決闘の後に (4)


 教室を出た廊下に、石川は待ち構えていた。


「先輩。一緒に帰りましょう。あ、カバンお持ちしましょうか?」


 俺の手から強引に学生カバンを取ろうとする石川の手を躱し、俺は石川を制した。


「いらん。ってか、もう俺のことは放っておいてくれ」

「そんなことはできません。私は、先輩に惚れているんです」


 コイツ、いけしゃあしゃあとそんなこと言えるのな。


「ああ、そうだ。先輩。これを」


 石川は自分の学生カバンの中をゴソゴソとまさぐると、中から小さな袋を取り出し、俺に差し出した。綺麗なリボンでラッピングされていて、とても女の子らしい袋だった。


「何だ、それは?」

「カップケーキです。今日の家庭科の授業で作ったんです。……食べてくれませんか?」


 うるると瞳を緩ませながら、懇願するように石川は言った。

 その目は卑怯だぞ。断れないじゃないか。

 俺は袋を受け取り、その場でラッピングを解いて、中身を確認した。小さなカップに収まっている薄茶色のフワフワしたスポンジケーキが三個入っていた。その中から一個を取り出し、カップを剥がして、口に入れる。

 柔らかな触感と、甘い砂糖の味が、口内に広がった。


「……うん、美味い」


 俺の感想を聞くと、石川はぱあっと笑顔になった。喜色満面といった様子だ。


「私も試食したんですけど、先輩のお口に合って良かったです」


 俺は残りの二個のカップケーキの入った袋を丁寧に学生カバンにしまい、石川に向けて手を振った。


「じゃあな」


 歩き出した俺に、石川は追いすがる様についてくる。


「もう、先輩ったら。照屋なんですから。一緒に帰りましょう」


 石川は全く懲りていない様子だ。こんなに邪険にされているというのに、石川の思慕の情は健気で、一途なように思える。

 しかし、これじゃ、俺が悪者みたいじゃないか。俺の感性が間違っている? いや、普通だろ。喧嘩しかけられた相手に、誰が恋愛感情抱くかよ。 


「先輩の家はどちらですか? 学校を出て右手ですか? 左手ですか?」


 昇降口を出ながら、石川は矢継ぎ早に質問を投げかける。俺はそのことごとくを無視する。


「電車通学ですか? 上り線ですか? 下り線ですか?」


 しかし、いい加減鬱陶しい。

 俺は意を決して、立ち止まり、石川に話しかける。


「石川……」

「あ、やっと返事をしてくれました。私は好きですよ。先輩のこと」

「いや、そうじゃなくて……」

「えっ、まさか、先輩からも愛を囁いてくれるんですか?」

「違くて……」

「では、どうぞ。私、待ってますから」


 そう言って、石川はいきなり目を瞑って、唇を尖らせた。いわゆるキス顔だった。

 俺はやるせなくなって、再び歩き始めた。


「ま、まだですか、先輩?」

「そのまま一人でやってろ。ったく」


 俺の言葉に、一人で待たされていることに気づいたらしい石川は、慌てて俺の後を追いかけてきた。


「もう、先輩のイケズ。でも、そんなところも好きです。きゃっ」


 石川はきゃぴきゃぴと何か言っていたが、俺はそれを無視する。


 やがて、俺と石川は校門に差し掛かった。

 俺は校門を出て、右手に足を向けた。石川も後をついてくる。


 コイツ、帰り道一緒かよ。どこまでだ?


 ちなみに、俺は校門を左手に出て徒歩で五分の銀斗駅で上り線の電車に乗り、鈍行で十五分のところに家がある。まさか、電車まで一緒だということはあるまいな。


「あ、先輩。帰り道の方向、一緒なんですね。私は駅まで出て、それから下り線で二十分電車に乗ります」


 ああ、と言うことは駅まで一緒だが、ホームは違うな。良かった。電車を待つ時間もコイツの相手をする、と言っても聞き流しているが、必要が無いってことだ。

 電車は地方都市らしく、十五分に一本出る。この時間なら、ちょうどいい時間にホームに着く塩梅だ。


「それから、家に着いたら道着に着替えて道場で修行です。毎日たっぷり三時間。しっかり稽古します」


 石川の言葉を聞き流していたら、何やら気になることを言っていた。

 俺は、止せばよいのに、石川の言葉に反応していた。


「道場? 稽古?」


 すると、石川は実に生き生きと自分の家に着いて熱く語り始めた。


「はい。実家が古武術の道場なんです。乃木流古武術って言うんですけど、私は一応免許皆伝の腕なんですよ」


 生家が古武術の道場で、さらに免許皆伝の腕前だあ? 手前、そんな本職の腕引っ提げて、素人の俺に喧嘩吹っ掛けてきたのかよ。武道の精神とか、道場に置き忘れてるんじゃねえのかよ。稽古のし過ぎで頭がパーになってるんじゃないのか。


 俺はいろいろツッコみたくなったが、石川が実に嬉しそうに話すので、口を挟むのは遠慮して、野放しにする。


「乃木は母さんの旧姓で、今は伯父さんが道場の師範をやっています。伯父さんは独身で恋人もいないので、このままだと養子を貰うか、私が継ぐかしないと、道場の存続の危機なんですよ」


 家業の危機だってのに、石川は努めて明るく言った。


「私は免許皆伝ですけど、まだまだ若輩者で。だから、いろんな強い人に挑戦しているんですけど、中々思うように強い人には出会えなくて……。先輩が、初めてだったんです。私に、文字通り土をつけたのは。私、感動しました」


 石川はとても嬉しそうだ。


「それに、戦った私を保健室まで運んでくれるなんて。強くて、そして、優しい。先輩は、私の理想の男性像なんです」


 熱く語られているところ申し訳ないが、俺はそんなに立派なもんじゃない。ただお前と喧嘩しただけのアウトローだ。そんなに持ち上げられても困るんだが。


 そうして、石川が熱弁している間に、俺たちは駅に着いていた。

 通学定期券を自動改札に通し、改札を抜ける。

 上りの鈍行は一番線。下りは鈍行が三番線、特急が四番線だ。既に一番線には発車前の電車が待ち構えていた。もう一、二分もすれば発車するだろう。

 ここで、石川とはお別れだった。


「じゃあな。俺は一番線だ」


 すると、石川は名残惜しそうにもじもじとした。


「先輩。お別れのチュウ――あだっ」


 また石川がキス顔をしたので、その狭いデコにデコピンを入れる。


「じゃあな。後、もう俺の机に花とか盆栽とか置くな。縁起でもない」

「喜ぶと思ったんですけど……」

「いらん」


 俺は冷たく言って、電車に乗った。

 俺の背中に向けて、石川はずっとホームから手を振っていた。


「また、明日です。先輩」


 また、明日、か。

 今日のようなドタバタした一日がこれから続くのだと思うと、肩が重い。

 その反面、少しだけ。心が浮ついているような気持ちになった。本当に、少しだけ。



―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


お読みいただきありがとうございます。


面白い作品となるように尽力いたします。


今後ともよろしくお願いします。


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