猪熊翔堂 (3)
俺が遠く二人の未来を夢見ていると、不意に後ろから声をかけられた。
「あ、あの」
今度は女生徒の声だった。
俺は心臓がキュッと握りしめられたような圧迫感と緊張感を感じながら、後ろを振り返った。
そこには、美少女が立っていた。
肩まで伸びたセミロングヘアの黒髪は艶やかで、流れる様に風に揺れている。
瞳の色はブラウンで、顔の四分の一くらいあるんじゃないかってくらい吸い込まれそうに深く、大きく、丸い。
唇はぷっくり丸みを帯びていて、とても柔らかそうだ。
胸も、平均よりちょっと大きいくらいだろうか、立派に隆起している。
身長は百五十センチメートル前半くらいで、同年代だとほぼ平均か、ちょっと低めだろうか。
もう一度言う。俺の目の前に立っているのは、とても美少女だった。
「あの、猪熊先輩ですよね?」
そして、その美少女は俺の名前を呼んだ。
つまり、彼女は。
「い、石川さん?」
「はい。一年二組の石川愛衣です。初めまして」
石川さんはしっかりとした口調で、俺に簡潔に自己紹介をした。
「は、初めまひて」
一方、俺は噛んだ。
でも、仕方ないだろ? こんな美少女を前にして、平静に言葉を交えることができる男がいるなら、そいつはきっとゲイだ。LGBTの一角だ。女性を恋愛対象としていないだけだ。
俺は先ほどよりもさらに心臓がビートを上げているのを感じながらも、表面上は落ち着いているかのように振舞う。ごくりと生唾を飲み込み、右手で心臓を服の上から強く圧迫する。大丈夫だ。こんな美少女を前にしたからと言っても、俺は冷静だ。大丈夫だ。うん。ごくり。
でも、それも一瞬の問題だった。次の瞬間には、石川さんの強い告白を耳にしていたからだ。
「つきあってください」
それは、ついさっき見た佐藤とダブって見えるくらい、純粋な言葉だった。腰でぽっきり身体が折れた様に、綺麗なお辞儀をしている。
目の前の美少女が、俺に、つ、つきあって欲しいと、そう願い出たのだ。
これは夢だろうか。本当は長宗我部の不意打ちを受け、気絶している間に見ている夢なのではないだろうか。
古典的だが、俺は左手で左頬を抓った。痛くない。柔らかい。
もう少し強く抓った。捻りを加えて。ピリリと痛い。どうやら夢じゃないらしい。
次に石川さんの肩をポンと叩いた。
「へ?」
実体がある。幻でもないらしい。俺の行動の意図が読めず、顔だけ俺の方を向けてキョトンとしている。実にリアルだ。つまり、リアルなんだな。うん。本物だ。
だが、まだだ。まだ安心できない。まだ確認しておかねばならないことがある。
「石川さん」
「はい?」
石川さんはお辞儀のまま顔だけを俺の方に向け、キョトンと不思議そうに俺を見つめていた。
「長宗我部という男を知っている?」
「いいえ。超ソゲブですか? 誰ですか?」
見たところ、嘘を言っているようには思えない。と言うことは、長宗我部は関係無い。長宗我部の悪質な冗談では無い。そして、俺も目の前の美少女も現実。
つまり、美少女が、俺に告白してきたと。
俺は石川さんから視線を外し、回れ右をして、石川さんに背を向ける。そして――。
「やったー! おっしゃー! おらー! しゃー!」
と心の中で叫び声をあげ、ガッツポーズを取る。
俺に、春が、来た。苦節十五年と少々。これまで男に喧嘩に誘われることはあっても、女っ気はまったく無かった俺が、ついに、女の子に、愛を、告白された。それも、飛び切りの美少女に、だ。
これは喜ばずにはいられない。
俺はぐんぐんと何度もガッツポーズを取り、言葉にできない喜びを身体で表現する。大丈夫だ。ちょっとくらい変に見えても、今の俺は挫けない。無敵だ。スーパースターな配管工だ。ふはは。
「あの? 先輩? 猪熊先輩?」
少しトリップしている俺を不思議そうに眺めながら、石川さんが尋ねる。綺麗なお辞儀を解除して、俺の方を心配そうに見ている。そんな姿も、実に様になっていた。流石は美少女だ。何をやらしても絵になる。
「ああ。ごめん。ごめんね。えっと、石川さんだっけ?」
先ほどは佐藤に「実にすまん」と平謝りした口で、俺は猫なで声で慎重に石川さんの相手をする。石川さんの、一挙手一投足に注意を払う。何が不敬になるか分かったもんじゃないからな。美少女なんて、俺の人生に全く接点が無かったから、宇宙人を相手にするようなもんだ。何が喜ばれ、何に怒り、何に哀しみ、何を楽しみにしているのか、未知の境地だった。
「はい。石川愛衣と言います」
石川さんは俺の問いに、真っすぐに俺の目を見て答えてくれる。その瞳が、視線が、ちょっと俺には熱量が強くて辛い。
「へ、返事だけど。……い、一日待ってくれ……ないかな?」
俺は先ほどまで考えていた返事とは全く違う返事をしていた。だってそうだろ? 今を逃すと、もうチャンスはないかもしれないんだぜ? チャンスの神様は前髪しかないのだ。見送れば、次は来ないかもしれない。なら、一球入魂。ここを叩くしかない。だから、そのチャンスを叩くためにも、今は余力を溜める時だ。明日だ。明日こそ返事をするんだ、なあ、俺。弱気じゃないぞ。うん。違うはずだ。
すると、石川さんは実に嬉しそうに拳を握った。
「それって、真剣に考えてくれるってことですよね?」
俺の言葉をとても好意的に受け取ってくれたようだ。やっぱり、告白する女子と言うのは、どこかしらか自分本位な考えになるんだろうか? サンプルは彼女と佐藤の二人だけだが。
「まあ、うん。ちょっと考えさせてくれ。ごめん。俺もちょっと混乱してる」
俺は今の心情を余すことなく吐露した。
俺は口下手なんだ。だから、素直に感情を、思いを、口にすることが最終的には良い結果を招くと経験則で知っていた。だから、俺は口下手なりに、考えていることを全て吐き出すことにした。
「正直、こんなに可愛い子が来るなんて思っていなくて、いや、石川さんが可愛いのが悪いんじゃなくてむしろ俺的には嬉しい。いや、それも違くて……」
しかし、言葉を紡げば紡いだだけ、ドツボにはまっている気がしてきた。
「まあ、いろいろ思うところはあるんだけど、全部ひっくるめて明日にしてくれない……かなあ?」
実に弱気な言葉だった。こんな俺の姿を見せてしまうと、石川さんに失望されるかもしれないとも考えた。でも、考えただけでそれが言動に結びつかなかった。そんな余裕など持ち合わせていなかった。俺は必死だったんだ。
「はい! 待ちます! それで良い返事が貰えるのなら!」
しかし、俺の不安をよそに、石川さんは晴れ渡った笑顔で返事を待ってくれるらしい旨を返してくれる。
良い子だ、と思った。
それと同時に、「こんな良い子が、俺を?」という疑問も浮かんだが、今はそんなことよりもこの場を収めるほうが先だ。
「じゃ、じゃあ、そういうことで」
俺は強引にその場をまとめ、石川さんに背を向けた。
「あ、待ってください、先輩」
しかし、すぐに呼び止められた。俺がギクシャクとぎこちない動作で振り返ると、石川さんは飛び切りの笑顔で明日の話を進めた。
「明日。この場所、この時間で待ってます。返事、待ってますから」
それだけ思いのたけを告げると、俺よりも先に走り去った。その場には、返事に困窮する俺だけが取り残された。
太陽は南西の方角に高く輝いていた。
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お読みいただきありがとうございます。
面白い作品となるように尽力いたします。
今後ともよろしくお願いします。
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