僕らのリズムを聴いてくれ(全10話)

くまべっち

第1話




 これは、誰にも忘れることのできない、たった十日間の物語。



 ————————



『西暦、二〇XX年、春。人類は、崩壊した』


 一日目、最初の発症者は、東京渋谷の交差点にいました。

 渋谷駅前のスクランブル交差点の横断歩道。人がごった返すその横断歩道を歩行中だったとある女性が、最初の発症者です。

 その人は、歩道を歩いている最中、歩道の真ん中で、周りにたくさん人がいるときに、突然、大きなうめき声を上げたのです。その声に、周りの人たちは、びっくりしました。女性は、ただ声を出しただけじゃありません。そのまま、苦しみだして、バタン! と倒れてしまいました。

 横断歩道の真ん中で、です。しかも、倒れてからも、女性は、うめき、悶え、苦しみ、バタバタと身体を震わせていました。さすがにこれはおかしいと思った人たちが、周りに集まってきました。女性を介抱するためです。それに、このまま歩道にいたら、信号が変わったときに車に轢かれてしまいます。ある人は、駅にくっついている交番に駆け込み、警察官を呼びました。信号が変わる前に、警察官は道路に向かい、交通整理を始めました。

 車に乗っている人たちは、何が何やら分からないし、このままだと何かの予定に遅れると思ったのか、単にイライラしたのか、たくさんクラクションを鳴らします。

 女性を介抱しようとしていた人たちは、なんとか、女性をなだめようとしますが、女性は、相変わらずうめき、悶え、苦しみ、バタバタと身体を震わせたままでした。交通整理をしている警察官とは別の警察官も近寄り、女性を介抱し始めました。救急車は、既に呼んでありますが、まだ到着していません。

 歩道にいると危ないので、みんなで力を合わせて、女性を抱きかかえ、駅の方向に連れて行こうと言うことになりました。ところが、女性があまりにも、うめき、悶え、苦しみ、バタバタと身体を震わせ、しかも、それが段々強くなるので、とても手に負えませんでした。警察官は、交通整理をしていた仲間を呼び、力任せに女性を取り押さえようとしました。それでも、なんともなりません。屈強な警察官二人がかりでも、とても大人しくさせることができないのです。なんという力の強い女性でしょうか。でもそれは、元々強い人だったわけじゃないのです。

 ふと、女性の動きが止まりました。その顔は、顔面蒼白。つまり、血色が悪く、青白い顔をしていたのです。一瞬、まるで死んだように大人しくなったかと思うと、再び女性が、動き出しました。動き出した女性は、周りにいる人に抱きつきました。まずは、警察官に。

 女性は、警察官を力一杯抱きしめたかと思うと、そのまま、警察官の顔にかじりつきました。大きく口を開けて。警察官は、反射的に、力任せに女性を振りほどきました。ですが、すでに、警察官の顔は、肉がそげ、頬が破れ、穴が空き、赤黒い血だらけで、口を閉じているのに、歯と歯茎がはっきりと、口の中が見えてしまっています。一瞬遅れて、警察官は、自分がどういう状態になるかを認識しました。襲いかかってきた女性に、顔の肉をかみちぎられたのです。そこで初めて、痛みと恐怖で、悲鳴が出ました。

 警察官は、二〇年も交番勤務をやっているベテランでした、そのベテランが、これまでに様々な事件に当たってきたどの事件よりも、一番大きくて一番恐怖を感じているのが、まさにこの瞬間でした。目の前の女性が、自分のホホ肉を食べている! 一瞬だけ、菜食主義者の人が言っている主張を正確に認識したつもりになりました。牛や豚の肉は何も考えずに食べてきたくせに、自分の肉を食べられるのは、初めてだったのです。

 被害は一人では終わりませんでした。

 警察官の顔が咬みちぎられたのを見て、介抱するために集まっていた人たちは、驚きました。いいえ、驚くなんてもんじゃありません。悲鳴を上げて逃げました。いえ、逃げようとしました。が、女性に捕まってしまいました。青白い顔をした女性は、逃げようとする人たちを捕まえたかと思うと、先ほど警察官にしたように、やっぱりかじりつきました。首筋に、肩に、頭頂部に。どんな場所でも、女性は、すべて、人体の肉を咬みちぎり、咀嚼もそこそこに嚥下し、次の獲物を求めました。

 遠巻きに状況を見ていた人たちは、パニックになりました。

 ですが、本当のパニックは、その後だったのです。

 顔をかじられた警察官が、悲鳴を上げるのをやめました。仲間の警察官が、「大丈夫か!?」と声をかけていました。ところが、顔をかじられた警官は、顔が青白くなり、目の焦点が合わず、様子がおかしくなっていました。仲間の警察官は、異変が起きたことを悟りましたが、時既に遅し。青白くなった警察官が、仲間の鼻にかぶりつきました。先程、自分が女性からやられたように。仲間の警察官は、大きな悲鳴を上げて身体をのけぞらせました。しかしその顔からは、鼻がそげて、半分なくなってしまいました。鼻があったところには、二本の呼吸をするための管状の穴が見えました。それからやがて、鼻をもがれた警察官も、やはり、顔が青白く、また別の人にかじりつくようになるのです。

 同じような症状は、その場にいた、たくさんの人たちに広がっていきました。

 最初の女性に襲われた人たちは、警察官同様、次々に、同じように周りの人を襲うようになりました。襲い方は、状況によって様々でした。噛みつかれたり、爪で引っかかれたり、単純に拳で傷つけられたり、usw……

 スクランブル交差点にいた人たちは、完全なパニック状態になって、散り散りに逃げ惑います。交差点に進入してきていた車は、この光景を不気味に感じながらも、自分の目的地に向かって、進もうとしました。ですが、車だって例外じゃありませんでした。

 車に向かってきた人たちが、車にぶつかり、フロントガラスを割り、そのまま手足を伸ばして車の中に侵入、ドライバーや乗っている人たちにつかみかかるようにして襲ってきました。恐怖を感じて、車を急発進させ、寄ってくる人間たちをどんどんはねた人もいました。

 猛スピードで車が人にぶつかると、人は、五mどころじゃなく、数十mも飛ばされてしまう。車に跳ね飛ばされた人は、反対車線を越えて、遠くへぶっ飛ばされました。ところが、車に跳ね飛ばされたはずなのに、その人は、時間をかけて、ゆっくりと、緩慢な動作ながら、起き上がるではありませんか! しかも、見るからに足や腕の骨が折れています。首の角度がおかしなことになっていますが、自力で治すつもりはないようでした、首、腕、足の骨が折れながら、飽きることなく、周りの人に襲いかかりに行きました。

 同じような症状の人間が、渋谷だけで一気に広がりました。襲われ、傷を付けられた人々は、最初の女性と同じ症状に見舞われました。その数は、次々に増殖していきました。

 中には、襲われたのに、同じ状態にならない人もいました。単に殴打されただけでは、同じ症例にはならなかったようです。同じ状態になるには、条件として、「かすり傷でもいいので出血を伴う傷が付く」ことが必須だったのです。かじられたり、爪で引っかかれたり、といった傷が必要なのです。血液が飛び散り、顔や身体にかかったりしても、それだけでは症状は現れません。

 これにより、傷口から直接体内に侵入する、「ウイルス」の存在が問題だということがわかりました。すなわち、正体不明のウイルスを媒介とした「感染」です。だんだん、渋谷にいた人たちは気づき始めました。ウイルスに感染すると、「周りの人の屍肉を喰らう生ける屍=リビングデッド」=「ゾンビ」になってしまうのだと。

 渋谷は、ゾンビで埋め尽くされました。感染した人たちが、まだ感染していない人たちに襲いかかり、傷を付け、肉を喰らう。ゾンビがゾンビを生み、生きていた人たちは、みんな生ける屍となり、血色のよかった顔が、みんな顔面蒼白になっていくのです。その日渋谷にいた人々は、次々にゾンビになっていき、街中が、ゾンビになるまでに、そう時間はかかりませんでした。


 数時間後、夜のニュースで、マスコミから、女性は、数日前に何らかの感染源からウイルスに冒された、第一号のゾンビだと、政府機関及び東京都から認定されたと報道されました。加えて、渋谷区一帯へ出かけないよう、強く外出自粛及び、飲食店やその他ショッピング施設に対して、時短営業を求めてきました。時短どころか、渋谷の街では、どのお店も営業できなくなりました。もちろん、駅に行っても、電車は止まりません。走っていないのですから。夜明けから、街が政府機関によって封鎖される予定だと報道されていました。

 対応が遅いという批判も、もちろんありました。


 二日目、第一号ゾンビのニュースは、瞬く間に日本全国を駆け巡りました。

 広まったのは情報だけではありません。ゾンビそのものも、次々と指数関数的に増殖していったのです。すなわち、一人が二人に、二人が四人に、四人が一六人に、一六人が二五六人に、二五六人が……感染者は感染者を広げ、渋谷区から新宿区、港区、千代田区、世田谷区……中野区は少し遅れました。放射状に感染は広がっていきましたが、実際には、二三区も二三区外にも、感染者は密かに潜伏し、増殖していきました。東京二三区は、ほぼ感染状況にありました。

 もちろん、大都会・東京のみならず、近隣の関東圏(千葉、埼玉、神奈川、栃木、群馬、茨城)、大阪、名古屋、福岡、札幌、などなどにも、順次波及していきました。特に、大きな空港を抱えている都道府県は、感染が早かったと言われています。人の移動、人の流れが、感染を拡大させるのです。そしてそこから、ゾンビウイルスの感染は、急速に、日本全国を埋め尽くしていきました。

 対岸の火事だと思っていた地方都市にも、ゾンビは増えていったのです。

 報道によれば、被害は、日本だけではなく、世界中で起きているとのことでした。アメリカ、中国、ドイツを始めとしたEU諸国、イギリス、インド、中東、アフリカ……人口が密集している地域ほど、感染が早く、爆発的に広まっていました。何らかの傷を付けられ、感染し、顔が青白くなり、目の焦点が合わなくなり、常に飢餓感を感じ、周りの人間の肉を欲して彷徨うようになる。すでに人間関係は崩壊し、家族、友人・知人、恋人であれ、感染してしまえば、人と人との関係性は崩壊します。ゾンビになった人は、ゾンビではない人たちに襲いかかります。ゾンビになっていない人たちは、襲われ、早い遅いの個人差はありましたが、やがてゾンビになるのです。

 ゾンビに噛まれたり、怪我をさせられた場合、ゾンビになるまでには、若干のタイムラグがありました。その場ですぐゾンビになる人たちもいれば、その場では無事だったのに、家に帰ったり、しばらく時間をおいてから、発症する人もいました。すでに、日本国外での感染について、いくつか判明した情報のうちの一つが、「感染から最長三日で発症する」というものでした。

 何らかの傷が付いた場合、三日以内にゾンビになるが、すぐになるのか三日かかるのかは、ウイルスの感染量及び感染した人間の免疫力や体力なども影響してくるようでした。ひっかき傷を付けられただけの人は、かじられた人よりも発症が遅く、若者よりもお年寄りの方が、傷の程度によらず、感染するとすぐにゾンビ化する人の割合が多かったようです。

「感染者には、近寄らないないようにする」打てる対策はそれ一つでした。

 かろうじて存続していた、地方の報道機関が、そのことを報道しました。感染した人たちには、近寄らないようにする。その呼びかけだけを、繰り返し行っていました。まだゾンビになっていない人たちは、自分がいつゾンビになるのか分からないまま、それでも、何とかなると信じて待ちました。何を待っていたのか、それは、誰にも分かりませんでした。


 しかし、それも長くは保たなかったのです。


 三日目、通信機器が使えなくなりました。

 通信会社の発していた電波が途絶え、スマホも携帯も意味をなさなくなりました。

 それまで、当たり前にあると思っていたものがなくなると、人はどうしていいか分からなくなります。通信機器として使えないのに、スマホも携帯も手放すことはなく、持ち歩いては、画面を確認していました。いくら充電をしていたとしても、そこに、何の連絡も通知も届きはしません。

 自分の知り合いや大事な人たちのことを知りたくても、一度はぐれたら最後、もう連絡を取ることができなくなったのです。手元にあるのは、ちょっと高性能でお手軽なカメラ機能や、音楽再生機能しか持たない道具です。世界で何が起きているのかを知る手段としても使えなくなりました。

 その他、電気、ガス、水道、公共交通機関、ライフラインが断絶しました。

 自家発電設備を備えた施設では、しばらくは対応できそうでしたが、大元の電気自体は復旧しそうにありません。時はまだ肌寒き三月。寒い寒いと身を寄せ合っている人々がたくさんいました。暖房が使えなかったからです。

 そして、もう一つ。ゾンビウイルスに感染し、発症までの間に、寒気を感じるという人が多く確認されました。おそらくは、体力が落ち、体中の免疫機能が低下して、風邪のような症状に見舞われていくのでしょう。問題は、ただ普通に寒いだけなのか、ウイルス感染しているから寒いのかの見分け方は特にないということです。

 肌寒い季節でよかったこととしては、ゾンビになって街を徘徊する人たちは、数日経ってもあまり腐臭を漂わせることがなかったことです。これが、夏の炎天下であれば、街全体が腐ったにおいで埋め尽くされたことでしょう。

 ガスは、カセットボンベやプロパンガスからの供給など、備蓄のもので何とかまかなっているところもありました。オール電化にした家庭は、残念でした。

 水道に関しては、特に大きな事故などで水道管が破裂しない限り、通常通りに蛇口をひねると出てきました。各地方それぞれの濾過装置に影響がない限りは、なんとかなりそうです。

 公共交通機関及びその他の交通手段は、そのほぼ全てがストップしました。電車、バス、飛行機、船舶。特に、海外への移動は、完全に遮断されました。政治的な判断として、出入国の禁止を、海外主要国に引き続いて、日本も決定しました。ただし、出入国を禁止するまでもなく、海外に行くことも海外から来ることも、もはや不可能となったのです。運転する人がいなかったのです。

 個人で所有している、車、バイク、自転車の類いは、基本的には動かすことができました。もちろん、日本全国各地で、ガソリンの買い占め(本当に買っていたかどうかはともかく)が行われ、瞬時に枯渇しました。化石燃料を使わない自転車は、移動に限れば使い勝手がよかったのですが、どこに行ってもゾンビの群れの中で、自転車に身体をむき出しにして乗ることにメリットよりもデメリットしか感じられず、乗る人もなく路上に放置されたままでした。


 人が人として動かす必要のあるものは、完全にストップしました。

 人類の活動は、断絶したのです。

 そんな頃、本当か嘘か、最後に人類に伝えられた情報は、「ゾンビは、動くものしか認識できない」ということでした。


 四日目、地球が静止しました。世界は、静寂に包まれたのです。

 実に、人類の九割がゾンビと化す中、奇跡的に、しかし、かろうじて生き残った人類は、外界から孤絶しました。ゾンビになっていない人々は、一人また一人と集まり、集団となり、各地にコロニーを作りました。

 とりわけ人が集まったのが、学校、公共機関、ショッピングモールでした。

 病院は、特に大きなところでは、自家発電装置も確保している施設が多かったのですが、病院という場所柄、異常が見受けられた人々が押しかけた結果、カオス状態に陥りました。あらゆる施設の中で、もっとも早くゾンビクラスターが発生しました。それでも、危険を顧みずにゾンビ化前の人たちを救おうと必死になってくれていた医療関係者には、誰も頭が上がりません。その人たちも、今はほぼほぼゾンビです。

 学校は、もともと、災害避難場所として定められているところも多かったので、緊急時の保存食料や毛布などの物品もあり、特に体育館などに、多くの人たちが集まりました。そんな学校も、クラスターに見舞われる事態が続出しました。理由としては、特に子どもが発症する事例が多くありました。子どもがほんの小さなかすり傷程度の怪我をしているときに、本人もしくは家族が、そのことを誰にも言わなかったためにゾンビ化したり、小さな子どもが保護を求めてきたときに、うっかり室内に入れてしまったが、その子がゾンビ化したりなど、学校であるが故の、子どもを守りたいという思いが高じた上でのゾンビ化現象が原因のことが多かったようです。親子や先生と生徒の絆が、崩壊の原因になりました。

 公共機関では、特にお年寄りが、多く集まりました。体力が落ち、免疫機能が低下した人々が、次々に罹患。ショッピングモールでは、一〇代と三〇代の人々が集まり、何とか生きながらえようと必死になっていましたが、やはり、親子連れはお互い離れたくないという思いから、家族の誰かが罹患すると、一家全員どころか、一緒にいる人々も含めて、全員がゾンビと化すといった具合でした。

 テレビなどの放送網については、比較的影響の薄い地方の報道機関などが、それでも勇敢なジャーナリズムを発揮、誰に届くかも分からない報道を、繰り返していました。ただし、集められる情報には、限りがあります。線が切れていない限り何とか繋がっていた、有線の固定電話で、集められるだけの情報を集めていました。もちろん、手紙などは、どれほど投函しても届きません。運ぶ人がいません。でも、電話線は、光回線ではなくアナログ回線だった場合、線が切れていない限りは、電話局の充電池が保つ限りは、数日であれば、なんとかなるのです。

 ところが、もはや録画を編集することなどない番組の中で、アナウンサーが必死に生放送で、カメラに向かって知り得た情報を伝えようとしている中、テレビスタジオにもゾンビが入り込んできました。アナウンサーは、ゾンビに捕まれても、放送をやめません。ついに、テレビの画面の中で、アナウンサーは自らの身体を噛まれる映像を流すことになってしまいました。悲鳴も、咀嚼音も、生々しいものが放送されました。不幸中の幸いは、テレビを見ている人がほとんどいなかったことでしょうか。そして、もう一つの不幸中の幸いは、視聴者はほとんどいなかったが、少数はいた、ということでしょうか。そのおかげで、ゾンビの特性が、テレビを通じて、届くべき視聴者に届けられたのです。


 ゾンビには、特徴があります。

 まず、ゾンビウイルスに感染すると、一度死んで生き返る。

 次に、血流が止まり、肌は青白くなる。

 圧倒的な飢餓感にさいなまれ、生きている人間の肉を喰らおうとする。

 腐食により、全身の骨の強度は落ちているので、走ったり激しい運動をすることはできない。動きは鈍い。

 襲いかかるときの力は、脳のリミッターが外れているのか、通常では考えられないほどの強さを発揮する。とはいえ、その本人の力が一〇〇%程度で出されているだけであり、もともと屈強な人は屈強で、そうでない人はゾンビになったからといって、本来あり得ないほどの何十倍もの力を発揮することはない。せいぜい、一・二倍ほど。

 五感は極端に低下しているので、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚のいずれも、常人の一〜三割程度しか認識がない。

 自我は完全に崩壊しているので、周りの人間を自分の知り合いであっても認識できない。

 ただし、ゾンビはゾンビを認識し、ゾンビのことは襲わない。

 ゾンビは、動くものしか認識できない。


 とはいえ残念ながら、それを知ったからといって、特にできる対処法はありませんでした。


 五日目、ゾンビ化の影響が薄い千葉県郊外の図書館。

 そこに、八人の女の子たちが集まっていました。

 この図書館は、公立小学校に隣接する図書館で、地上四階建て、地下一階の、なかなか大きな図書館です。建物は全体にコの字形になっており、中庭には大きな桜の木が植えてあります。

 室内は、一階にはエントランスと受付、喫茶コーナーがあり、二階と三階には、書庫や会議室が複数あります。一般小説などの文藝、郷土歴史、自然・科学、生活、スポーツ、旅行、ビジネス、語学、などなど、ジャンル分けされた本が、それぞれの書庫に収められています。四階には、円形のこどもおはなしのへやがあります。ガラス張りの天井から差し込む、太陽の光を浴びながら、床に座って子どもたちが本を読んだり、読んでもらったりするところです。地下は、閉架式書庫になっていて、持ち出し禁止の本などが収められています。

 女の子たちは、この図書館で、独自にコロニーを形成していました。

 二階と三階の書庫や会議室などを利用して、それぞれに部屋割りをして寝泊まりをすることにしました。快適なベッドがあったわけではないですが、非常用の毛布があったので、書庫から本を抜き出し、床に敷いてブロック状にし、上から毛布を掛けて、簡易的なベッドにしていました。

 食事は、一階の喫茶コーナーにある食料の備蓄を、無駄にしないように、計画的に消化していました。棚にはかなりの数のカップ麺や保存食品、冷蔵庫にはいくらかの食材と、冷凍庫には冷凍食品が、けっこうな分量備蓄されていました。一番ありがたいことには、飲料用の水やその他ジュース類などのペットボトルが、大量に保存されていたことです。

 飲料水以外は、水道がまだ生きていました。水道を通ってウイルスが感染するかどうかは不明でしたが、念のために、水道水は手やものを洗ったり、トイレを流すこと優先で、飲料水はペットボトルを活用することに決めました。

 この図書館は、オール電化の建物になっていました。発電のためのソーラーパネルが設置され、自家発電で電気を最低限度まかなうことができました。春の陽気で晴天が続いており、電気の備蓄も、蓄電池の容量から、余裕はありました。でももちろん、それでも、無駄使いは禁止です。節約のために、電子レンジを使うときは一個ずつではなく複数まとめてチンしました。カップ焼きそばを作るときは、お湯を入れて三分待ったら、湯切りをするお湯を、次のカップに入れて、更に湯切りで次のカップに入れて、と、途中で多少継ぎ足しすれば、時間差での食事になるとは言え、なんとかまかなえます。だいたい、一個分のお湯で三個分くらい、八個分なら、二〜三個分のお湯の量に節約できます。

 洗濯機はさすがに設置がなかったので、衣服は、まとめてお手洗いの洗面台で手洗い洗濯しました。また、ありがたいことにこの図書館のお手洗いには、シャワーが併設されていました。女の子だらけとはいえ、女の子だらけだからこそ、シャワーも洗濯も大事です。顔や髪の毛が脂ギッシュになったり、衣服が汚れていると、ただでさえ建物の外は地獄絵図なのに、余計に気が滅入ってしまいます。着替えについては、職員の方々が事務所のロッカーなどに入れていたものを拝借しました。サイズが合わなかったりするのは、贅沢言えません。

 当面の、衣食住は確保されました。


 それではそろそろ、彼女ら八人をご紹介します。


 一人目は、藤原ツグミ。一六二cm、四三kg。四年制大学に通う、大学生です。目が悪いので分厚いメガネをかけています。とても真面目で勉強ができ、小学生の時は学級委員でした。将来をとてもとても期待されている人です。きっと大物になる人です。でも、真面目な人だからと言って、周りが真面目を期待して、強要してはいけませんよ。将来は、親や先生から言われたことじゃなく、自分自身で何かを成し遂げたいと思い、いろんな勉強を頑張っているそうです。


 二人目は、山部ゆり。一七一cm、五四kg。いわゆるFランと言われる大学で、特に目的もなく大学生をやっています。男勝りな性格が災いして、男の子にモテません。それどころか、男の子とは小学生の頃からケンカしてばかり。かもめの親友で、何かと言えばずっと二人で馬鹿話をしている関係です。今は、大学も勉強も生活も、適当にこなすことだけの毎日で、特にやりたいことも見つからず、まだ、将来何になるかを決めかねているようです。身長が高く、そのこと自体がコンプレックスみたいですけど、背が高いのはうらやましいですよね。


 三人目は、紀野かもめ。一四八cm、三八kg。ゆりと同じ大学(Fラン)に通う大学四年生。勉強しないし、授業の出席は最低限なのに、クラスやサークルでは人気者です。お調子者なところと、小さくて可愛いところ、さらに、積極的なところなどから、ゆりと違って男子の人気が高く、小学生の頃から大学生の今に至るまで、彼氏が途切れたことがないとか。将来の夢はあるっぽいのですが、誰にも言っていないようなので、今は秘密にしておきます。


 四人目は、在原スズメ。一五八cm、五六kg。芸能事務所に所属していて、時折、舞台に立っています。目鼻立ちが整っていて、スタイルがよく、運動神経も良く、英会話と中国武術を学んでいます。やりたいと思ったことはすぐに実行するタイプで、器用にいろんなことができる人です。独立心が強く、周りに合わせることはあまりないのですが、だからといって、みんなと仲が悪いわけではない人です。将来的には、アメリカに渡って、エンタメ系のお仕事をするか、会社を立ち上げたいと言っているようです。


 五人目は、平野クイナ。一六五cm、五五kg。ショートカットが似合う、ボーイッシュな女の子です。今は、アルバイトを転々としているみたいですが、親がお金持ちなので、特に困っていないようです。高校時代に、文化祭で男装をしたら、めちゃくちゃモテたそうです。女の子に。本人は、男にモテたいらしいのですが、下級生女子からの支持が絶大だったようです。将来何をやりたいのか、ずっと迷って悩んでいるようです。


 六人目は、壬生コルリ。一五九cm、五二kg。とにかく、和風美人です。色白で、肌がきめ細かく、薄く、しかしくっきりとした眉、まつげが長く、二重まぶたに黒瞳の大きな眼、すっきりと通った鼻梁、シャープな顎、そして、さらさらストレートのロングの髪は見事な黒、非の打ち所のない、透き通った美人です。ただちょっと、普段のテンションが高く、中身は美人とは言えないようです……が、そのギャップが魅力です。キジとツバメと、小さい頃から仲がよく、中学高校も同じところに通っていました。将来は、お嫁さんかパティシエになりたいと、幼稚園の頃に思い描いた夢を、二〇歳超えても公言しています。


 七人目は、大伴キジ。一六二cm、四八kg。看護師の専門学校に通っています。幼い頃からクラシックバレエを学んでいて、とにかくスタイルがよくて、しかも、眼が大きく、笑顔がまぶしい美人です。スタイルがよく、胸も大きく、女子の理想が詰め込まれている感じです。性格は割とサバサバしていて、おかげで、男性にとにかくモテます。高校時代は毎日三人に告白されていたとか、まことしやかな噂もありました。その分、見た目だけに惹かれてくる男性に飽き飽きしているようです。贅沢な悩みですよね。ミュージカルの舞台にも立ったことがあるのですが、将来の進路はまだ決まっていないようです。


 八人目は、小野ツバメ。一五八cm、五〇kg。華奢で、短くした髪が少年のような印象の女の子です。とにかくカワイイ! 小学生の時には、カワイイ男の子と間違えられて、むしろ男の子からいじめられたりもしていました。成長しても、バンドマンや演劇人など、ダメンズしか寄ってこないのを嘆いています。そのせいか、男の子が苦手で、あまり好きじゃないようです。コルリとキジとはずっと仲がよく、今でも付き合いがあるようです。演技系の専門学校に通っていて、将来は舞台俳優を目指しているそうですが、才能がないと思い、やめようかなと思っています。


 彼女らは、この図書館で偶然知り合ったわけではありません。もともと、この図書館に併設する小学校は、彼女らみんなの母校でした。みんな同じクラスの同級生で、いつも一緒に遊んでいた、一〇人の仲間たち。そのうちの八人が、今、ここに集まっていました。

 十年前の約束を果たすために。


 事件があった一日目、それが約束の日でした。彼女らは、図書館に集まりました。ところが、渋谷で発生したゾンビクラスターが、どういった経緯か、この図書館の利用客にも広がっていました。たまたまこの近隣の人が、渋谷に用事があって、感染して戻ってきたのか、数日前に罹患していながら発症していなかった人がいたのか、今となっては、正確な感染源は分かりません。

 図書館の中は、阿鼻叫喚の地獄絵図になりました。特に、何の情報もない状態でのゾンビへの対応で、図書館員、家族連れの利用客、調べ物に来ていた小学生たち、受験生、近所の老夫婦などなど、次々にゾンビに感染していく中、八人は協力して感染者を館外に追い出すことに成功しました。しかし、追い出したはいいものの、今度は、出ていくことができなくなりました。ヘトヘトになった八人は、お互いの無事を喜びつつ、ぐったりと倒れ込むように、床に寝てしまいました。

 二日目には、図書館の館内を捜索、食料やインフラの確保、しばらく籠城する覚悟で、部屋割りなども行いました。幸い、寝室に使えそうな部屋はいくつかあったので、一〜三人に分けて、それぞれに部屋をあてがいました。まだ通信機器が生きているうちに、家族に連絡をしたり、ネットで情報収集をしたりしました。家族は、連絡が付く人も多かったのですが、そうでない人もいました。すでにゾンビ化しているのかどうかまでは分かりませんでした。

 三日目から五日目にかけて、外界での情報が入ってこなくなりました。スマホ携帯は通じず、TVはまともな映像を流すことがなくなりました。ラジオも、早々に発信しなくなっていました。入ってくるのは、というよりも、入ってこようとするのは、図書館外のゾンビたちだけです。図書館の外には、八人で追い出した人たちが、うろうろと目的もなく彷徨っています。ゆっくりと、静かに。その数は日を追うごとに増え、もはや、この図書館を出て行くことは、ピラニアの群れのいる川に飛び込むようなものでした。

 家族との連絡も取れず、外界の情報もシャットアウトの状態で、彼女らの顔から、笑顔という生気が失われていきました。かろうじて、生活に必要なものがあったことが救いですが、誰もが分かっていました。

 いつまでもは続かない、と。

 思い切って外に出るか、このまま立て籠もって助けが来るのを待つか。

 そのどちらかの選択肢しかないのを承知の上で、議論になりそうになると、必ず誰かが止めました。答えを出したくない、答えを出したが最後、この生活が終わってしまうのですから。

 モヤモヤしながら、五日目が過ぎました。


 六日目、若者たちは、外界との関わりを、自ら断絶しました。

 図書館内に立て籠もり、籠城することを決めたのです。

 ここにはゾンビはいない。そして、図書館にいくらでもある、本を読むことにしたのです。本に囲まれた場所で、他に思いつくこと、できることはありませんでした。ただ籠城するだけで、他に何もやることがなかったとはいえ、でも、誰もが、独りでいるのは怖かったのです。だから、お互いに本を読んで紹介する、読み聞かせを発案しました。

 その昔、ペストという伝染病が流行ったとき、感染を避けて屋敷にこもった人々が、毎日お互いにお話をして聞かせていたと言うことを、誰かが思い出したのです。

 本を読み、その本を、みんなに紹介し、読み聞かせる。ネットもテレビもなく、その他の娯楽もなくなっている中で、書物というアナログなエンターテインメントを楽しむことにしたのです。


 最初の発表者は、キジでした。作品は、『ドリアン・グレイの肖像』。文豪オスカー・ワイルドの長編小説で、何度か映画化もされています。キジは、この作品を、まるでミュージカルを演じるかのように、情感たっぷりに紹介してくれました。

 拍手。パチパチパチパチ。

 二人目は、コルリ。選んだ作品は、フランツ・カフカの『変身』。青年グレゴール・ザムザがある日、目を覚ますと、自分が一匹の虫になっていた、というショッキングなところから始まる、不条理小説の傑作。でも、コルリは、「薄いから」というだけの理由で選んだので、自分でもどういった作品なのか、よく分かっていなかったようです。

 でも、拍手。パチパチパチパチ。

 三人目は、クイナで、なんと、『水滸伝』。中国の四大奇書の一つですが、この長大な物語を、高校生のときに読んだことがあるそうです。この作品は、日本では滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』にも影響を与えたと言われているそうです。クイナは、身振り手振りも交えながら、わかりやすく、作品を紹介してくれました。

 拍手! パチパチパチパチ!


 本を読み聞かせるために、八人は、館内の書庫で本を探し、読み聞かせ自体は、四階にある、円形のこどもおはなしのへやを使いました。一〇m四方ほどの円形の空間で、ゆったりと座って本を読んだりできます。窓の外には青空が広がり、下を見さえしなければ、今が非日常であるとはまったく思いも寄らない時間を過ごしました。

 事件が起こってから初めて、八人は、ぐっすり眠れました。


 そして、七日目。

 八人の女の子たちは、束の間、世界を忘れました。

 忘れようとしても、忘れられるはずがないのに。


 そう。


 これは、誰にも忘れることのできない、十日間の物語。


 

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