楠木三太郎 (1)
「と言うことで、石川。彼が楠木三太郎君だ」
俺は簡潔に石川に向けて隣の席の男子生徒を紹介した。
昼休みである。石川は相も変わらず、俺の席に押しかけてきていた。ちなみに、今朝登校したら机の上にカップケーキの小山ができていた。もちろん、犯人は石川だ。例の桜色のメッセージカードに、こう書いてあった。
二年三組猪熊翔堂さま。カップケーキを作りました。よろしければご賞味ください。一年二組石川愛衣。
防腐剤なんか入っていない手作りのカップケーキは、日持ちしなさそうなので、なるはやで食べなければならない。昨日のパンの山と合わせると、軽く一万キロカロリーくらいありそうだ。つまり、十メガカロリーだ。メガを使うと、とてもカロリーが高そうに見える。印象とはそんなものだ。およそ成人の基礎代謝が二千キロカロリーくらいだから、実に五日分以上だ。まともに食っていては豚になってしまう。
まあ、朝の話は今は置いておこう。今は、昼休み。そして、三太郎の話だ。
「へ? 誰です?」
石川は首を傾げる。まあ、そうだろうな。
「猪熊君?」
そして、三太郎も首を傾げる。当然の反応だ。
そんな二人、特に石川に向けて、俺は堂々と宣言する。
「石川、俺はお前と付き合う気はない。これっぽっちも」
俺は右手の親指と人差し指とくっつきそうなくらい近づけ、その小ささを表現する。指の形も相まって、「ゼロ」を現している感じになる。実際、俺が石川とくっつく確率はほぼゼロだ。俺にその気が無いからな。
「そんなー。先輩のイケズー。もう、照屋さん」
しかし、石川は俺の冷たい言葉も涼しげに受け止めた。全く俺の気持ちなど気にしていないかのようだ。
俺の突き出した右手を、石川はそっと包むように握りしめた。
「っ!」
不意に、石川の手の温もりを感じてしまい、俺はドキリとした。
温かい、手のひらだった。
しかし、手と心の温かさは反比例するという話もある。コイツの冷酷な格闘家としての一面を、俺は既に見ている。騙されちゃダメだぞ、俺。
石川は、俺の右手を大事そうに手で包むと、その手をあろうことか、胸に――。
「って、ええい!」
胸に触れそうな直前で、俺は煩悩を断ち切った。危ない。もう少しで、石川の胸に、触れるところだった。
「もう、先輩ったら。ほら、おっぱいですよ? 触りたくないですか?」
石川は挑発的に胸を腕でギュッと寄せて上げた。柔らかそうな双丘が、制服越しでも分かるくらい盛り上がる。
「……おっぱい」
三太郎がその一連のやり取りを眺めながら、垂涎していた。汚い。
「いらん! そんなポーズを取るな! 女の子がはしたない!」
俺は石川を注意しながら、制服のズボンからポケットティッシュを三枚取り出し、三太郎に投げ渡す。
「三太郎、口!」
俺の短い言葉で三太郎は察したらしく、口元にだらしなく垂れていた涎を拭きとる。
「あ、ありがとう。猪熊君」
俺と三太郎のやり取りを見て、石川は何を思ったのかポンと手を叩いた。
「そうですか。猪熊先輩はちょっとだらしない方が好みと見ました。父性をくすぐるような」
そう言うや、石川は制服のボタンを外し――。
「こら! 止めんか! 胸元を開くな! 見えるだろうが!」
制服の胸元を開けようとしたので、俺は強い言葉で制止した。ちょっとだけ、ピンク色のレースをあしらった可愛らしいブラが見えた。ピンク、か……。
しかし、石川は何故怒鳴られたのか分かっていないようで、首を傾げた。
「猪熊先輩? 見たくないですか?」
いや、俺も男だ。見たいか見たくないかを聞かれたら見たい。だが、お前を、石川を女としては見たくないし、見れない。本能よりも理性だ。今は危険察知能力が大事だ。
「だから、いらん! ちゃんとボタンを留めろ!」
俺が強く否定したので、石川は大人しく従った。「ちぇー」と残念そうに唇を尖らせていたが、コイツ、露出癖でもあるんだろうか。そして、また三太郎が涎を垂らしていたので、また二枚、ティッシュを取り出して三太郎に投げつけた。
「あ、ありがとう」
仕切り直しだ。ここからが正念場だ。
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