コルリとしては、とても気になることなのです。
でも今は、本題はそっちじゃなくて……
「だからー。これは誰の発表だったかな?」
ツバメが、さっきよりも強く怒り始めました。
「ごめんごめん。許して。ね?」
キジが、両手を合わせてごめんのポーズを取り、軽くウインクします。とっても様になってる。でも、
「もういい。完全にやる気なくした」
ツバメちゃんは怒って、発表をやめて座ってしまいました。
みんなは、キジが悪い、いや、最初に口出ししたクイナが悪いと、笑いながら言い合います。
「じゃあ、次、誰がやりますか?」
ツバメがすねてしまったので、ツグミが、さっさと進めようとしました。
その姿を見たゆりが、
「お、さすが。テキパキ進めるねえ」
と他人ごとのように言いましたが、
「次、ゆりやる?」
とかもめに振られて、慌てて否定します。
「いやいやいやいや! わたしは、今日は遠慮しとく。緊張するし」
「ずるい! 私だって緊張したもん!」と、ツグミがブーブー文句を言いましたが、誰にも聞き入れてもらえませんでした。
「じゃあ、私やるー!」
かもめが、両手を挙げて、元気よく立候補しました。
本を持って、みんなの前に立ちます。
「私は、ドイツの文豪ゲーテの『ファウスト』です」
おおー、という声が聞こえてきます。超大作です。
「ゲーテって、たぶん、誰もが知っていながら、誰も読んだことがない作家の代表じゃないかと思うんだけど、『ファウスト』、『若きウェルテルの悩み』は、死ぬまでに一度は読んでおきたい作品だね」
かもめは、小さな身体以上の、誰よりも大きな元気さで、潑溂と発表します。
『ファウスト』の物語の、天上の序曲、悪魔メフィストとの契約、グレートヒェンとの恋、ワルプルギスの夜、などなど、悲劇第一部の物語をかいつまんで説明しました。
みんなは、どこかで聞いたことがある名前や単語に、ちょっとずつ反応していました。マンガやアニメにも、いろいろと影響与えていますからね。
「とはいえ、『ウェルテル』はギリ意味が分かるからともかく、『ファウスト』は、読んだところで意味なんかちんぷんかんぷんなんだけどねえ」
文豪の作品にも、かもめは容赦がありませんでした。
「なんで、ゲーテなんて読んだの?」
スズメの当然の疑問です。
「いい質問だねえ! 待ってたよ、その質問!」
更に元気よく、かもめが答えます。
「『ファウスト』って、実はマンガの神様手塚治虫御大が、三回もマンガにしたことでも知られてるんだけど、他にも、小説とか演劇とか、いろんな作品で、ファウスト博士も悪魔メフィストも、現代に転生している、すごい作品なの!」
普段、勉強どころか本を読むイメージもないかもめから、マンガの神様とか、現代に転生とか、普段使い慣れない言葉が当たり前に出てきて、みんなは少し戸惑いました。
その点を、クイナが問いかけます。
「なんか意外。かもめって、けっこう、本を読んでるんだね。見直したかも」
ところが。
「読んでないよ?」
「そうなの?」と、キジ。
「だって、私が本なんか読むわけないじゃん! マンガならともかく!」
あっさりと自信満々に言って、更にその補足をしてきます。
「これは全部、ゆりから教えてもらったの。ゆりは、住むなら映画館か本屋ってくらいに、本とか架空の物語が好きだから」
と、ゆりに向かって、
「ねえ?」
とうながすと、うながされた当人は、顔を真っ赤にして、
「小学生の時の卒業文集に書いた夢を、こんなところで思い出させるな! 恥ずかしい!」
両手に顔を埋めて、怒り出しました。
その文集なら、ここにいる全員が読んでいるから今更なのですが、本人にとっては、恥ずかしいことだったようです。みんながニヤニヤしている中、
「時代を超えて読み継がれる作品には、力があるんだね!」
ツグミだけは、ゆりをからかうこともなく、
「コメントが真面目かよ!」
と、スズメから馬鹿にされたようにツッコまれてしまいました。
「仕方ないよ! ツグミは、根が真面目な学級委員なんだから」
ツバメがフォローしますが、ツグミは、余計に憮然としてしまいました。
「真面目で何が悪いの」
ぼやくツグミを、みんながまあまあとなだめますが、
「小学校の時の、元学級委員でしかないから。それに、今となっては、どんな肩書きも意味がないし」
最終的に、ツグミがふてくされてしまった結果、みんなは、現実を思い出して黙ってしまいました。
「あーあ、ツグミがすねるから」
と、クイナがからかうと、
「すねてないもん」
余計にすねるツグミちゃんでした。仕方ないなとクイナがため息をついて、
「じゃあ、今日の読書会はここまでかな」
締めに入りました。
「今日も面白かったし、昨日の、『ドリアン・グレイの肖像』も面白かったなあ。私が発表した『変身』はもちろん、『水滸伝』も。名前だけ知ってて、知らない本はたくさんあるんだなあ」
至極当たり前のことを、さも今発見したかのように、コルリは、心底楽しそうにそう話します。キジが、
「なんたってここは、本だけは読み放題だからねー」
と、コルリに同調します。コルリはものすごく喜びましたが、
「でもさ。マンガがもっとあると良かったんだけど」
本来なら本なんか読まないと言い張っているかもめは、思ったことを素直に口にしました。そう言われれば、コルリだって、思いは同じです。
「文学もいいけど、少年アタック読みたいよねえ!」
アタックマンガは、特に近年、日本中で話題になるような化け物級の大ヒットマンガが続出していて、マンガは好きな人たちにとっては、マンガを断たれるのは、なかなか苦しいようです。
「ないものを求めてもしょうがないでしょ。明日は、誰の番?」
キジが大人な意見で、かもめとコルリをいさめて、話を進めます。
「はいはいはいはい!」
元気よく答えたのは、スズメです。
「スズメの予定は何?」
と、聞かれて、スズメは、得意げにふふんと鼻を鳴らしてから、
「まだ教えない。でも、絶対面白いから」
人差し指を唇に当てて、思わせぶりにセクシーに、答えました。そのあまりのセクシーさに、ドキッとしたかもめが、
「気になるう」
と興奮していました。
「じゃあ、今日はこれで解散だね。ゆっくり休んでね」
発表が終わり、わいわい雑談をしながら、各々、部屋に戻りました。それぞれに、仲良しの子たちと一緒に。この後は、しばらく時間を空けて、一階の喫茶コーナーでみんなで食事です。カップ麺などもありますが、まだ残っている食材で、軽く料理を作る予定です。食材も、今はまだ冷蔵庫が生きているからいいとしても、そのうちどうなるか分からないのです。話し合いの結果、カップ麺などの保存の利くものは後回しにして、余裕のあるときには、しっかりごはんを作ろうと言うことになったのです。
みんなでわいわいごはんを作っていると、まるで、合宿か修学旅行かキャンプ、学校行事の延長上の楽しいイベントに来ているみたいでした。ツグミが指示して、ゆりとかもめが悪ふざけをして、コルリとキジと、ツバメが仲良く作業をして、ツグミが包丁を床に落として、クイナがからかって、スズメは一人で黙々と大根をすりおろします。「何に使うの?」と聞かれても、大根があったからすっただけで、特に意味はなかったと言われ、みんなはあ然としましたが、スズメは悪びれもせずに鼻歌交じりに作業を続けていました。仕方ないので、できたものなんにでも大根おろしをぶっかけることになりました。八人は、とても楽しい時間を過ごしたのです。小学生の時から、集まってよく遊んではいましたが、そんなに仲がよかったはずもないのにね。おかしいね。
図書館には本があります。みんなは、最後の瞬間まで、膨大にある本をお互いに読み聞かせることを選びました。もう希望のない世界を忘れるために。壁一枚隔てた向こうでうごめくゾンビの群れを、束の間忘れるために。
こうして、七日目が終わりました。
そして、八日目。
かりそめの平和を乱す、九人目が現れるのです。
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