1章 一ノ瀬友也はモブなのだろうか

第1話 来島綾香という教師

 ひらひらと風になびく水色のカーテンが、その風に引き戻されるように外へはみ出す。

 少し暖かくなった気温にシャツの袖をまくり、日差しのよく当たる教室を見渡すと、普通でいつも通りの教室の景色。


 特に欠席が目立つわけでもなく、人間関係がこじれているようなそんなクラスでもない。

 何かが起きることもなければ、ラブコメのような恋愛模様もない。

 

 そんなクラス。それがこの2年Ⅽ組だ。


 ちくたくと時計の音が聞こえる四限目終了十分前の自習時間。

 近くにあるプリントだけが数枚入った席を見つめ、俺は静かな教室で一人考える。


 席替えしたての斜め前の席。

 このクラスになって約一か月。その姿を一度も見たことがない。


 『弓瀬ひなの』


 あるクラスでは学校一の問題児と言われ、またとあるクラスでは千年に一人の美少女といわれる。

 アイドルをしているとか、そんなことはないとか。その噂から謎の多い人物。

 このクラスに一度たりとも現れたことはない。

 

 そう、彼女はいわゆる不登校なのだ。


 このクラスでほとんどが顔を見たことはないし、話したこともないのに噂だけは流れ続ける。

 『あいつの男は……』だとか、『この前、駅前で彼氏と歩いてたよ』とか。


 根も葉もない噂がいろんな人たちによってさまざまな形に変化し、鋭く尖る。

 やがて本人の耳に届く頃には大きくて鋭い、切れ味抜群の凶器になる。


「――そりゃ、学校には戻れないよな」


 明らかな電子音のチャイムがうるさく鳴った後、全員が一斉に各々弁当を持って教室を出る。

 ただ、俺はいつもの場所に向かうことはなく、それとは反対方向に教室を出た。



 ◇



 俺の通う広島市立秋明高校の校舎は比較的街中に建てられていて、その校舎は北側に集中している。

 

 その校舎は上空から見ても水色の屋根がよく目立つ。周りが略称としてよく使うのは『アキコウ』で、偏差値はそこそこ。受験でも努力さえすれば国公立が狙えるようなそんな位置だ。

 その受験まで一年を切った三年生がよく訪れる職員室の位置は、中庭から入って右のところ。


 俺は職員室のドアを開けると昼休憩をとる先生たちを横目に、その奥のカーテンだけで仕切られた部屋まで足早に歩く。


「よう一ノ瀬。昨日ぶりだな」


 そこには昨日、休日にもかかわらず散々絡んできた来島先生が大きな態度で革のソファに座っていた。

 タバコを片手に、口から雲のような息を吹き出す。


 ちなみにこの学校は全面的に禁煙なんだが……


 

「さて、私がやったラノベは読んだか?」


「いや、全部は読めなかったですけど二作品ほど読みましたね」


「おお! 何を読んだんだ?」


「ええと、あの『ゲームで強い俺は現実で無双する。』と『やっぱり俺はラブコメには向いてない』ってやつっすね。前者はいわゆる『俺tueee』ってやつでした。後者はアニメで見たことあったんで流れで読んだって感じですね」


「ほう、また無難なのに行ったんだなぁ。それで? どうだった?」


 

 来島先生はなぜか嬉々として笑みを浮かべながら俺を見つめる。

 やっぱりこの教師オタクだ。

 

 でもそんな見つめられたら惚れちゃうなあ俺。


「俺、『俺tueee系』ってあんま好きじゃなかったんですけど、これは結構サクサク読めるっていうか。あまり主人公の主張が強すぎなくて、凄くよかったですね。『俺ラブ』は安定で面白かったです。捻くれた主人公がいい味出してますよね」


 『いい味』なんて言葉で通ぶってみる。

 実際どんな味が出てるのかなんてわからないけれど、面白いのは確かだ。


「おお、わかるのか一ノ瀬。 さすがは私が見込んだだけはあるな……正直、お前国語の点だけは良いだろ? だから言葉も知ってる。それにある程度の節度をわきまえることができるだろうし、今回の件はやはり一ノ瀬。お前が適任だな」


 なるほど。

 確かに去年の期末試験、現代国語と古典は両方とも80点以上。

 国語だけは得意教科ではある。……国語だけはね。


「はぁ、先生が見込んでくれたのはありがたいんですけど、この話とラノベって関係あります? そもそもなんで俺、ラノベを読むなんて課題出されてたんでしたっけ」


「……? 言ってなかったか?」


 言ってないですよ。

 来島先生は銜えていたタバコを灰皿に強く押し付け、一息つく。


 

「一ノ瀬は私が昨日した質問を覚えているか?」

 

「主人公にならないか一ノ瀬ぇってやつですか? それとも私と結婚しないか一ノ瀬ぇのほうですかね。ちなみに後者ならイエスですけど……」


「うし、一発逝っとくか一ノ瀬」

 

 た、タバコっ?!

 熱風が頬をかすめる。

 臭い煙が一直線に俺の横顔を突っ切っていった。

 

 恐ろしく速い。次は問答無用で顔に根性焼きだろう。

 俺が柄でもない先生のモノマネをしたことには触れないのか、とも思ったが黙っておく。

 

 陰キャが柄でもなくふざけたらこうなるのは、もうこの世界のお約束ですね。

 


「……次はないぞ。いくら相手が一ノ瀬でも結婚はまだ早いと思うからな。私はこれでも結構考える方なんだ。それと、私のモノマネがもう少し下手だったら当ててたな」


 やっぱ恐ろしい、なにこの女。

 でも先生がゼクシィ読んでるの俺知ってるんだぞ?

 

「はい。さーせん」


 まあ、閑話休題ってことで。

 

「それで話を戻すが、お前は前者の質問に肯定的な返事をしただろう? それでだ、お前にはラノベの主人公になってもらう。とはいっても恋愛要素は求めてないのだがな。まあ、言わば弓瀬の居場所、というか話し相手になってもらいたいんだよ」


 人ともまともにコミュニケーションが取れるか怪しいのに、いきなり美女の相手とはちょっと……


「それで俺にラブコメを? ……っていうかそれって結構迷惑っすよね弓瀬にとっては」


「そうか? まあ、ラブコメのように弓瀬がお前に惚れるかどうかは知らんが、あいつにとって今一番必要なのは同級生であり、相談のできる奴だと思うんだ。それに一人の人間を救えるチャンスなどなかなかないぞ? それも美人ときた。童貞オタク陰キャのお前にはこれ以上ない展開だと思わないか?」


 この教師、とことん時代に逆行してやがる。

 そりゃ確かに女子との関わりなんてほぼないけどさ。

 

 まあ、クラスで男子全員と仲がいいような女子でもなぜか俺だけ君付けだし?

 しかも話しかけてくれないし。

 

「そうですね。陰キャ童貞オタクの俺にはほんともったいないくらいの展開ですね」

 

「だろう? それでだ。さっそくだが今日の放課後弓瀬にあってもらう。場所は元新聞部の部室。鍵は本人に預けてあるから安心しろ。それと、お前が行くことは伝えてはいるが、相手を探るにも慎重にな。なんといっても彼女はかなり心とプライドが傷ついてるんだ。まあ、何かあったら言いたまえ。お前を抑えつけるくらいの力はあるからな」

 

 なぜ俺が事を犯す側なんですかね。

 ていうか放課後って。まだ心の準備ができてないんだけどなあ。

 このままだと童貞が出るよ? きょどっちゃうよ?

 

「はぁ、いや何もしないですけどね。配慮はしますよ一応。傷つけないように言葉は選びます」


「おう、ならいい」

 

 先生が納得した様子でソファに深く腰掛ける。

 それと同時に休憩終わりのチャイムが鳴る。職員室もより忙しくなった。


「……もうそんな時間か。 まあ一ノ瀬。こうやってお前にいろいろと頼んではいるが、要はあいつの心を開いてくれたらいい。あいつがクラスに復帰するならどんな手段でも構わん。頼んだぞ」

 

 来島先生は俺の肩をトントンと叩き、去り際に手を振ってくれた。

 可愛いとこはあるんだよ。変人だけど。

 

 そういえば……

 昼休み終了を告げるチャイムでふと思い出す。

 

 ……弁当、いつ食べようか。


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【あとがき】


1章がスタートしました。

今後ともこの作品をよろしくお願いします!

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