石川愛衣 (3)


 しかし、これで仕切り直しだ。石川のスカートに注意を惹かれることも無くなった。俺の油断が一つ消え、俺は少しだけ勝利に近づいた。だが、まだだ。まだ、石川の方が俺よりも格が上だ。コイツは強い。油断してはいけない。俺は未だ膝立ちの姿勢だが、この姿勢の有利さを手に入れるため、そのままそっと地面の砂を軽く一つまみ、右手に忍ばせる。


 俺が立ち上がるのと、石川が再び肉薄してきたのはほぼ同時だった。だが、俺は立ちあがる直前に、煙幕のように持っていた砂を石川の方へと投げる。


 ふぁさりと砂ぼこりが舞い上がる。


「まあ!」


 数ミリメートルの小石も混じっていたが、石川の突進は一瞬怯んだ。その隙に、俺はしっかりと両足で立ち、ファイティングポーズを取る。


 呑気そうな声だったが、砂煙幕には石川も面を食らったらしく、棒立ちで動きが止まった。


 石川は俺のかけた砂を鬱陶しそうに手で払いのけた。パタパタと、制服についた埃を丁寧な所作で拭う。


 俺は挑発するように石川に声をかける。


「卑怯卑劣だと罵るかい?」


 しかし、石川は全く俺の行為に動じていないようで、真っすぐに俺をにらみ返した。その瞳は、力強く、それでいて、可憐だった。


「いいえ。まだです。まだ底が見えていません」


 石川はいたって冷静だった。恐ろしいくらいに、静かだった。


 だが、俺もまだまだ本気じゃない。まだお互いに、手の内は隠したままだ。それでも分かったことがある。石川の狙いは徹底的なインファイト。肉薄して打撃を叩き込むことに集中している。なら、俺がとる戦術は何だ? 体格で勝る俺ならインファイトでも分があるか? ……いや、無い。石川は玄人だ。達人だ。それにかなり身軽だ。インファイトで手数勝負になった時、俺の拳も蹴りも、石川を捉えることは難しいだろう。それなら、さらに肉薄してタックルで押し倒すのはどうだ? 体重差が明確なら勝てるか? いや、寝技に持ち込んだところで、打撃を封じられるわけじゃない。倒した矢先に、金的を含む急所を狙われたら躱しきれないし、ブロックも間に合わないだろう。


 つまり、俺の取る戦術は一つしかない。徹底的なアウトファイトだ。身長差は大体三十センチメートル。両腕を広げた長さが大体身長だから、片腕の射程は十五センチメートルくらい違う。キックなら厳密には股下の長さを測る必要があるが、まあ、大体身長差そのままで三十センチメートルといったところか。なら、決まりだ。俺の射程でありつつも、石川の攻撃範囲外の距離から少しずつダメージを与える。それが、俺の勝ち筋だ。


「――行きます!」


 ズイッと石川が再び肉薄する。俺もそれに合わせて後退する。しかし、正面に突っ込む石川に対し、俺はバックステップだ。必然、そのスピード差は距離の短縮につながる。


「てい!」


 俺は石川の射程外のうちに、石川の突進の勢いを殺すため、軽い右のジャブを放つ。しかし、今度は石川が俺のジャブを左手のパーリングで躱す。突進の勢いは、殺せていない。


「掌底!」


 石川は勢いのままに、俺の顔面目掛けて右手の掌底を放つ。


「ふっ!」


 俺はそれをかろうじて空いた左腕でブロックする。危ない。間一髪だ。それでも、左腕は打撃を受けて痺れている。打撃を返す余裕は無い。

 加えて。


「――からの肘打ち!」


 カクンと伸び切ったはずの石川の右腕が肘で折れ、そのまま肘を俺の胸部に打ち込んできた。

 俺はその一連の動きを読むことができず、左腕をガードに上げ、右腕を伸ばしきったままの姿勢に肘を打ち込まれる。


「ぐっ」


 息が漏れた。苦しい。肘は俺の胸骨を綺麗に打っていた。折れてはいないだろうが、打撲跡くらいはできていることだろう。

 しかし、そんなことよりも、石川の間合いに入ってしまった。ヤバい。ここから、来る。


「右ロー! 右肘! 左裏拳!」


 右のローキックは足を浮かせることでダメージを軽減した。次の右の肘は躱せず、胴で受けた。腹直筋に入るが、日頃から腹筋は鍛えている。だから、痛いけど、平気だ。最後に左裏拳。ここまで来ると石川の動きに目がついていった。しかし、身体は追いつかず、左頬に入った。何とか首を回すことで、ダメージを軽減するが、そこそこ重く入ってしまった。その証拠に、一瞬星が散って見えた。


 石川は懇切丁寧に俺への打撃をいちいち説明していた。それが、恐らく自分自身を高揚させる狙いがあるのだろう。中々の戦闘狂だ。石川は打撃を放つごとに声が生き生きしていた。


「左膝蹴り! 左掌底!」


 左の膝蹴りはまたもや腹直筋を直撃する。線の細い石川の膝は、鋭く俺の腹部に差し込まれ、結構なダメージとなった。一瞬、酸っぱいものが込み上げ、昼食を戻しそうになるが、直後の左の掌底が額に入り、意識は落ちることなく無理やり覚醒させられる。


 俺は堪らなくなって石川の腕を捕まえようと手を伸ばす。しかし、無防備に伸ばしたその手が、逆に石川に掴まれる。


「背負い、投げ!」


 ガクンと俺の視界が反転する。宙に舞っていた。俺に比べて小兵である石川は、俺の懐に入るのがとても上手く、俊敏だった。

 そのまま、背中から地面に強かに打ち付けられる。


「ぐっ!」


 痛い。息が詰まった。呼吸の仕方を一瞬忘れてしまったように苦しくなる。


 しかし、そこで石川の追撃は一旦止まった。俺から距離を取る様にバックステップで後退する。距離にして二メートル半。お互いの射程の外だ。


「少し、がっかり、です。もう少し手応えがあるかと……」


 石川は言った。俺じゃあ、喧嘩相手として役者不足だと。


 それは、少しだけ頭にきた。今まで打撃を受けた痛みが引くくらいには、脳内物質が分泌されている。それでも、俺の頭の奥は冷えていた。俺はゆっくりと立ち上がる。


「まあ、丈夫ですね。でも、もう止めておきますか?」


 石川は心底俺に失望した様子だったが、今度は俺の気持ちが収まらない。

 そんなことでは、やっと燃え出した闘志が収まらない。


「いや……まだだ。まだ、だぞ! 石川ぁ!」


 俺は吠えていた。ここが学校一の告白スポットだってことは頭からすっぽ抜けている。ああ、そうだよ。今、ここにいるのは、俺と、石川だけだ。二人で、決着をつけるまで、俺は止まらないからよ。


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