石川愛衣 (2)
「来いよ! チクショウ! 相手してやるよ! 全くよお!」
俺は無茶苦茶に叫んでいた。ここが、校舎裏だとか、伝説の亀像の前だとか、告白を受ける準備だとか、そんなことは全部些末な問題だった。
俺は今、この獣のような女と敵対している。その事実だけを正しく認識していた。
「素敵! 猪熊先輩! いいです! とても素敵です! とっても昂ってきました!」
石川さん、いや、石川は身震いして喜んでいるようだ。自分の細い肩を抱きしめて悦に入っている。
今か? いや、これは油断を誘うポーズだ。その証拠に、細めた目はしっかりと俺の動きを捉えている。それに、俺は飛び込み前転で地面を転がっていて、体勢が悪い。まだ膝を地面につけたままだ。距離は二メートル少々。二、三歩で打撃は届く。時間にすればコンマ数秒の距離だ。こんな距離、まだまだ安全圏ではない。
ローキックを三発受けて分かったことがある。石川は格闘技経験者だ。動きが素人のそれじゃない。
一方で俺は何だ? 喧嘩の経験はあるが、格闘技を習ったことは無い。なら、実戦慣れしているのは俺か? 有利なのは俺か? いや、違う。石川は実戦慣れしている。先ほどの三発目の左のローキック。俺が石川の方に飛び込んだにもかかわらず強引に放ってきた一発。あれは、実戦の駆け引きが無ければできない一撃だ。ただのお稽古としての格闘技なら、俺のあの突飛な行動にはとりあえず距離を置くのがベターな戦術のはず。それをアイツは、石川は恐れることなく前に踏み込み、左足を振り抜いた。それは、実戦の動きだった。
石川の動きは、本物の「喧嘩屋」がいるならきっとこういう動きをするんだろうな、というエッセンスが詰まっていた。
ああ、コイツは本物だよ。確かに、俺の神経が敏感になっているのも納得だ。
俺が冷静に戦況を分析している一方で、石川はあくまで楽しそうに笑みを絶やさない。コイツ、サイコパスかよ。
「流石は『銀斗高校の暴れ猪熊』の二つ名は伊達じゃないですね。ほら、もっと、です。もっと私を楽しませてくださいよ」
石川は俺を挑発するように褒めるが、その褒め言葉は俺としては好ましくないものだった。
「その二つ名は、ちょっと俺としても不本意なんだ。他に良いのは無いか?」
入学してすぐのころに同じ銀斗高校に通う不良の先輩方に目をつけられて、返り討ちにした時についた二つ名だった。その『暴れ猪熊』って表現が、とても理性的じゃなくて嫌だ。俺は喧嘩は喧嘩で冷静に相手のウィークポイントを狙う、賢しさがあるのに。ただ暴れているだけのような言い方は控えてもらおうか。
まあ、手始めにコイツにそれを分からせる必要がありそうだな。
「そうだな……『銀斗高校のキリングマシーン』とか、『銀斗高校の精密機械』とか、どうだろうか?」
提案したものの、キリングマシーンと言うほど俺は冷酷でもないし、精密機械と言うほど繊細でもない。倒れた相手に追撃入れて病院送りすることはないし、タップされれば落とす前に締めや固めを解く。そう言った冷静な部分も持ち合わせている。
「いや、無しだ」
俺は自ら提案した言葉を、次の瞬間には否定していた。
「『銀斗高校の――』いや、思い浮かばねえや。何か考えといてくれ。保健室のベッド――」
俺の言葉を途中で切って、石川が動いた。
折角、「保健室のベッドで考えてろ」と決め台詞染みた一言を放とうとしたのに、出ばなをくじかれた感じだ。
俺は膝立ちなので、今は俺の方が高さで負けている。そこに、石川は右足のミドルキックを放つ。
ミドルキックとは言え、膝立ちの俺にとってはハイキックと同じくらいの高さに伸びてくる。
女の足が。
女の。
「って、お前! スカート!」
ガシッと左腕でブロックすると同時に、俺の視線はふわりと翻るスカートの裾に注目してしまう。黒いスカート裾がわずかに上がり、白く長い綺麗な足と、さらにその奥の――黒っ! 黒だった! 確かに! このアダルトウーマンめ!
俺の目が血走っていたからだろうか、インファイトに持ち込みたいはずの石川の方が、一撃離脱で俺から距離を取った。
「どうしたんです? 急に興奮したような顔ですけど。……ああ、スカートですか? 平気です。スパッツを履いていますから。気になるなら、スカートを脱ぎましょうか?」
「いや、いい。その方が気が散りそうだ」
先ほどの黒いのはスパッツだったか。興奮してしまった自分が情けない。
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