熱烈アプローチ (3)
ホームルームが終わると、石川は真っすぐ俺の席までやってきた。
「先輩! 放課後ですよ! 帰りましょうか!」
それは、健気な美少女だった。
しかし、俺はその中身を知っている。ゆえに、俺は頭を抱えた。
「石川、お前、何でそんなに……。いや、いいや」
俺なんかのために尽くすのか、と聞いてみたかったが、恐ろしかったので止めた。
「先輩? 帰らないんですか?」
いつまでも席に座っているわけにもいかない、か。
俺は意を決して、学生カバンを肩に引っ掛けながら、席を立った。
「帰りましょうか。カバン、お持ちしましょうか?」
「いらん」
俺は短く答え、ずかずかと教室を出た。半歩だけ後ろに控えながら、石川も俺の後を追ってきた。
しかし、教室を出たところで、意外な人物から声をかけられた。
「待てよ、猪熊」
男子生徒の声だ。振り返る。見覚えのある坊主頭だ。
「長宗我部? 何だ? 俺に用事か?」
二年四組の長宗我部だった。俺とは幼稚園からの腐れ縁であるが、仲は悪い。犬猿の仲と言っても差し支えない。その長宗我部が、わざわざ俺を呼び止めたのだ。何も無いはずがない。
「最近、女の子を侍らせて調子に乗っているそうじゃないか。なあ、『銀斗高校の暴れ猪熊』よお」
女の子? 侍らす? 誰が?
俺が疑問符を浮かべていると、長宗我部は律儀に説明してくれる。
「ほら! 今も後ろに!」
まるで怖い話のオチのような言いぶりだな、と思いつつ、俺は後ろを振り返った。
そこには、美少女がいた。石川だった。
侍らすって、コイツのことか?
「違う! 勘違いも甚だしいぞ! 長宗我部!」
「何が違うんだよ。一年でも可愛いと話題の石川さんじゃないか。それが、甲斐甲斐しく後ろを歩いている。これが侍らせてると言わず、何て言うんだよ!」
勘違いもいいところだ。これは侍らせているんじゃない。付きまとわれていると言うんだ。
しかし、長宗我部にとってはそんなこと細やかな問題に過ぎないようだ。
「キレちまったよ。久しぶりに、やろうぜ」
まあ、何でもいいんだろうな。喧嘩ができれば、理由なんて。その点、石川よりも単純な長宗我部の理論は、俺としてもありがたかった。
「分かった。受けて――」
「待ってください!」
俺が長宗我部の安い挑発に乗ろうとしたところで、止めたのは石川だった。
「石川?」
「石川さん?」
俺も長宗我部も、その場の空気が止まった様に、石川の挙動に注意を払った。
しかし、次の瞬間――。
「せいっ!」
「ぐふっ」
石川はノーモーションから長宗我部の鳩尾に向けて右の掌底を放っていた。腰の入った、重い、見事な一撃だった。場の空気を読んで、静かにしていた俺と長宗我部に戦慄が走った。それは、サイコパスに遭遇した一般人の感覚だ。やべえ。やえべよ、コイツ。
「ごふっ、ごほっ、ごっほっ」
長宗我部は盛大にむせる。
あーあ、この女に関わったから、そんな目に合うんだよ。タイミングが悪かったな、長宗我部。
「私の掌底も躱せぬ、その程度の腕で、猪熊先輩に手を上げようとは……笑止、です」
俺が長宗我部に同情していると、石川は冷たく言い放った。
コイツ、用心棒としてはとても有能なんじゃないだろうか?
「ささっ、先輩。帰りましょうか」
撤回だ。デメリットが重すぎる。
石川は俺の腕を抱きしめる様にくっつくと、俺を先導して歩き始めた。
「おい、石川、待てって。すまん。長宗我部。また今度な」
今度会ったときは、ちゃんと相手してやるから、今回は勘弁してくれな。すまんな。
この気持ちは、長宗我部にちゃんと届いているだろうか。
「ぐふっ、ま、待て。……待って!」
いや、届いていないな。俺は憐みの感情で長宗我部に視線を送る。すまん。実にすまん。
心の中で平謝りを重ね、俺は石川に導かれるまま、校舎を出た。
「全く。非常識ですよね」
存在が非常識なやつが、どの口で言うのか。
先ほどから、石川に抱えられている俺の左腕に、ぷにぷにとした柔らかい感触があるのが気になりながら、俺は無視を決め込む。
しかし、石川は当然のように独り言を続ける。
「あれなら、まだうちの道場の門下生の方が強いですよ。小学生ですけど」
酷い言われようだった。言うに事欠いて、俺の腐れ縁の喧嘩友達を小学生以下と断定しやがった。まあ、戦歴は俺の十二戦十二勝だから、今更長宗我部が弱いと言われても、「まあ、そうだろうな」って感想しか浮かばないんだけど。
しかし、長宗我部が小学生以下か。その小学生以下と、俺はこれまで十二回も喧嘩をしてきたのか。これからは自粛しよう。
俺が人知れず、ちょっと大きな決断をしていると、石川がまた俺に話を振ったようだった。
「先輩はどうですか?」
しまった。また聞いていなかった。
「何だって?」
俺は素直に聞き返したのだが、石川はそれが気に入らなかったようで、渋い顔をした。
「先輩。鈍感系の主人公ですか? もう流行遅れですよ、それ」
何? 鈍感系? どちらかと言うと、俺は相手の機微に聡いほうだと自認しているのだが。そして、だからこそ、今の石川が危険極まりない存在であると、警鐘を鳴らしているのだが。伝わらないか、この気持ち。伝わってないよな。当事者だもんな。
俺がガクッと肩を落とすと、石川は不思議そうに首を傾げた。
「先輩?」
「いや、何でも無い」
もちろん、何でも無くはない。しかし、伝わらないのであれば、秘するしかないだろ、この思いは。
「で、何だって?」
「もう、先輩ったら。二人の将来の話、です」
将来だって? 明日がどうなるかも分からないのに、か?
「将来? 何が?」
「だから、子供は二人で、男の子と女の子が良いなって話、です」
俺が聞き返すと、石川は照れた様に頬を手のひらで隠しながら、俺の質問に答えてくれる。
「子供って、誰の? ……って、えっ、子供?」
しかし、勘の悪い俺は、さらに泥沼の質問を繰り返すのだった。
「私と、先輩の、です。きゃ、言っちゃった。子作りの話を振るなんて、先輩のえっちぃ」
待て待て。話が飛躍しすぎているぞ。
なぜ俺がお前と子作りをせねばならんのだ。罰ゲームか。
えっちぃってなんだよ。お前一人で盛り上がっているだけだろうが。俺を巻き込むな。ったく。
と言うか、子作り。子作りか。
俺は石川と視線を合わさないようにしながら、未だに抱えられている左腕に神経を集中する。
ぷにぷにと柔らかい感触がある。確かに、ある。
「先輩? 何だか顔が赤いですよ。大丈夫です?」
石川が不意に俺の顔を覗き込む。俺の顔と、石川の顔が、急接近する。
「ちが、違うぞ!」
「? 何のことです?」
どうやら、石川には俺の下心は見えていないらしい。良かったと安堵するが、この気持ちの行き場がどこに向かうのか不安感もあった。
石川は気を取り直して話を続ける。
「それで、私は綾絹とか綾織とかの『綾』って文字が好きなので、男の子なら綾人、女の子なら綾女が良いって言ったんですけど、先輩はどうですか? って聞いたんですよ。もう、しらばっくれちゃって、先輩のえっちぃ」
だから、何だそのえっちぃって。お前の中の流行りか? 広まないし、広めねえよ、俺は。
そして、なぜ生まれる予定もない子供の名前をお前と相談せねばならんのだ。
しかし、ツッコミを入れなかったのは俺の落ち度だ。いや、今からでも遅くはないか。
「何でやねん!」
俺はツッコミを入れた。関西弁で。
「もう。先輩ったら。ふざけてばっかり。でも、そこも好きです」
なぜか好感度が上がっている。これ、バグじゃね? 俺の人生ゲーム、バグ入ってね?
しかし、現実は無情だった。石川は俺の返事など無かったかのように話を続けた。
「猪熊綾人に猪熊綾女ですよ。なかなか綺麗な字面じゃありませんか?」
「もういい。勝手にしろ」
俺はやるせなくなって、肩を落とした。
そんな、はた目には仲良さげな会話を続けているうちに、駅に着いた。
一番線には既に電車が止まっていた。
「ほら。お前は三番線だろ。行けよ」
冷たく言うが、石川はまだ熱のこもったまま話を続ける。
「養子縁組もアリですよね。石川綾人に石川綾女。悪くないですね」
「はあ。勝手にしろ。俺は電車に乗る」
未だに熱が冷めない石川を放置して、俺は先に電車に乗った。
「ああっ! もう、先輩ったら……」
石川が名残惜しそうに呟いた。しかし、知ったことではない。
一応、申し訳程度に手を振ってやったら、喜んで手を振り返してきた。
「先輩! ラブです! せんぱ――」
ピーッと車掌が増えを鳴らす音が響いた。発車の合図だ。
俺は石川から視線を外し、座席の方へと足を進めた。
「先輩! せんぱーい!」
車両を挟んだ外と内で、石川が大きく声を上げていたが、無視した。
こんな日がこれからも続くのかと思うと、少し憂鬱だった。
俺はこれからの打開策について模索しながら、家路についた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
お読みいただきありがとうございます。
面白い作品となるように尽力いたします。
今後ともよろしくお願いします。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます