第4話 向け続けられる熱視線

 翌日、俺は普段どおり登校し、自分の席に着いた。

 俺の席は廊下側の一番後ろに位置するため、教室全体がよく見渡せる。

 着席して教室を見渡すと、昨日衝撃的な事実を知ってしまった天上さんの姿が目に入った。

 今日もいつもと変わらず、近寄りがたい雰囲気を放ちながら静かに座っている。

 

「昨日、本当にあの天上さんと色々喋ったんだよなぁ……」


 なんて感傷に浸っていると、近くの席からヒソヒソ声が漏れ聞こえてきた。


「天上さん、なんか今日ちょっと機嫌よさそうじゃね?」


「やっぱそう思う?なんかいいことあったのかな?」


「今日の雰囲気なら話しかけられるんじゃね?」


「無理だろ。行けるもんなら行ってみろよ~」


「冗談だって、天上さんに話しかけるなんて無理無理」


 そんな会話を耳にし、改めて天上さんを見てみる。

 すると、そいつらの言うとおり、普段よりも若干表情が柔らかい。

 なんなら、よく見ると口元が緩んでいる気さえする。


「昨日、解散した後になんかいいことでもあったんだろうか……」


 まあ、昨日は天上さんにとって散々な日だっただろうし、よかったよかった——


キーンコーンカーンコーン…………


 そんなことを考えていると、1時間目のチャイムが教室中にこだまし、いつもどおりの一日が始まった。






キーンコーンカーンコーン…………


「…………ッブハァ〜〜……」


 午前の授業が終わり、俺は肺の中の空気をすべて出し切る勢いで溜息を吐いた。

 なにも、授業内容についていけなかったとか、いきなり先生に当てられて回答できずに恥をかいたとか、そんな理由ではない。

 

「なんであんなにこっちをチラチラ見てくるんだ……」


 そう、悩みの種は天上さんなのだ。

 

 天上さんの席は窓側の一番前であり、俺の席とはちょうど対角線上に位置している。

 そのため、彼女の姿はまあまあよく見えるのだが、何故か授業中、休み時間問わず、なにかを期待するような目でこちらを定期的にチラチラ見てくるのだ。

 俺に視線を送っているとクラスメイトにバレてしまわないよう、敢えて気づかないふりをしているのだが、こう何時間も視線を浴び続けていると精神的に疲弊してくる。

 

「2時間目の授業中、天上さんと目が合った気がする!」


「え?嘘!?それヤバいじゃん!!」


「あの天上さんに視線もらったって、あとで部活で自慢しちゃお~」


「天上さん、なんか今日こっちチラチラ見てるよな!?」


「そうなのか?こっちは全然気づかなかったわ」


「も、もしかして、俺のことが、す、好き——」


「それは絶対にないから安心しとけ」


 いつもと違う天上さんの行動は、すでに教室内で話題になってしまっている。

 しかし、渦中の彼女は、そんなこと気にも留めずに黙々と弁当を食べている。


「放課後までバレませんように……!あと天上さんはもうこっち見ないでくれ……!!」


 こちらから理由を聞くために話しかけるわけにもいかず、俺はただただ祈ることしかできなかった。


 

 



キーンコーンカーンコーン…………


「よ、漸く終わった……」


 チャイムが鳴り、本日最後の授業が終わった。

 今日は、これまでの高校生活で最も一日が長く感じた日だった。

 

 午後からも、天上さんの視線は俺に降り注ぎ続けた。

 途中で、俺がわざと目を合わせていないことに気づいたのか非難するような視線になり、最終的には怒りのこもったものへと変わっていった。

 

「天上さんと目が合ったと思ったら、なんかめっちゃ怒ってる感じだった……」


「お前なにしたんだよ」


「天上さんが怒ってるとこなんて見たことないぞ」


「な、なんもしてないって!!」


 天上さんの怒りはうっすらとみんなにも伝わっているようで、誰が怒らせたのかと犯人探しがヒソヒソと行われている。

 それにしても、今日の彼女は感情を表に出しすぎている気がする。

 もちろんクールな表情の上でではあるが、みんながおおよそ感情を理解できる程度に表情を崩すことなど、今まで一度もなかった。


「俺になにしろっていうんだ……」

 

 結局、最後まで天上さんに見られていた理由はわからず仕舞いで、ホームルームが終わるや否や、俺は逃げるように教室を出た。






 教室を出た後、俺は昨日と同じ本屋へと向かっていた。

 目的はもちろん、昨日買えなかった漫画を今日こそ手に入れるためだ。

 昨日と同様、改札を出て本屋へ直行。

 漫画コーナーに到着すると、発売から一日経ったからか、まだたっぷりと在庫が残っていた。

 

「やっぱり初日に買おうとするのは無茶だったな……」


 そうぼやきながら、お会計を済ませて出口へと向かう。


「さて、今日はさっさと帰——」

「宝生くん♡」


 突然背後から聞こえた声に、ピシリと身体が固まる。

 そのまま、ギシギシとブリキのような音を立てながらゆっくりと振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた天上さんがいた。


「宝生くん♡」


「ひゃ、ひゃいっ!!」


 再び名前を呼ばれ、情けない声で返事をあげる。

 満面の笑みだが、目の奥が全く笑っていない。

 昨日脅されたときと全く同じ目だ。


「あ、天上さん、なぜここに……」


「着いてきて」


「え?」


「着いてきて」


 『逃がさないぞ』という無言の圧力にブルブルと震えながらも、なんとか逃れる術はないかと試みる。


「あ、あの……今日は急——ぐえッ」


 しかし、言い終わる前に天上さんに制服の後ろ襟を掴まれ、引きずられるような形で強制的に連行された。






「……あのー、天上さん……?」


 連行されてきたのは、昨日と同じ喫茶店。

 天上さんは、席に着いてから下を向いたまま微動だにしないため、俺はおずおずと声をかけた。


「……んで」


「え?」


「なんで今日、話しかけてくれなかったの?」


 天上さんは、こちらを睨みつけながら恨めしそうな声をあげた。

 俺は、なんとか彼女を宥めようと弁明を試みる。


「いや!それは天上さんのためでもあってだな……!」


「どういうこと?昨日言ったよね!?『また明日』って!!」


「確かに言ったけど、それと何の関係が——」


「 『また明日』ってことは、教室でも昨日みたいに話しかけてくれると思うでしょ!?」

 

 ここで、漸く天上さんの怒りに合点がいく。

 どうやら、俺が昨日の別れ際になんとなしに言った、『また明日』という発言が、彼女に余計な期待をさせてしまったようだ。


「教室で声かけられたらなんて返事しようって、帰ってから30通りくらいパターン考えてシミュレーションしたし!不意打ち気味に来られても表情が崩れないように、ドッキリ系のホラー動画を何本も見て表情筋鍛えたし!第一声が変な声にならないようにって、昨日はマスクしたまま寝て、今朝は15分発声練習してから登校したんだよ!?」

 

 天上さんは、捲し立てるように昨夜から今朝にかけて行った努力を吐露した。

 確かにすごい努力だが、それにしてもやりすぎじゃないか?

 どんだけ話しかけてもらえるのを楽しみにしてたんだよ。

 

 昨日見た大量の付箋といい、どうやら天上さんは努力の方向性を見誤りがちなようだ。


 天上さんが猛烈にかかってしまっていたことに内心ツッコみつつ、俺に非があることが分かったので、素直に謝罪の意を伝えた。


「そ、そういうことだったのか……。ごめん!俺が悪かった」


「……別にいいよ。私もちょっと変に前のめりになっちゃってたし」


 天上さんは、チュゾゾゾと注文したアイスレモンティーをストローで吸いながら、仕方ないといった様子で俺の謝罪を受け入れてくれた。

 そして、そのまま一気に飲み干すと、彼女はなにかを決心したような表情でこちらを見て、口を開いた。


「決めた!」


「な、なに?」


「やっぱり受け身なままじゃダメなんだよ。だから、明日は私から声かけに行くね?」


「え”っ?」


 不味いことになったぞ、と内心で独りごちる。

 天上さんが俺に話しかけようもんなら、教室中が今日の比にならないほどに騒然となることは想像に難くない。

 根も葉もない噂が立てられまくり、俺だけでなく彼女にも被害が及びかねない。

 

 そう考えた俺は、考え直すよう天上さんを説得する。


「なに?なにか問題でもあるの?」


「問題は大いにある!今まで誰とも話してこなかった天上さんが、いきなり俺なんかと話し始めたら、教室中が大変なことになるぞ!?」


「大変なことって?」


「根も葉もない噂が立てられて、天上さんにも迷惑がかかるって話だ!」


「例えば?」


「た、例えば……その、お、俺と天上さんが、つ、付き合ってる……とか」


 恥ずかしさでかなりどもりつつも、最も懸念している内容を伝えた。

 そう、思春期真っ盛りの高校生は、些細な出来事からすぐに恋愛へと話を繋げがちだ。

 そんな中、天上さんが自分から男子に話しかけ始めた、なんてことがあれば、すぐにそっち方面で噂が立つことは想像に難くない。

 天上さんを想っての発言だったのだが、当の本人は俺の発言がおかしかったのか、堪えきれないといった様子で笑い出した。


「ぶっ!……ックク……ヒィッ……あはははは!!」


「な、なに笑ってんだよ!お、俺は本気で天上さんのことを心配して……!」


「あははははは!!…………ふぅ」


 天上さんは涙を拭いながらひとしきり笑った後、恥ずかしさで顔が熱い俺にからかうような表情を向けながら、テーブルから身を乗り出して顔を近づけてきた。


「私は、宝生くんとの関係をそういう風に見られるの、嫌じゃないよ?」


「なっ!?なに言って——」


「宝生くんは嫌なの?」


 顔が近い。

 学校では絶対にしない、はにかむような笑顔で見つめられ、思考が鈍くなっていく。


「っ!!——い、嫌、とか……そんなんじゃ、ないっ、けど」


「……ふーん、宝生くんって優しいんだね」


 からかわれていると分かっていても、目の前に学校一の美少女の顔があるとなると、どうしてもしどろもどろになってしまう。

 そんな、返答にきゅうしている俺の姿に満足したのか、天上さんはにこやかな表情でもとの体勢に戻った。


「はい、からかうのはおしまい!これは今日の態度のお返しね」


「ぐぬぬ……、わ、わかった……」


 言いようのない敗北感にさいなまれていると、天上さんは『教室で話す』以外の案を思いついたのか、話を戻した。


「教室がダメなら、お昼休みはどう?教室の外で一緒にお弁当食べようよ!」


「一緒に弁当!?そんなの誰かに見られたりなんかしたら……」


「大丈夫!私、全然人が来ない場所知ってるんだ~」


「で、でも……」


「お願い宝生くん!『ぼっち仲間』のえんでさ!」


 正直、一緒に弁当を食べるなんて、教室で話すよりリスクが高いような気がする。

 しかし、すでに一度天上さんの案を却下している手前、再び却下するのもどうかと思い、渋々了承した。


「…………わかった。昼休みの間だけだからな」


「——!!! ありがとう、宝生くん!!」


 天上さんは、俺の返事に目を輝かせ、明日の弁当の具材についてあれこれと考え始めた。

 

 これから一体どうなってしまうんだ…………


 俺は、これからのことに不安を覚えながら、わずかに残っていたコーヒーを飲み干した。

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