二話 相棒は産土神様
明転した視界が意識と共に戻ってくると、そこは青々と広がる草原だった。
頬を吹き抜ける爽やかな風と、穏やかな太陽。微かに聞こえる小鳥の囀りは、牧歌的でのどかな風景を演出している。
まだフワフワする頭をなんとか目覚めさせながら、俺はさっきまでの出来事を反芻した。
俺は母さんに殺されて、フローラって女神に魔物にされかけて……青い神様になんとか助けてもらって……。
覚えていても、理解が追いつかない。
湧いてくるのは両親がどちらも人殺しになってしまった悲しみと、人生に対する後悔。助けてくれた神様への困惑だけだった。
この草原の景色も、本来なら良い景色だと呑気に眺められたのかもしれないが、今はじんわりとした暗い気持ちに脳が染み込んでいくだけ。
俺は結局異世界に来たのだろうか。
「全く……あの駄女神は仕事が雑でいかん」
青い神様の声がした。
振り返れば、透き通った南国の海のような瞳と目が合った。
瞬間まで不機嫌に顰められていたが、俺に気づくとすぐに緩められる。
四肢が戻り、人の形となっている俺より少し背が高い彼女は、少し屈みながら俺の頭を撫でた。
「おおよしよし、可哀想になぁ。あんなボンクラ女神に酷いことをされた。これからは儂がちゃあんと守ってやるからなぁ」
「えっと……」
「ん? ああ、ここはフローラの創り出した地球とは違う世界……シンシアじゃよ。無事に……うん? んんん?」
上手く話せないでいると、急に神様が俺の目を覗き込んだ。
人ではない美しさを持つ神様の顔が近くなると心臓に悪い。精巧な美術品を急に突きつけられた気分になる。
そんな俺の気も知らず、俺の顔をじっくりと観察した神様は烈火の如く叫んだ。
「あんっの糞女神がぁぁぁああああ!!! 人間から外しおってからにぃぃぃ!!!」
その叫びによって、遠くの森にいた鳥たちが一斉に飛び立ったのが見えた。草原全体が怯えたような気がしたが、気のせいだろうか。
拳を握り締め、ダンダンと地団駄を踏んで激情を発散した神様は、ギュルリと俺に向き直った。
「いいか、落ち着いて聞くのじゃ。ぬしはもう……人間ではなくなっている」
「えっ……で、でも、姿は……」
「うむ、突然言われてもわからなかろう。すぐ水鏡を出してやろうな」
つい、と神様が指を振った。しかし何も起こらない。
またつい、と指を振るも、やはり静かなまま。
神様はにこやかな顔を石のように固定したまま、突然自分の腕を胸に突き刺した。
血が吹き出す──かと思いきや、まるでゲームのバグのように黒いグリッチが溢れ出すだけで、赤は見えない。
そのまま体内でグチグチと何かを弄っている音が聞こえるが、何をしているのだろう。
バキ、と割れるような音と共に、神様は腕を引き抜いた。先ほどまで腕が入っていた胸元は傷一つない。
「あの
その声は今まで散々怒ってきた神様の声のどれよりも低く、深い怒りを含ませていた。
その迫力に思わず肌がビリリと総毛立つ。自分に向けられたわけでもないのに、命乞いをしたくなる。草原だというのに、神様の周りからは雷や津波の気配すらした。
「あ、あの……」
「ん? おお、怖がらせてしまったなぁ、すまんかった。それで、話の続きじゃな、ほれ」
今度こそ神様が指を振ると、目の前に水でできた鏡が現れた。ピカピカに磨かれた本物の鏡のように、鮮明に目の前のものを写し出している。
そこには当然俺もいて、前世と同じ青みのある黒髪と……十字に割れた瞳孔の瞳が目に入った。
「は、ええ!?」
口を開けば、二股に割れた舌が。スプリッドタンなんて施した覚えは無い。
明らかに人外の瞳孔と舌。他に変化はないかと身体を見れば、指の爪が真っ黒に変色している。ネイルなんてものではない。
どうやら、神様の言うとおり俺は人外になってしまったらしかった。魔物かと思ったが、こうして人間の時と同じように思考ができるから違うのだろうか。魔物は知能が無いと言っていたが。
「おぬしの種族は……
「い、いえそんな……完全に魔物にならなかっただけ助かりました。ええと……転生前からずっと、俺を庇ってくれて、ありがとうございます」
「当然じゃろう! 儂は
「ミナモ様……」
水然境之御魂神、前世で近所の神社で祀られている神様だった。規模こそ大きくないものの毎年夏祭りや例大祭をしていて、幼い時から行事がある時はよく行っていた。
バイトできる年齢になってからは行事の手伝いに働きに行ったりしていた。
結構生活に関わっていたから調べていて知っていたけれど、まさか本人……本神? が助けてくれるなんて。
「毎年初詣にも来てくれとるし、祭りもよく参加しとったじゃろ。そんな可愛い子が魔物にされてすぐ殺されるなんて許せんからな。ずっと頑張っとったなぁ、儂は知っとるよ。おぬしは何も悪くない、悪くないんじゃ」
「……ありが、とう、ございます……」
今度こそ視界が涙で歪んでいく。
肉親に殺され、女神に殺されかけた脳内に穏やかな優しさがスッと沁みる。
撫でられた部分から暖かい感情が広がって、精神が落ち着いていく。
自分の人生が無駄じゃなかったように思えて、現状も何とかなるんじゃないかと根拠のない勇気が湧いてくる。
「産土神はその土地の者に加護を与える。儂の社で働いてくれた事もあるお前さんを、見捨てたりせんよ」
「っ……! ううっ……」
「人から外れたからってなんじゃ。儂だって人ならざる神よ。大丈夫大丈夫、儂は強いからの、おぬしを護るくらいなんて事ない」
「でも……異世界に来ちゃって、大丈夫なんですか? 日本では……」
「儂を人と同じ目線で見るでない。今の儂は神格の一部を切り離した存在。日本では別れた儂がちゃあんと仕事しておるわ」
「え、すご……」
神様だからできる荒技に少し涙が引っ込んだ。
しかしこれでなんとかメンタルは落ち着いた。人前で泣くのは久しぶりで、恥ずかしさは合ったけども。
改めて水鏡を見ると、瞳孔と舌以外は前世とあまり変わっていない。
短髪も、眼鏡も、部屋着も。靴だけは玄関にあった、長年愛用していたランニングシューズが履かされていた。死んだ時は室内にいたから、適当に引っ張ってきたのだろうか。
部屋着は着古したTシャツと高校時代のジャージだ。毛玉があちこちについていて、正直家だからこそ許される服だ。
そんな俺とは対照的に、ミナモ様は仕立ての良さそうな袖の無い白い着物に髪と同じ青緑の羽織を肩にかけている。袴は深海のような藍で、素足に草履だ。
着物には光に反射して見えるよう波の紋様が施され、飛沫のような珠が腕や足首に装飾として巻かれていた。
声からして女性なのだろうが、全体的に中性的な雰囲気で、明るくも冷たそうな印象を受ける。
笑った口からは人とは違うギザギザした鋭い歯が見えるし、色彩やところどころのパーツで人外を感じる。
「さっき、人の身に堕とそうとした……とか聞こえましたが、人になったんですか?」
「いや、さっさと"システム"を弄って権能を取り戻したわい。ついでに干渉もブロックしたから、儂はもう自由じゃ! これをお前さんにやると肉体が耐えられんからのぉ、できんのじゃ」
「うわ……ご配慮ありがとうございます」
神様の力ってすごい。俺は改めてそう思った。
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