石川愛衣 (1)


 それから、丸一日、俺は考えた。飯を食っても、風呂に入っても、布団に横になっても考えた。そして、翌日の朝になってもまだ考えて、そのまま通学した。高校入試の時にもこんなに頭を使わなかったが、結局、考え思い悩んだところで、結論は同じだった。


 告白を受けよう。


 そうだ。俺の喧嘩ばかりの殺風景だった日常に、ようやく春めいた日差しが降り注いだのだ。これを逃す手は無い。


 意思を固めてからは、早かった。と言うよりも、意思を固めるまでに時間がかかり過ぎた。もう既に放課後だった。俺は学生カバンに荷物をしまって、それを肩にかけると、早足で校舎裏へと向かった。校舎裏では、既に昨日の美少女、石川さんが待っていた。


「お、お待たせ」

「あ、先輩!」


 俺はキザったらしくならないように注意しながら、石川さんに声をかけた。すると、石川さんは昨日と変わらず、五月晴れのような気持の良い笑顔で答えてくれる。


 この笑顔に、俺も応えなければならない。


 そう強く意思を固めたところで、石川さんが俺の顔を心配そうにのぞき込んだ。


「先輩? どうしたんですか? 昨日のお返事……聞かせてくれます、か?」


 とんでもなく、美少女だった。俺とは到底釣り合いが取れないような。

 でも、そんな彼女が俺を選んでくれたのだ。なら、それに応えるのが俺の通す筋ってもんだろ。


「う、うん。昨日の返事だけど……えっと……こちらこそよろしく」


 しかし、俺はオロオロしながら対応することしかできなかった。仕方ないだろ? 人生で初めてなんだぜ。告白を受けるなんて。それも、飛び切りの美少女からだ。


「それって、オッケーってことですか?」


 石川さんが大きな瞳を揺らしながら俺に尋ねる。俺の答えは決まっている。


「うん、まあ、そういうことで」

「そうですか。ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。じゃあ、先輩――」


 そして、石川さんは一番の笑顔でこう宣言したのだ。


「ファッキューです!」


 右手の親指を立てて、首に添え、横一文字に切るジェスチャーだ。

 これは、キル・ユーのポーズなのでは……。

 俺はどこでどう勘違いしたんだ?

 彼女は言った。


『つきあってください』


 まさか、「付き合ってください」ではなく、「突きあってください」だったのか。いや、まさか、そんな子供向けのギャグ漫画でも無いような勘違いなんて……。


 俺が動揺していると、さらに石川さんは挑発するように言うのだ。


「私からの挑戦状……受けてくれて、感謝します! それでは、決闘は今! ここで!」


 グッと石川さんは俺に右手の拳を前に突き出してくる。正拳突きだ。それも腰の入った見事な右ストレートだ。俺はその拳を右手でいなす。使ったのは手のひらだが、ボクシングで言うところの、パーリングと言うディフェンス技術だ。もちろん、見様見真似のなんちゃってパーリングだが、それ故に実戦で鍛えられた技術だった。


 しかし、拳を突き出された以上、俺も応えなければならない。と頭で考える前に身体が動いていた。俺はまだ頭に疑問符が浮かんでいるまま、石川さんの拳を躱しつつ、返す右手で裏拳を突き出していた。ほとんど条件反射だった。


 こつんと、乾いた音が響いた。俺の右の拳が石川さんの鎖骨辺りに入った。


 だが、軽い音だった。ダメージは通っていない。


 いや、俺は何を考えているんだ? ダメージ? 石川さんに、俺が与えた? そんな馬鹿な。


 石川さんはスウェイバックと呼ばれるディフェンス技術でダメージをしっかり軽減していた。それは、明らかに素人離れした動きだった。腰の入った打撃を放った直後に重心を後ろに下げるのは、ちょっと常人の運動ではない。手慣れた、達人の動きだった。


 しかし、鎖骨を響かせた音の何がそんなに嬉しいのか、石川さんは再び顔をほころばした。


「いいですね! いいですよ、先輩! じゃあ、正々堂々! 恨みっこ無しですよ!」


 そう言うや、石川さんは右のローキックを繰り出す。


「せい!」

「うおっ!」


 俺はそれをバックステップで躱し、石川さんから距離を取る。しかし、石川さんは俺と離れて戦うのを嫌うように、俺が一歩下がると、一歩半前に詰めてくる。距離は一メートル半ってところだ。拳も、蹴りも、少し遠目で打ち込みづらい距離だ。もっとも、身長のある俺なら、十分威力のある打撃を放てる、俺優位の距離ともいえる。


 石川さんはまた右のローキックを放つ。大丈夫だ。動揺しているが、頭は妙にすっきりしている。相手のモーションは見えている。躱せる。


「せい!」


 バックステップ。そして、また一歩と三分の一くらい、石川さんが距離を詰める。


 俺と石川さんの距離は実に一メートルと少し。踏み込めば、打撃が届く距離。つまり、お互いにとって射程圏内だ。俺だけが持っていた優位性は消失した。


 ダメだ。このままインファイトになると石川さんの思うつぼだ。ここは離れて戦わなければならない。俺の中の神経が警鐘を鳴らしている。この女相手に、接近戦はダメだと。


 次は左のローキック。モーションがデカい。この隙だ。ここで距離を離すために――。


「はっ!」

「てい、あっ!」


 最初の掛け声は俺のものだ。俺は石川さんと交錯し、石川さんの後ろを取ると同時に距離を取るため、敢えて前に出た。そのまま、飛び込み前転の要領で石川さんの左脇を抜ける。


 しかし、石川さんは飛び込む俺に容赦なく左のローキックをそのまま放ってきたのだ。瞬間、石川さんの左足は一瞬前に俺がいた場所を鋭く抜けていった。間一髪だった。


 そのまま転がる様に俺は石川さんから距離を取る。できるだけ、離れる。この危険な女から、距離を取る。でも、それは逃走じゃない。それじゃ、この女は満足しない。この女を満足させるには、俺も拳を交えるしかない。


「逃げの一手は詰まらない、です。さあ、先輩! もっと、もっと、です! 私を楽しませてください!」


 俺はお前を楽しませるために喧嘩してるんじゃねえよ。ってか、何で喧嘩しているんだ、俺は?


 いや、今はそれは重要じゃない。今重要なのは、目の前の女が俺を狙って拳を握っているってことだ。そこに、善悪は無い。いや、もちろん悪ではあるのだろうけど、大事なのは結果だけだ。すなわち、この喧嘩に勝つのが俺か、この女か、ってことだ。何だ、シンプルじゃないか。それじゃあ、俺はこの女を叩きのめす。ただそれだけでいい。


 もう顔が良いからとか、そんなことは関係無い。ただの、掛け値なしの生存競争、それだけだ。


 覚悟は決まった。


 俺は元来、男女平等主義者だ。女だからって、美少女だからって容赦するもんか。こうなったらヤケクソだ。もう一秒でも早くケリをつけてやるよ。


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