異世界御朱印帳〜同行者は神様です〜
@tukihiha_kakaku
一話 「轢いた側」のお話
父が人を轢いた。
ドライブレコーダーに記録されていたのは、アルコールが抜け切らぬままハンドルを違えた父親と、ボンネットに弾き飛ばされる少年の姿だった。
過失運転致死傷罪。
裁判ではそう判決され、父は逮捕。
突然の出来事に、俺と母は動揺がおさまらないまま事故後の対応に追われた。
罰金や慰謝料、車の修理などはなんとか払えたものの、貯蓄はすっからかんで、肝心の働き口である父親は塀の中だ。
母は腰を悪くしてから働けるような身体でもなく、親戚は加害者側である自分たちを見放してしまっていた。
俺は通っていた大学を中退し、アルバイトを始めた。大学で「父親が人を轢き殺した」ことを噂されるのが、耐えられなくなったからでもある。
庇ってくれた友人もいたけれど、刺さるような視線から逃げることはできない。
行政に相談すれば、なにか補助があったかもしれない。
でも、弁護士とのやりとりや裁判所の行き来で疲れ切った俺たちには、それを調べる気力すら残っていなかった。
母は虚に父親への非難を呟き続け、まともに会話もできない。
なにからなにまで全部俺が対応しないといけなかった。
父は元からアルコール中毒の気があったが、まさか運転する日にまで酒を飲むなんて思ってもみなかった。流石にそこまでの暴挙はしないと思っていたし、それだけの常識は残っていると思っていたのに。
しかも各種保険をまともに利用してなかったせいで、保険に入っていたらマシになっていた金額をどっさり取られる始末。
父も母も難しい契約や手続きが苦手な人だったが、まさか保険すら切っていたなんて。
バイトでなんとか生活費を貯めつつ、これからどうしていくかを求人誌を見ながら考えていた時。
どっと背中に異物が入り込んだのを感じた。
すぐにそこが焼けるように熱くなり、込み上げる生暖かい液体が血だと気づく。
激痛に呻きながら振り返ると、そこには包丁で俺を刺した母がいた。
ブツブツと聞き取れない何かを呟きながら、母は包丁を引き抜く。
薄れる視界、混濁する脳内、最期に見えたのはその包丁で首を切り裂く母の姿。
どうして無理心中なんて選んだのか、血に塗れた俺の口から声は出なかった。
*
「起きなさい。
「っ……あ……?」
「起きなさいと言っているでしょう」
バチ、と電流を流されたように目が覚めた。
直前まで感じていた激痛と生温かさは消え、視界は真っ白。
四肢の感覚はなく、まるで自分が丸い球体になったかのような淡い感覚だけがある。
「ここは……? というか、俺は刺された筈じゃ」
「漸く起きましたね、神来社 透己」
声のした方を見上げると、そこにいたのは桃色の天使のような存在だった。
頭と背中から白い翼が生え、長い桃の髪が揺れている。
頭には花を散らしたような装飾と、絹を纏ったような服装が神々しい。
垂れた金の瞳は、しかし鋭く俺を見つめていた。
「神来社 透己。貴方にはこれから、私の世界──シンシアに転生していただきます」
「は、はぁ……」
これは、流行りの異世界転生というものだろうか。当事者になるなんて思わなかったけれど、目の前の女神様……? は確かに目の前に存在していて、俺に話しかけている。
頬をつねったりはできないけれど、現実だとは理解できた。
正直異世界転生ものは、トラックで轢かれる描写が父を思い出してしまって読むのをやめていたのだけれど。
「しかし……貴方は罪を犯しました」
「え?」
「貴方の父が殺した存在……
「は?」
「勇者の血を浴びた一族である貴方を、正常に転生させるわけにはいきません」
「まっ、待ってください!!」
その言葉に、思わず俺は声を荒げていた。
轢いた少年は確かに聖光也という名前だった。彼が勇者? 父が殺したから息子である俺も罪を負っている?
そんなのすぐに理解できない。
そもそも、轢いたのは父だし俺は何も関与していない。人殺しの息子だからって、罪まで背負わされちゃたまらない。
「確かに父は人を殺しました! ですが、俺はその車に乗っていませんでしたし、遺族にも謝罪して──」
「父が勇者を殺した。罰する理由にそれ以外の理由が要りますか?」
「……俺自身は、なにも……」
「黙りなさい。勇者は魔王を征伐する尊き存在。殺したのが誰であれ、一族諸共その罪の責を背負うべきです。転生し、貴方は知能無き魔物として地を這う運命になる」
「そんな……」
女神の手に、光の球のようなものが作り出される。
キラキラと輝くそれによって転生させられるのだと、なぜだか直感した。普通なら綺麗に見れるだろうそれが、俺には突きつけられた銃口のように思える。
俺は何もしていないのに、普通に生きていただけなのに、父も母も人殺しだ。どうしてこんなことになってしまったんだ。
自分の人生に、そしてこれからの生に絶望しそうになった時。
青色が視界を遮った。
「待ちなフローラァ! お前さん遂にやりおったな!?」
「なっ……! 日本の神が何の用です!」
「当たり前じゃろう、約束と違うぞ! 儂らはお前さんの世界にこちらの魂を渡すが、尊厳の尊重と生きれるだけの補助を条件にした筈じゃ! だというのに知能も無い魔物に転生させられそうになっているとなれば、止めるのも当然じゃ!」
どうやら青い髪のひとは日本の神様らしい。
俺のすぐ前に立っているから全貌はわからないけど、緑がかった青の髪が緩やかにウェーブを描いて揺れている。
声色は激しいけれど凛とした声で、かわいらしさよりカッコ良さが勝つ。
俺を庇ってくれているのもあって、泣けたなら視界が歪みそうだ。
「しかしこの者は勇者を──」
「勇者なんぞ知らんが、人殺したんは此奴の父親と母親で此奴自身は何もしとらん! むしろ被害者に謝ったり慰謝料渡したりと本人より償っとった!」
「血縁であるなら関係無」
「当事者じゃなければ関係など無い!! そもそも此奴が罪を犯したなど問題ないじゃろう、今儂が話しておるのはお前さんが
ふたりの口論はだんだんとヒートアップしていき、お互いの声が大きくなっていく。
どちらも綺麗な声をしているから迫力があって、余計怖い。
神々の事情なんてわからない俺は、ただ黙って眺めることしかできない。
「わ、私の世界を救ってくださる勇者を殺したんですよ!? 同じ神である貴女なら事の重大さもわかるでしょう!?」
「論点をズラすな! 魔物に転生させるというなら、今後一切お前さんとの魂の譲渡は切らせてもらうぞ!」
「い、一介の
「お前さんに迷惑かけられとる神が儂だけな訳あるか! 署名くらい簡単に集まるわ!!」
「う、うう……わかった! わかりましたよ!」
どうやら決着がついたらしかった。
フローラと呼ばれた桃色の女神は、光の球を握りつぶすと新しい光の球を作り出した。
俺は魔物にならずに済んだという事だろうか。
青い髪の神様は、不意に俺の身体? を優しく撫でた。ほんのりと暖かいような……気がする。
「危なかったのう。よしよし、巻き込まれた哀れな魂よ、儂が来たからにはもう大丈夫じゃからな」
穏やかに、ゆっくりと掛けられた声は、まるで幼い頃の母を思わせるような愛に溢れた声で。
このひとの後ろにいれば安全だと、本能が安心していく。
漸く見えた顔は、髪と同じ青色が美しい瞳が煌めいていた。
「……この者はちゃんと転生させます。安全な場所に送り出しますよ」
「本当じゃろな?」
「本当です」
「送り出してほとぼり冷めたら殺して、魔物にするなんて考えとらんよな?」
「…………」
「もう良い。儂も行く」
青い神様は、深くため息をつくと俺をそっと抱き寄せた。
フローラは、もう言い合いが面倒くさくなったのか、黙ったまま光の球をさらに輝かせる。
視界が光で埋め尽くされると、俺の意識は途切れた。
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