決闘の後に (2)


 翌朝。いつもと同じように始業ギリギリの時間に登校すると、俺の机の上には盆栽が置いてあった。そう、盆栽だ。


「……石川か?」


 盆栽の脇には昨日と同じようにメッセージカードが置いてあって、こう書かれていた。



 二年三組猪熊翔堂さま。おはようございます。お昼休みご飯をご一緒してくださいませんか。一年二組石川愛衣。



 盆栽をゴミ箱に捨てるのは気が引けたので、とりあえず教室の後ろにある学生用のロッカーの上に放置することにした。緑化委員が毎日水を変えている花瓶の横に、堂々と配置した。これなら、見た目も悪くないだろう。


 しかし、石川だ。アイツ、昼休みに来るってメッセージカードに書いてあったな。アイツと、飯を食うのか? それは恐ろしいことのように思えた。食ってる途中で、水平チョップが飛んでくるかもしれん。逃げるか? いや、毎朝俺の机に花や盆栽を置くようなやつだ。アイツは俺のことを追いかけてくるな。逃げても無駄だろう。


 じゃあ、どうする? どうしようもない……か。なら、徹底して無視か。うん。それが最善の手のように思える。


 俺は意を決して、朝のホームルームに備えた。


 それから、授業はつつがなく進み、いよいよ昼休みとなった。

 キーンコーンカーンコーンと間延びしたチャイムの音が響く。


「おっと、時間だな」


 中年太りの古典の先生が呟いたと同時に、教室の後ろの扉がガラガラと開いた。


「先輩! 猪熊先輩! お昼ご飯、食べましょう! 先輩!」


 口やかましく姿を現したのは、石川だった。

 古典の先生を含む教室中の視線が、俺に集まるのを感じる。それは、結構な質量と熱量を持っていた。

 俺はその視線から逃げる様に、教室の扉と反対方向の窓へと視線を移す。窓の外では体育の授業を終えたばかりの体操服姿の学生が、校舎の方へと戻ってきているところだった。


 ああ、平和だな。と日常を甘受しているところに。


「先輩! 先輩ったら! もう、照屋さんなんですから」


 石川は強引に俺の席まで来ると、どしんと手に持っていた荷物を机の上に置いた。大きな風呂敷包みだった。……まだ古典の教科書とノートが机の上に出しっぱなしなのだが、石川はそんなことお構いなしのようだ。


 古典の先生は「じゃあ、まあ、これまで」と突如現れた石川の圧に押されながら、授業を切り上げて教室を去った。終業の礼も無く、授業が終わったのは初めてかもしれない。


 俺は仕方なく、風呂敷包みの下敷きになっている教科書とノートを引きずり出し、机の中へとしまう。そのまま、学生カバンのロックを外し、中から今日の昼めしである菓子パン二個とペットボトルのお茶を取り出す。

 母親が面倒くさがりで弁当など作りたがらず、昼食代として貰った四百円で、俺は昼飯をやり繰りしていた。四百円あれば、激安スーパーで弁当と飲み物を買うことができるのだろうが、近くにはコンビニくらいしかないため、俺のお昼は大抵菓子パンだった。菓子パンなら二個も食えば大体腹が膨れるので重宝していた。


 俺の寂し気な昼食を見ながら、石川は実に朗らかに声をかけてくる。


「先輩! お昼ご飯、よかったら私のお弁当を少し食べてくれませんか?」


 それは、少し魅力的な提案だった。

 石川は持っていた風呂敷包みの結び目を解く。中から出てきたのは、なんと三段の重箱だった。


 運動会かよ! っとツッコみたくなる気持ちを抑え、俺は菓子パンの封を切った。保存料や防腐剤なんかが混じった、菓子パン特有の香りが広がる。うん。実に寂しい昼食だ。


 一方で、石川の重箱は凄かった。パカパカと石川は重箱を広げていく。

 一段目はご飯だった。三角形に握られたおにぎりが並んでいる。その数、三列四行で合計十二個。これだけでもお腹が膨れそうだ。

 二段目と三段目はオカズ。卵焼きやミートボール、ウィンナー、唐揚げ、それに枝豆なんかが、所狭しと詰められている。

 推定でも四人から六人前くらいの弁当だった。


 まさか、コイツ、一人で食うんじゃないだろうな? それとも、俺のために作ってくれたのか?


 後者なら俺はコイツの好意を受けるべきだと思ったが、それは俺の考えすぎだった。


「今日はいつもより少なめなんですけど」


 いつもより、少ない……だと。重箱三段でか?


 しかし石川は特に俺の反応を気にした様子はなく、両手を合わせて丁寧に「いただきます」と言うと、箸で唐揚げを摘まんだ。


「はい。先輩。あーん」


 ズイッと俺の口元に唐揚げが運ばれる。

 は、恥ずかしい。この年で女子から「あーん」されるとは思わなかった。


 俺は少し渋ったが、石川が諦めることなく俺の口元に箸を伸ばしたままなので、仕方なく唐揚げにかぶりついた。

 そのまま唐揚げを咀嚼する。オーソドックスな醤油味だ。ニンニクとショウガが良く効いている。


 石川は目を輝かせて、俺の反応を待っていた。これは、味の感想だよな。食べ物を貰ってしまった手前、俺も無視を続けるのが苦しくなった。


「……美味しい」


 石川の視線が辛かったので、俺はぼそりと感想を述べた。

 すると、石川は実に嬉しそうににっこりと笑った。ああ、コイツ。笑うとやっぱり美少女だわ。ちらりと見える八重歯が可愛かった。


「良かったです! 欲しかったら言ってくださいね。箸はこの一組しかないので」


 石川は俺の反応が見えたことに満足したようで、自分の食事を始めた。おにぎりに箸を伸ばしたかと思うと、おにぎりを一気に三個まとめて掴み、それを大口開けて頬張った。


「モグモグモグ」


 気持ち良くなるような食べっぷりだった。

 俺が石川の食事ペースに感心しているうちに、二分の一、三分の一、四分の一、五分の一と見る見る重箱の残量が減っていった。

 そして、最後のウィンナーになった時、石川は照れながら言った。


「最後のウィンナーは、先輩にあげ――」


 ぐうう。


 重箱三段をほぼ一人で完食しようかといったタイミングで、石川の腹が鳴った。


「先輩にあげ――」


 ぐううう。


 今度は先ほどよりも長かった。

 石川は顔から火が出そうなくらい赤面していた。


「ちが、違いますよ。お、おならです!」


 いや、その誤魔化しは罪が深いぞ。


 俺は石川のあまりの健啖家ぶりに、少し感心してしまった。だからなのだろうか、俺は自然と自分の菓子パンを差し出していた。もちろん、封を切っていない新品の方だ。


「……やる」


 石川は実に嬉しそうに俺の差し出した菓子パンを受け取った。


「あ、ありがとうございます。先輩。ふわあ、先輩のパン」


 石川はすぐさま封を切ると、まるで大事な宝物のように両手で握って、モフモフと食べ始める。


「私はお米派なんですけど、たまにはパンもいいですね」


 モフモフと、ちっちゃい石川の顔くらいしかない菓子パンを、わずか三口で平らげた。


「……ご馳走様でした。今日もご飯が美味しかったです」


 石川は再び手を合わし、軽くお辞儀をしながら食事の礼を尽くした。


 うん。いきなり決闘を申し込むような非常識なやつかと思っていたが、ちゃんと礼儀正しい面もあるんだな。


 妙なところに感心しながら、俺も菓子パンを食べ終えた。


「ご馳走さん」


 しかし、いつもは菓子パンを二個食べているのだが、今日は一個だけだ。これだと、午後の授業中に腹が減りそうだ。

 少し思案して、俺は購買部にパンを買いに行くことにした。予算オーバーだが、腹が減るよりはだいぶマシだろう。

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