プロローグ モブの日常はこんなもの②

 昨日から楽しみにしていたラノベ。

 その楽しみな気持ちを胸に読み始めた俺を、覗き込むように見つめてきたのは友達でもなく、同じ学校の生徒でもなく……俺の担任『来島 綾香』だった。


 これでもうちの2-Ⅽ組の担任で、生徒からは『くるちゃん』、『あやせん』なんて呼ばれていて評判もかなりいい。学校に一人はいる生徒に愛されている感じの先生だ。


 見た目もそこら辺の27歳よりかは幾分若く、そのスラっとしたスタイルとどこか女優を思わせるきれいな顔立ちで、その見た目からパートナーの有無を気にしている生徒も少なくない。

 隙あらば教師でも狙ってしまうのが高校生。


 わかるぞ、その気持ち。


 しかし、俺だけは知っている。

 この人の前で結婚はNGワード。

 一度口にしたらその月の授業はすべて、出席番号も関係なしに問答無用で当たる。


 ちなみにこれは体験談。


 ――ところで、



「先生、なに並べてるんですかここカフェですよ?」


「知ってる。カフェだな」


「じゃあなんで鞄から大量のラノベを出しては端から並べてるんですか。しかもほぼラブコメ」


 

 俺の前に座る来島先生が、そういいながらも淡々と並べ続ける。

 

「時間がないからな、並べるしかないんだ」


 手が止まる気配は一向にない。

 やがて机が本一色になったところでやっと手が止まる。


 これ俺のコーヒーとサンドイッチどこに置くんすか。


「……一ノ瀬、ラブコメには興味があるか」

 

 机に両肘をつき、真剣な顔で俺を見つめる。

 また突飛とした質問に戸惑いを隠せないなか「一応」とだけ答えておく。


「そうか、ならいい。実はここに並ぶラブコメなんだが、それぞれ共通点というものがあってだな。簡単に説明すると、主人公がヒロインを助けるだろう? それでそのヒロインが主人公を好きになって救われる、みたいなそんな話の作品なんだが。人を助けて、そいつに惚れられるなんて素敵だと思わないか?」

 

 机の上に並ぶラブコメはどれも有名な作品で、中にはアニメ化した作品もある。

 確かに、そう言われてみるとそれがラブコメのテンプレというものなのかもしれない。


 ここで、「私をヒロインのように助けて♡」なんて言ってくれるもんなら俺の心も揺らぎかねないが。少しも期待はしてないよ。多分。

 

 

「まあ、思いますね。この主人公かっこいいなーくらいは思ったりしますけど」


「だよな! じゃあここで一つ聞くぞ。お前も主人公にならないか、一ノ瀬」


「はあ。は、はい?」


 

 説明も前振りもない質問に俺はまたもや戸惑う。

 意図的に困らせているのか天然なのかはわからないが、国語の教師ながらにその会話能力。

 こっちが助けてくれ。


 ぶっ飛んだ質問を投げかける先生に苦笑いで返す。


「つまりどういう……」

 

「ほらさっき言ったカウンセリングの話なんだがな。うちのクラスに不登校の女子生徒がいただろ? お前も知っていると思うが、元アイドルのな」

 

 ああ。名前までは覚えていないが、たしか学年が変わってから一度も来ていない生徒が一人いたか。

 元アイドルというのもクラスのカーストトップ軍団が噂していたのを微かに聞いた記憶がある。


「さっき話した結果。少しでも学校に来てくれるというんだ。当分は保健室登校という形にはなるんだが。それでだ、そいつの居場所を作ってやりたくてな。それをお前に手伝ってほしい」

 

 ラノベの主人公になれるというのは、全ラノベオタクの夢といっても過言ではない。

 なるほど。俺を乗せるためのラノベのくだりだったんですね。

 

 先生の話にすっかりと乗せられた俺は、嬉々として答える。

 

「そういうことなら、できることはしますよ。不登校の気持ちもわかるので」

 

 一応、中学一年生の時に体験しているから、まあわからなくもない。


「おお! さすがだ一ノ瀬。私はお前を信じてたんだからな! いやあ、嬉しいよ。いーちぃのーせぇー」

 

 先生は嬉々として俺の手を大げさに握る。


 「う、うれしそうっすね」

 

 俺がテンションの高い先生に若干引き気味でそう返事するや否や、何かに気づいた様子で来島先生は携帯を取り出し何かを確認する。やはり教師という職は忙しいのだろうか。


 少しでも生徒のために行動をして、惜しい時間を使って俺に相談してくれたのだ。

 俺を頼ってくれる人がいるのだという、この上ない喜びに浸りながら本を避けた小さなスペースにあるコーヒーを啜る。


 我ながらちょろいな、俺。


「なっ?! ……すまんな一ノ瀬ちょっと用事があってな。金はここに置いておく! そこにあるラノベ持って帰って勉強しておけよ! 詳しいことはまた明日話す!」

 

 来島先生はそう言うとテーブルに千円札1枚と500円玉を置いて早々に店を出て行った。

 まったく、忙しい人だ。

 

 俺は少し慣れないカフェを堪能してから帰るとしよう。

 こんなことでもないと滅多に来ないのだから。

 

 元々予定などなかったゴールデンウイークの最終日。

 少しずつ暖かくなる外の気温に心を躍らせながら、いつもは砂糖をたっぷりと入れるコーヒーをブラックで飲む。

 

 

 いつもは何もない日常。

 いつでも主人公を取り巻く世界というのは、こうも忙しいものだろうか。

 

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