熱烈アプローチ (1)
石川を適当にあしらった。少なくとも、俺はそのつもりでいた。
しかし、石川はちっとも懲りていなかった。
翌日。俺が登校すると、俺の机の上にはパンの山があった。
「パン? 何で?」
今度こそ長宗我部の悪戯かと思ったが、またもやメッセージカードが置かれていたので、石川の仕業であることが分かった。
メッセージカードには、やはりか細い文字でこう書いてあった。
二年三組猪熊翔堂さま。おはようございます。昨日のお昼はパンをご馳走していただきありがとうございました。その恩を十倍にしてお返しいたします。一年二組石川愛衣。
パンを数えてみると、十五個あった。確かに、昨日は一個半のパンを石川に分け与えたが、こう返されては、むしろ嫌がらせだ。
「……十五個は食えねえ」
俺は昨日の盆栽と同じように、パンの山を教室の後ろのロッカーに置いた。貰ってくれる人がいればいいのだが、そんな仲の良い友人など教室にはいない。
まあ、パンだから、二、三日くらいは大丈夫だろ。……大丈夫だよな?
「いや、突き返すか?」
昨日の石川の昼食の食いっぷりを思い出す。あの勢いなら、十個くらいのパンは平らげることだろう。
いや、でも昨日と同じように重箱で弁当持参しているのなら、流石に無理か? それに、十個突き返したとして、アイツは明日、また十倍返しで百個のパンを持ってこないだろうか?
あり得ない、と否定できない自分がいる。
俺は覚悟を決め、全部のパンを食う決意を固める。まあ、一日三個で五日か。いや、キツイな。朝もパンにすれば二日半か。あんまり気が進まないが、消費しなければならない事実に変わりはない。
「仕方ない、のか?」
待てよ。それ以前になぜ俺がこんなことに悩まねばならない? 石川のことは適当にあしらっているのに。いつの間にかアイツのペースにはまっていないか?
ここは心を鉄壁にして、このパンをゴミ箱に。
ゴミ箱に。
いや、それは無理だ。食い物は粗末にできない。
「はあ……」
俺は大きくため息をついて、席に戻って授業の準備をした。
授業など受けるような気分では無いのだが、高い授業料を払っている両親への恩も込めて、全て飲み込んで授業を受けることにしよう。
うん。気持ちを切り替えよう。たまには授業をポジティブに受けるのだって悪くないはずだ。
「大変そうだね。猪熊君」
隣の席の楠木三太郎が俺に話しかけてくる。席が隣でも、普段からそんなに会話は無いのだが、俺がそれほどまでに憐れに見えたのだろうか、同情のこもった言葉だった。
「三太郎。お前、パンいらないか?」
三太郎がパンを半分貰ってくれるなら、一日ちょいで消費できる目途が立つ。
「僕、小麦アレルギーだから」
しかし、現実は無情だった。
「そっか。悪いこと聞いたな」
三太郎は小麦アレルギーか。それは大変だ。パンどころか、うどんもスパゲッティも食えないのか。それは、親御さんも苦労したことだろう。
しかし、三太郎は努めて明るく振舞っていた。
「最近はアレルギーを考慮した代替食品があるから、そんなに困らないけどね。……まあ、パンの山は本当にご愁傷様」
三太郎は俺の不幸を一緒に悲しんでくれた。コイツ、良いやつだな。
こうなれば、ヤケだ。せっかくの授業だから、楽しんで受けてやる。
それから、午前の授業を熱心に受けた。まあ、黒板の板書を写していただけだが、いつもより当社比一割増で綺麗な字で書いた。
そして、昼休みになった。
飽きもせず、石川は俺の席に押しかけていた。
「先輩。お昼休みですよ。お昼。先輩は今日もパンですか?」
パンですか、じゃねえよ。お前のせいで昨日買ったパンと合わせて、手元にパンが十七個あるんだぞ。
と文句の一つでも言いたくなったが、できるだけ関わり合いたくないので言葉を飲み込んだ。
すると、石川はそれを肯定と取ったのか、饒舌に話を続けた。
「先輩はアンパンですか。甘党なんですね。良かったです。今朝のパンの内訳はアンパン二個、クリームパン三個、焼きそばパン二個、カレーパンが二個――」
石川はぶつくさと今朝の十五個のパンの内訳を説明していた。良く覚えているものだと感心する。って、焼きそばパン? それ、日持ちしないんじゃ……。
「それで賞味期限は全部、今日までですから!」
石川は自信満々に言った。
「はあ? 今日までだあ?」
俺は思わず声を上げる。
すると、石川はキョトンと首を傾げる。
「あれ? 食べないんですか?」
「食べないんじゃない。食べられないんだ。どこのどいつが一日で十五個もパンを食うかよ」
「私、食べますよ。一日で、いえ、一食で十五個くらい」
「く、食えるのか……」
いや、まあ、昨日のお前の食事の勢いがあれば食えるだろうよ。ただ、常人の食欲を逸しているけどな。
「はい。あ、そうだ。先輩……」
石川は食事の手を止め、上目づかいで、俺の目を下から見上げる。その姿は紛れもなく美少女のそれだった。
「な、何だよ?」
その顔に、俺は気圧されていた。うん。黙っていれば、可愛いな。コイツ。
「おせっくすしましょう!」
「するか! アホ!」
前言肯定だ。コイツは黙っていれば可愛い。だが、喋るとロクでもない。
「女の子がそんなこと言うな! はしたない!」
しかし、俺の強い否定にも石川はめげない。
「ちぇ……良いアイディアだと思ったのに」
口ではそう言いながらも、全然悔しそうじゃなかった。むしろ、俺の言葉を嬉しがっている様子だ。
しまった。相手をしてしまった。
内心では無視しようと思ってはいるのだが、こうも熱心に話しかけられると、一方的に無視することが難しい。そして、知らず知らずのうちに石川のペースにはまっている。これは、マズいぞ。
なので、口にすることにした。
「石川。ちょっと黙れ」
「そうですね。食事中は静かにします」
石川は素直に俺の言葉に従った。しかし、それもわずか五分だった。五分で、石川は昨日と同じ目の前の三段の重箱と、タッパー一個のフルーツの盛り合わせを平らげてしまったからだ。言葉の通り、「食事中は静か」だった石川は、食事を終えると再びマシンガンのように口を開いた。
「ご馳走様です。先輩。週末は何してますか? 暇ですか? 私は稽古です。土日はたっぷり六時間の稽古です。でも、苦じゃありません。むしろ楽しいです。私の稽古相手の師範代はいつも肩で息を切らして――」
あーだこーだと石川の言葉は止まらない。それから、休日の過ごし方、稽古の相手のこと、食事の量とバランスのことと、様々な話題にシフトしていったが、全部石川の独り言だった。俺は聞く素振りさえ見せていないのに、石川は熱心に話していた。
「で、先輩はどう思いますか?」
だから、突然俺に話題を振られても、俺は返事をできない。
第三者から見ると、俺はどう見えるだろうか?
死んだ魚のような目をしていると答えてくれた人には、パンをあげたい。正解だ。
しかし、石川はキラキラと目を輝かせて、俺の反応を待っていた。
マズい。話題が何か分からないから、否定も肯定もできねえ。
「……知らねえ」
答えた。何とか。
「そうですか。残念です。でもでも――」
石川は、俺の答えなどどちらでも良かったかのように、話を再開した。
ふう。この場はしのいだ。だが、また話を振られてもマズい。
「だから、私は一日一回は――」
「すまん。席、外す」
俺は石川に断りを入れて、席を立った。しかし。
「どこですか? ついています! どこまでも!」
石川も席を立とうとしたので、それを制した。
「トイレだ! ついてくるな!」
すると、石川は大人しく言葉に従った。
「そうですか? 快便なのは良いことだと思います」
快便って、お前……仮にも美少女がそんなこと口にするなよ。
俺は毒気を抜かれながらも、その場を何とか後にした。
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