石川愛衣 (4)


「行くぞ! 石川ぁ!」


 だから、お前も覚悟を決めて付き合ってくれ。いや、突きあってくれ。なあ、石川。


「はい。どうぞ」


 俺の熱量とは打って変わって石川は静かだった。これが俺に殴りかかってきた女と同一人物には思えないほどに、理性的な生き物だった。


 距離は二メートル半。お互いに射程の外。

 じわりと距離を詰める。


 二メートル。――これなら、踏み込めば俺の蹴りは届く。


 そう直感した時、俺の身体は動いていた。石川も動いていた。石川は俺との距離を詰めようと前に踏み込む。俺はその石川の動きを察し、踏み込まずに右のローキックを放つ。しかし、その瞬間、石川はギアをシフトしたみたいにピタッと前進運動を止める。その結果、俺のローキックは石川の目の前を通り過ぎただけだ。石川は俺の右足を見送ると、再び前進を再開する。


 だが――それも、読んでいる。

 俺の狙いは、左足を軸に、右のローキックを囮に身体を一回転させ、その勢いのままに放つ右のハイキック!


「っ!」


 俺の狙いを察知した石川は、俺の右のハイキックをブロックするため左手を上げた。だが、無駄だ。お前の華奢な左腕ごと、体重の乗った一撃を叩き込む。


 そして、これが面白いように決まった。

 俺の右のハイキックは、石川の左腕のガードごと、頭に入った。気持ち良いくらい綺麗な一撃だった。


 俺のハイキックを受け、石川はよたよたとおぼつかない足取りで右手方向によろめいた。


 どうだ! これは効いたろ?


「へへっ」


 俺は得意げに笑みを浮かべた。しかし、笑っているのは俺だけじゃなかった。石川も笑っていた。


「ふふふっ。……マーベラス! こんな見え見えのフェイントから放たれたハイキックなのに、綺麗に入りました! 素晴らしいです!」


 自分自身のことなのに、どこか他人ごとのように言う石川だった。


 ダメージは、無い、のか。いや、石川もよろめいている。ダメージは確かに、ある。ただ、まだ足りないだけだ。コイツを止めるには、まだまだこれと同等の打撃を何発も叩き込む必要がある。


 それから、俺はさらに打撃戦を繰り広げた。

 石川が俺に肉薄し、俺はそれを嫌って牽制のジャブを放ちながらバックステップで後退する。石川は俺のジャブを嫌がって躱すが、その間に距離を離されていることに気づき、むくれた。


「先輩! もっと、密着しましょう!」


 色気満々の身体で、色気の無い拳を握りながら、石川は言った。


「断る! 誰がお前と接近戦などするか!」


 冗談じゃない。そこは確実に俺の死地だ。

 しかし、そんな俺の答えは知っていたようで、石川はスッキリとした口調で続ける。


「まあ、そうですよね。理性的で、そんなところも素敵、です」


 褒められているのだろうが、全く嬉しくない。むしろ、恐怖が増長する。

 俺が戦慄していると、石川はポンと手を叩いた。


「『銀斗高校の逃げ馬』とかどうでしょうか?」

「何の話だ?」

「先ほどの二つ名の話です」


 ああ、そう言えばそんなことを話していたな。


 主に恐怖で一杯の時間を過ごしていたから、そのやり取りが随分前の出来事のように思える。だが、実際は十分と経っていないはずだ。時間が経つのは遅いな。チクショウ。


「断る。二つ名にしては格好悪いじゃないか、それ」


 言うに事欠いて『逃げ』だと。俺がいつ逃げたって言うんだよ。逃げれることなら逃げたいさ。何が悲しくて俺は美少女とガチンコの喧嘩をしなけりゃならないんだよ。


 しかし、石川は実に涼し気だ。


「そんなこと無いですよ。逃げ馬は実力が無いと成立しませんからね。相当の実力が無いと後続の馬を離せませんからね。それに、スタミナだって重要ですから」


 逃げ馬、確か、競馬の用語だよな。

 競馬のレース開始直後から先頭に立ち、レースを引っ張る馬のことだ。そう言われると、確かに悪い二つ名じゃないように思える。


「でも、勝ち馬になれるかは分かりませんよ。私、どちらかと言うと追い込み馬のタイプですから」


 ってことは、まだまだ今以上に「差し」があるってことだ。

 奥の手はまだ見せてない、と。


 一方の俺はどうだ。もうほとんどスタミナも切れているし、必殺技なんてものは無い。あるとしたら、身長差、ウェイト差、それに、筋力差ってところだ。


 先ほどからずっと、どう勝負を運ぶか思案しているが、良い案が一向に浮かばない。


 だから、俺は考えるのを止めた。


 こうなったら出たとこ勝負だ。それで負けたら、その時はその時だ。

 俺は意を決し、石川の射程ギリギリの距離から右のローキックを打ち込む。踏み込んでいない分、どちらかと言うと牽制の意味が強い一発だった。しかし、その足を石川は出足払いでいなし、俺を押し倒した。


 俺が起き上がろうとするところに、石川は馬乗りになってマウントポジションを取る。


 石川は俺の顔面に向けて打撃を放つ。一発。二発。三発と続けて。


「ふふふっ」


 石川は俺を拳で叩きのめしながら、笑っていやがった。コイツ、かなりの気狂いだ。全く、何で俺がコイツの相手をしなくちゃならないんだよ。

 俺は石川の拳をブロックしながら、腹筋と背筋とありったけのバネを使って石川を跳ね上げる。


「おらっ!」


 石川の重心が浮く。大丈夫。ウェイト差はまだまだ俺に優位だ。そのまま、今度は俺が石川を押し倒すようにポジションを取る。しかし、石川の両脚は俺を挟んだままだ。クローズドガードってやつだ。


 しかし、俺はそれでも構わず打撃を繰り出す。石川の端正な顔目掛けて右手で掌底を放つ。その瞬間、石川は俺を挟んでいる両脚に力を入れ、俺の身体を持ち上げ、俺の重心を高くする。俺の打撃は自然と勢いが衰え、腕が伸び切る。俺の伸び切った右手を石川は掴むと、そのまま俺の身体を挟んでいた両脚を解き、グルッと俺の腕へと足を絡める。マズい。腕十字固めだ。


 これが、ハマった。俺の腕はがっちり石川に決められてしまった。きりきりと石川が俺の腕を逆間接に締め上げる。このままでは、折られる。


 そう直感してからは、早かった。俺は全身全霊の力で両足を踏ん張り、立ち上がる。そして、そのまま石川を持ち上げた。およそ五十キログラムの重りを、片腕で持ち上げる。


「うおお!」


 石川は俺の腕を折ろうと力を籠める。だが、俺が腕を振り下ろす方が早い。俺は全体重をかけて、石川を地面に叩きつけた。


「でい、や!」

「ぐっ!」


 石川は短く呻く。そして、俺にかけていた関節技が緩くなった。その隙を逃さず、俺は強引に石川から右腕を引っこ抜き、そのまま距離を取った。


「はあ、はあ、はあ」


 息が上がっていた。この一瞬の攻防で、俺は右腕の筋を痛めたようだ。ピリリと電流のような痛みが走る。マズい。今右腕が使い物にならなくなるのはマズい。


 しかし、それは俺の杞憂だった。

 俺の腕を決めることに集中していた石川は、俺の地面への叩きつけをまともに受けたらしく、そのまま気を失っていたからだ。


 ここに、俺と石川の喧嘩は決着がついた。

 時間にして十分強。決着は、俺のKO勝ちだ!

 見たか! 石川! これが、俺だ! 猪熊翔堂だ!


「はあ、はあ、ぐっ!」


 俺は誰が見ているとも分からない校舎裏で、一人、腕を高々と上げた。俺の勝利を、示すために。



―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


お読みいただきありがとうございます。


面白い作品となるように尽力いたします。


今後ともよろしくお願いします。


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