魔法の鏡に転生した俺。ドアマット王妃様救っちゃっていいですか?

霜月 零

魔法の鏡に転生した俺。ドアマット王妃様救っちゃっていいですか?

「鏡よ鏡よ、鏡さん、世界で一番美しいのは、誰?」


 今日も今日とて、厚化粧した王妃ジェライラが俺に問いかけてくる。

 そんなに塗りたくんなくても、綺麗なのにな。


「それは王妃、貴方様です」


 王妃が欲しがっている言葉を、俺はそう口にする。

 言われた王妃は嬉しそうにこくりと頷いて、去っていく。


 たぶん夕方にまた来るんだろうな。

 一日に何回も聞くんだよ、この人。


 俺の声が好きなんだと。

 そんなにいい声でもないと思うんだけどな。


 優し気とは言い難いし、男にしては少し高めの、冷たい印象を与える声じゃねーかな。

 まぁ、魔法の鏡だから、性別は無いのかもしれねーけど。

 そんな声でも聞きたいっていうのも、彼女の置かれた環境のせいなんだろうな。


 ……あー、訂正。

 夕方じゃないな。

 多分ティータイムの後だな。


 王妃の隣の侍従が告げるスケジュールは、俺のところにまでは声が届かない。

 でもさ、王妃の表情は見えてんだよ。

 一瞬、口を引き結んだよな。


 あれは側妃のセシリーと会うんだろう。

 ほんとは泣きたいくせに、ぐっと我慢して、作り笑い浮かべて過ごすんだよな。


 俺ができることは何もない。

 見ていることしかできない。



◇◇◇◇◇◇



「鏡よ、鏡よ、鏡さん、世界で、一番、うつくしいのは、だぁれ……」


 王妃は予想通り、ティータイムの後に来た。

 侍女も下げて、たった一人で俺の前に立つ。


「それはもちろん、王妃様です」


 涙で化粧が崩れてなければな。

 そんな言葉は当然飲み込む。


 見てたからね、俺は。

 鏡でなくとも姿が映るものがある場所なら、どこでも見られるから。

 まぁ、鏡の方がはっきり見えるんだけどね。


 あいも変わらず、側妃セシリーの性格の悪いこと悪いこと。

 王妃の黒髪を遠回しに馬鹿にするんだよね、アイツ。

 こんなに艶やかで綺麗なのにさ。


『わたしはこの国では平凡な金髪ですから、王妃様のような珍しい髪色に憧れますわ。

 でも陛下はこんなわたしの髪でも綺麗だと、褒めてくださいますの』


 意訳すれば、「あんたの髪はこの国では異質なのよ。陛下は金髪が好きなの。わかった?」である。

 隣国の姫だった王妃に対する、ただの妬みじゃねーのって思うわ。

 あの女はただの伯爵令嬢だしな。


 あと容姿!

 幼いっていうか、馬鹿っぽい顔してるよね、アイツ。

 王妃より年下ではあるけどさ、二十超えてピンクのふりふりドレスはどうなんだ。

 すらっとした長身の王妃と比べて、寸足らずっていうか。

 あんなのが好きな陛下も終わってるっての。

 

「…………ふっ、うっ、つ……っ」


 俺の目の前で、王妃は両手で顔を覆って声を押し殺す。

 もうさ、何度も見た光景。


 俺が魔法の鏡に転生させられてから、何度も何度も繰り返してるからね。

 何とも思わない。


 そう、なんとも。

 だって俺はただの魔法の鏡。

 無機物に心なんかないはずだしね。

  

 転生前はともかく、いまの俺には涙を拭いてやることも、抱きしめてやることもできねーし。

 だから関係ないわけだ。


 関係、無いんだけど……。


 こう、胸が痛むわけだ。

 魔法の鏡なのに、俺には前世の記憶があって。

 前世はいわゆる日本人で、異世界転生ってやつ。


 魔法の鏡に生まれ変わっていることに気づいた俺は、思ったよね。


 白雪姫?


 って。

 事実、白雪姫らしき姫はいるんだよな。

 名前は全然違うけど。

 あと性格も純真無垢どころか真っ黒けっけ。

 髪の色と同じぐらい腹黒くてドン引きだわ。

 王妃と同じ黒髪だけれど、王妃の子じゃなくてこれまた別の愛人の娘らしい。

 

 国王陛下、女好きにもほどがあるんじゃね?


 一番王妃に絡んでくるのは側妃のセシリーだけど、他の側妃達もわりと王妃のことは下に見てるんだよね。

 それもこれも陛下が王妃を軽んじてるから。


 隣国で一目惚れして、幼馴染と結婚間近だった王妃を国力ちらつかせて強引に娶ったのにな。

 あ、これは俺が魔法の鏡に生まれ変わる前の話。


 なんで知ってるかって?

 ……なんでだろうな。


 あー、あれだよ。

 侍女が話してたんだよ、たぶん。

 王妃様が可哀想すぎるってな。


 あ。

 王妃、泣き疲れてこんなところで寝ちまいやがんの。

 駄目だってば。

 起きろよ。


「世界で一番美しいのは王妃、貴方です」


 魔法の鏡だからか、俺はこの系統の言葉しか言えねーんだよな。

 だから慰めの言葉一つかけてやれねーの。


「世界で一番美しいのは、貴方です」


 もう一度言うが、王妃は起きる気配なし。

 だよな、これ、寝落ちたっていうより、泣きすぎて気を失ったんだよな。

   

 俺は、意識を集中して城中の鏡にアクセスする。

 王妃の信頼のおける侍女がゼルラっていうんだけどさ。

 隣国から連れてきている乳姉妹で、割と腕力馬鹿。

 

 あ、いたいた。

 王妃の為に、甘いミルクティー用意してやってんだな。

 ちょっと怒り気味なのは、側妃セシリーの嫌味を一緒に聞いていたせいだろう。

 ブチ切れなかったお前は偉いぞ、俺は見てたからな。

 

 っと、早く王妃のことを知らせないと。

 最悪、ミルクティー持ったまま部屋に来ちまったら、間違いなくトレーごとひっくり返すし。


 俺は、ゼルラがミルクティーを蒸すためにテーブルに置いたタイミングで、ちらちらっと、鏡に王妃の姿を映し出す。

 気づけ、気づけ―って念じながら。


「えっ、王妃様?!」


 お、気づいた気付いた。

 鏡に映った王妃に気づいたゼルラは、全力で部屋を飛び出して王妃の部屋に走り出す。


 いいぞいいぞ、腕力自慢のお前なら、王妃を寝室に運べるよな。

 できればもう一人ぐらいいたほうがいいんだけれどね。

 この状態の王妃を他人に見られると、噂を聞いた側妃達が喜々としていびりに来るだろうからさ。

 忠誠誓ってて、絶対裏切らないってわかってるやつじゃなきゃダメなんだよ。

 ゼルラ頑張れ!



◇◇◇◇◇◇



 ゼルラの大活躍で、なんとか王妃は他の侍女達にも使用人にも見つからずに寝室のベッドに横たえられた。

 あいつ、やっぱり王妃様命だよな。

 まぁ、昔からほんとそうなんだけど。


「……ルキオス……」


 あー、やばいって。

 寝言でも他の男の名前を呟いちゃ。

 まぁ、ここで聞いているのは魔法の鏡の俺だけだけど。


 側妃の侍女なんかは、ここにたどり着けないように俺が鏡を反射させて迷わせてるしね。

 首を傾げながら去っていくけれど、どうせ適当に王妃は落ち込んでましたーとでも報告入れておけばあのあばずれ側妃は満足するんだから、問題ないだろ。 


 あーぁ、王妃、寝ながら泣いてやんの。

 まぁ、ルキオスっていうのは、結婚間近で引き離された幼馴染なんだけどな。

 

 ……声、かけてやりたいけどね。


 俺が言えるのは魔法の鏡らしく、美しさを称えることだけ。

 壊れてんじゃねーのってぐらい、そんだけ。


 下手に声かけたら、王妃のやつ起きちまうだろうしな。

 愛しい恋人には、夢の中でしかもう会えないんだ。

 だったら、その夢を妨げるようなこと、できねーだろ?

 

 泣いてても、さ……。

 ん?


 いま、物音がしたか?

 あぁ、また懲りずに側妃の手下が嫌がらせに来たか。

 王妃に気をとられて鏡の操作を怠ってたな。

 

 ちょっと乱暴だが、ヤバイ映像でも見せて追い返すか。

 側妃と同じぐらい意地悪そうな顔立ちの侍女が、窓に映った姿にぎょっと後ずさる。

 

「きゃあああああああああああああああああっ!」


 悲鳴を上げてその場に腰を抜かす侍女。

 いいねイイネ、いい悲鳴だよ。

 

 こんだけでかい悲鳴なら、あちらこちらから人が出てくるだろ。

 ほら、いってるそばから侍従だの侍女だの護衛騎士だのがわらわら出てきた。

 この大勢の人の前で、王妃の部屋に入ってこれるもんなら入って来いっての。


「いったい何ごとですか」


 護衛騎士が侍女に手を貸すと、震えながら侍女が立ち上がる。


「い、いま、窓の外で、血が飛び散ったんです!」


 指さす先の窓を即座に開けて、外を確認する護衛騎士。

 何もないよ。

 俺が映し出した映像だからね。

 見たことがあるものならそのまま再現できるのは、結構便利だよな。


「……何も無いようですが」

「えっ、でも、確かに!」

「ところで、こちらの箱は貴方のですか?」


 リボンが結ばれた箱は、侍女が驚いた拍子に投げ出されて、歪にひしゃげている。


「え、えぇ。わたしのですわ。ありがとうございま……きゃあああっ!」


 護衛騎士が拾って手渡した瞬間、箱の中からうぞうぞとヤバイ虫が這いだして侍女が再び悲鳴を上げる。

 あ、これは俺じゃないよ?

 俺に箱の中身を入れ替えるなんて真似、できないからね。


 大方、王妃の寝室にでも投げ込むつもりだったんだろうな。

 指示したのは側妃だろうけど、実行犯はこいつ。

 喜々として王妃の部屋に向かってきてたんだから、身体に虫ひっかぶって泣いてるのも自業自得。

 ざまぁみろっての。

 

「どうか、なさいましたの……?」


 あっちゃー。

 王妃が起きて部屋から出てきちゃった。

 ま、こんだけ騒ぎになってればそうなるよな。


「大変っ、貴方じっとしてらして」


 王妃が虫だらけの侍女に駆け寄って、虫を払いだす。

 あーあー、どうしてそう優しいんだか。


 周りのやつらなんて何かを察して遠巻きに見てただけなのにさ。

 護衛騎士だって虫は嫌そうに距離とってたぞ。

 なのに王妃は真っ先に駆け寄って助けちゃうんだもんな。

 王妃だって虫は苦手だってのに。


 そいつは、お前を害そうとしてた奴だぞ?

 ま、知ってても助けてやるんだろうけどな。

 あー、わざわざ窓の外に虫を捨ててやんなくてもいいんだぞ。


 騒ぎに気付いて駆け付けたゼルラも、一緒に虫を取り払ってやる。

 いったい何匹箱に詰めてたんだか。


 虫を綺麗に払われた侍女は、足早に逃げて行った。

 おいおい、お礼ぐらい言えよっていいたけれど、こんだけ騒ぎになったんだ。

 あの侍女、早く逃げないと側妃セシリーに首切られかねないしな。

 荷物纏めて城からも逃げるんだろう。


「随分な騒ぎじゃないか」

「っ、陛下……」


 げっ。

 なんで陛下がここに来るんだ?

 

「セシリーが嘆いておったぞ。そなたは随分と身分をひけらかしておるようだな」

「いえ、決してそのようなことは……」

「口答えするな! 大方、セシリーの愛らしさに嫉妬したのであろう? 可哀想に、泣いておったぞ」

「…………」


 黙って俯く王妃がいたたまれない。

 逆だっての。

 あんたのかわいい可愛いセシリーが王妃をいびりまくってるんだっての。


「先ほど走り去っていった侍女はセシリーのところの侍女だろう。セシリーだけでなく、侍女まで虐げておることを余が知らぬとでも思っておるのか」

「……本当に、わたくしは、なにも……」

「あぁ、まったく! 嘘ばかりつきおって。そなたにセシリーの欠片でも可愛さがあればまだ愛せたものを。どうせこの騒ぎも余の気を引くために起こしたのだろう。全くくだらない」


 心底呆れた様子で陛下は言うけれど、全部、間違ってるぞ。

 護衛騎士も、周りの侍従も侍女も。

 お前らも今の騒ぎ見てたよな。


 わかってる。

 陛下に物申すなんてお前たちの立場じゃ言えないもんな。


「お、お待ちください、陛下!」


 うわっ、ゼルラ!

 お前なに声かけてるんだよ、不敬だぞ!

 や、王妃命のお前ならそうするだろうけども。


「ん? お前はジェライラの侍女か。発言の許可など与えていないだろう」

「で、ですがっ。王妃様は何もしておられませんっ。皆が見ていました。そうでしょう?!」


 ゼルラが周囲を見回すが、誰も目を合わせない。

 そうだよな。

 無理だよ。

 気持ちは同じだけれど、無謀過ぎる。


「ジェライラと同じで侍女も礼儀がなっておらぬな」

「申し訳ございません、このものにはよく言って聞かせておきます」


 王妃が前に進み出て、ゼルラを庇う。


 ふんと鼻を鳴らして陛下は去っていく。 

 その背中に俺は思いっきり舌を出す。

 といっても魔法の鏡だからな。

 舌なんてないし気分の問題だ、気分の。


 俯いて、寝室に戻ってきた王妃が、魔法の鏡を覗き込む。


「……鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界で、一番、美しいのは、誰?」

「それはもちろん、王妃様。貴方です」


 涙をこらえた王妃が、鏡に手を触れる。


「ルキオス……貴方の声が、聴きたい……っ」

「美しいのは、貴方です」


 あぁ、もうっ。

 なんでこれしか言えないかな、俺は。

 掻き毟れるなら頭をかきむしりたいよ。

 

「この世界で一番、美しいのは貴方です」

「王妃が一番、美しいです」


 美しい、美しい、美しい。

 馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言えない俺を、俺の声を、王妃はうん、うん、と頷いて聞いている。

 俺は、彼女が満足するまで、夜通し美しいと語り続けた。



◇◇◇◇◇◇



「えっ、王妃様にお礼ですか?」


 あの虫騒ぎから数日後。

 側妃セシリーの侍女がゼルラに会いに来た。


 意外だけど、城から逃げ出さずにまだセシリーの侍女でいるらしい。

 セシリーなら即座に首にしそうだったのにな?

 手にはこの間の箱よりもずっと小さく、けれど綺麗にラッピングされた箱を持っている。


 ゼルラがちょっとためらい気味なのも仕方ないだろう。 

 箱の中にまた虫が入ってたらきついもんな。


「……本当に、ご迷惑をおかけしたと思っているのよ」


 顔色が何だか悪いセシリーの侍女は、ぐいっと強引にゼルラに箱を手渡して去っていく。

 押し付けられたゼルラは、そっと箱の様子をうかがう。

 そうだよな、動くものがあれば音がするはずだもんな。

 でも何も聞こえなかったらしい。

 そっと振ってみても何もなし。


 んー、これは、本当にお詫びの品か?

 ゼルラが王妃に勝手に見ることを小声で詫びながら、そっと中を改めた。

 何が入っているかわからないまま、王妃に渡せないもんな。

 

 お、中身はガラスの置物か。

 林檎を象った小さな置物。

 割と綺麗で、拍子抜けする。


 それはゼルラも同じようで、あからさまにほっとした表情を浮かべて、綺麗に箱を包みなおした。

 これなら王妃にもっていっても問題ないもんな。

 

 ゼルラから事情を聞いた王妃は、嬉しそうに硝子の林檎を窓際に飾った。

 


◇◇◇◇◇◇



「王妃はいるか!」

 

 突然、怒りで顔を赤くした陛下が王妃の部屋に返事も聞かずに入ってきた。

 

「陛下、ここにおります。突然どうされたのですか?」

「ふんっ、しらばっくれるな! お前が、浮気をしているのは知っているんだぞ!」

「いえ、わたくしはなにも……きゃっ」


 乱暴に王妃を突き飛ばし、陛下が部屋を見渡す。


「半信半疑だったが、本当にこんなところに堂々と置いておくとは……」


 陛下は窓辺に飾られた硝子の林檎を取り上げる。

 そして葉っぱの部分をくるくるっと捩じった。


『ジェライラ、あぁ、愛しいジェライラ! もう離さないよ。永遠に私と愛を誓おう』


 見知らぬ男の声が、部屋に響き出す。

 え、なんだこれ?


「ふんっ、身に覚えがあるだろう? お前の愛しい男の声だ」


 王妃は真っ青になってフルフルと首を横に振る。

 そうだろうな、王妃に身に覚えがあるはずがない。

 こんな声が愛しい男の声であるはずがないし、そもそもその硝子の林檎はセシリーの侍女からもらったんだぞ。


「何か、誤解があるようでございます。その硝子の林檎は、セシリー様の侍女から頂いたものです……」

「なぜセシリーの侍女がお前にこれを手渡す? それに、これには間違いなくお前の名前を呼ぶ声が入っているじゃないか」

「わたくしにはわかりかねますっ、声が納められている魔法具であることも、いま知ったのです!」

「ならば侍女から渡されたものだと証明できるものはおるか」

「わたくしの侍女が……」


 王妃はいいかけて、はっと、口をつぐむ。

 ゼルラがいない。

 彼女はどこへ行った?

 

 にやりと、陛下が嗤う。


「証拠はないようだな。なに、お前が罪を認めれば、証人も、お前の国も、不問にいたそう」


 嫌な笑みを浮かべた陛下に、俺は気づいた。

 絶句する王妃も同じだろう。

 こいつ、ゼルラを人質に取りやがった!


 どこだ?

 どこに捕らえられている?


 必死で城中の鏡にアクセスするが見つからない。

 くそっ、鏡のある場所にいないのか?


 何か映るものでもいい。

 何もないのか?

 それとも、もうすでに……。


「……罪を、認めます。ですから、どうか、彼女と故郷はお許しくださいませ!」

「衛兵! この罪人をひっとらえよ!」


 あらかじめ部屋の外に待機させていたのか、わらわらと兵士が部屋に入ってくる。

 乱暴に王妃を縛り上げ、連れ去った。

 

 あぁ、もう、くそったれ!




◇◇◇◇◇◇


 憎らしいぐらいに晴れ渡る青空の下、王妃ジェライラが広場に引きずり出される。

 太陽に反射して、ギロチンの刃がギラリときらめいた。


 処刑人が高らかに罪を読み上げる中、王妃は、黙って壇上の陛下を見上げている。 

 縄で縛られた王妃は、捕らえられた時の服装のままだ。


 あれから一週間、牢に閉じ込められていた。

 牢屋の中には映るものが何もなくて、俺は、一切彼女の姿を見ることができなかった。


 たった一週間で、随分と痩せたように見える。

 もともと華奢だったが、いまにも折れそうだ。


 見知らぬ男の声が、硝子の林檎に保存されていたからなんだというんだ。

 間男との密会現場を見たか?

 見ていないだろう。

 王妃からの直筆の手紙があったか?

 無いだろう。


 あるわけがない。

 何も罪を犯していないのだから。

 けれど王妃は自白してしまった。

 国と、ゼルラを人質に取られているから。


 そんな王妃を、陛下の隣で側妃セシリーが勝ち誇ったように見下ろしている。

 本当に醜い女だ。

 陛下は陛下で、そんなセシリーに「これで愛しいお前を王妃にできる」と囁いた。


 ……そう、うまくいくかな?


 俺は、すべての魔力を総動員して、広場に姿を現す。


「なんだあれは!」

「鏡?!」


 突如空中に沸いた俺を、処刑を見に来た民衆も貴族も驚いて声を上げる。

 

【世界で一番美しいのは、王妃です】


 俺が言葉を発した瞬間、すべての鏡に、窓に、映るものに、俺が見た映像が映し出される。



『ルキオス。お前はここで死ぬんだ。愛しい女を奪われたショックで自殺だよ』


 崖っぷちで兵士に捕らわれたルキオスに、陛下が嗤いながら剣を振りかざす。

 ルキオスを切った血飛沫が飛び散った。

 兵士が腕を離すと、ルキオスは苦し気に膝をつく。

 そんな彼を、陛下は思いっきり蹴り飛ばす。

 身体を支えることができなかった彼は、手も足も出せずに崖下へと落ちていく。

 視界から消えるまで、陛下はずっと笑い続けていた。



「なっ、どうしてこれを!」

「陛下、これは一体っ」


 慌てる陛下に、貴族も、セシリーでさえも距離をとる。

 

【世界で一番美しいのは、王妃です】


 俺は、全世界の鏡にアクセスする。

 そして、いままで見てきた陛下の凶行をすべて映し出す。


 泣き叫ぶ侍女を寝室に連れ込む姿を。

 気に入らない家臣に毒を盛るよう命じる姿も。

 近隣国に攻め込む密談も。

 王妃を、情け容赦なくいたぶる姿も。

 

 すべてすべて、世界中に配信する。


「ち、違う、わたしはこんなことはしていないっ、何かの間違いだっ」


 陛下が叫ぶが、誰が信じるかね?

 ほら、翼を付けた魔導メールが各国から飛んできている。

 

【世界で一番美しいのは、王妃です】

 

 こつんと。

 魔法の鏡が地面につく。

 視界にヒビが入った。


 あぁ、そうか。

 力尽きるのか。

 

 そうだよな。

 本来こんなことができるはずないんだよ。

 手も足も出せずに殺されて、手も足もない魔法の鏡になったんだから。

 

「ルキオスっ……っ!」


 縄を解かれた王妃が、俺に駆け寄ってくる。


「ルキオス、貴方なのでしょう?」


 ぼろぼろと割れて崩れ落ちていく俺に、王妃が手を添える。

 ごめんな、抱きしめてやれなくて。

 何もしてやれなくて。


 日本人の記憶を取り戻すのがもっと早かったら。

 ルキオスで生きていた時に持っていたら、こんなに泣かさずに済んだかもしれないのに。


 殺されたときに願ったんだよ。

 お前を助けてくれって。

 俺のすべてを差し出すから、お前だけは助けてくれって。


 なのに気付いたら、何も出来ない魔法の鏡に生まれ変わって、前々世の記憶もってやんの。

 ルキオスだった時の記憶がほとんどないのは、すべてを差し出したからなんだろうな。

 いまの俺は、ルキオスの想いの欠片が残ったただの魔法の鏡。

 ルキオスじゃない。


「お願い、死なないで……っ」


 俺を抱きしめる王妃に、伝えたい。

 俺はルキオスじゃないから。

 割れた破片みたいに胸に刺さった、想いの欠片だから。

 だから泣くなよって。


 けれど泣き止まない王妃は、俺にそっと口づける。

 瞬間、俺の中で何かがはじけた。


 眩しい光が俺達を包み込み、もう何も見えない。

 必死に王妃を逃がそうと『手を伸ばす』


「えっ」


 俺は、自分の手を見る。

 手がある。


「ルキオス……」


 王妃が、ジェライラが俺を呼ぶ。

 涙にぬれたその顔を、俺は両手で包み込む。

 まさか。

 魔法の鏡でいる間にほとんど消え失せていたルキオスとしての記憶が、一気に戻ってくる。

 信じられない気持ちで、俺はジェライラを抱きしめる。

 

「夢か、これは。死ぬ前に見ている幸せな夢か」

「いいえ、いいえ! 貴方はいまここにいるんです、ルキオス!」


 ジェライラに抱きしめ返されて、その暖かな体温に現実なのだと実感する。

 ゆっくりと周囲を見渡す。

 まだ光が俺達の周囲を囲んだまま、真っ直ぐに道を作っている。


 なんとなくわかる。

 この光をこのまま辿っていけば、俺達は国に帰れると。


「帰ろう、ジェライラ」


 俺は立ち上がって、彼女の手を引く。

 この国はもう終わるだろう。

 少なくとも、ジェライラをどうこう出来るような状態ではなくなるはず。

 

「愛しています、ルキオス」

「俺も」


 光の中で、俺は最愛の人に口づけた。

 

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