灰を被った醜悪な世界

ひろ・トマト

第1話

ぐちゃり、ぐちゃり

生き物の肉を一心にあさる不快な音が辺りに響く。

声の主は、ネズミトカゲを融合して、犬並みに巨大化させたような生物。

その生物は食らっている。--人間を。

鋭いかぎ爪で体を抑え、巨大な歯で骨ごと肉をかみ砕く。

赤黒い皮膚を持つこの生物は、獲物の肉を味わっている。


その時、少し離れたところから何かの音がした。

その音は小さかったが、死肉を喰らう獣は見逃さなかった。

音の出どころに殺気に満ちた視線を向ける。

そこには人間がいた。まだ年若く青年と少年の中間ほどだろう。

獣はうなり声を上げ、目の前の人間を仕留めるために飛びかかった。

爪を振り上げ、牙をむき出しにする。

だが、それらは届くことはなかった。

バン!

破裂するような音が響いた瞬間、獣の頭は吹き飛んだ。

宙を舞った獣の体はどさりと床に崩れ落ちると、物言わぬ物体へと変貌した。


人間は、獣を殺した音の正体……ライフル銃を構え、慎重に周囲に気を配る。

警戒したままライフルのボルトを引き、空の薬莢を排出し、素早く次弾を装填する。

そしてゆっくりと、死体に近づく。

獣はピクリとも動かない。確実に死んでいる。

しかし、まだ警戒は解かず、神経を張り詰めたまま部屋を探索する。

どうやら最近まで人が住んでいたようだった。

食料や水、弾薬がある。

少ないが金もある。これはうれしいことだった。


恐らく先ほど獣に食われていた死体がこの部屋の主だったのだろう。

死んだとはいえ、人の物を持ち去るのは若干気が引けるが、贅沢は言っていられない。

可能な限り素早く、目ぼしいものを背中のバックパックに入れていく。

早くしなければ、死体のにおいにつられて、先ほど殺した獣のような生き物……ミュータントたちが現れるだろう。


あらかた詰め終わり、警戒を続けたまま部屋をでる。

外に出ると、太陽の光が煌々と大地を照らす。

周りを見渡せば、朽ち果てた建物がいくつも並んでいる。

この建物の中にまだまだ物資があるかもしれない

幸いバッグの容量には余裕がある。

もう少しは物資を探せられるだろう。


太陽の光を気怠げに感じながら青年は再び歩き出す。


青年――ノアはこの荒廃した世界で生きている。



世界の終わりは実にあっけないものだった。

核の炎は世界をあっという間に燃やし尽くした。

たったの一日。それだけで人類がこれまで築き上げてきた栄光と努力は空しく灰燼と化した。

生き残った人々が全てを終えた先で見た世界は、何もかもが変わっていた

美しい自然は消え果て、かつての町も瓦礫と化し在りし日の世界の姿は過去の記憶に残るのみとなった。

しかし、人類はそのような破滅の果てを目にしてもなお、争いを続けていた。

時に資源をめぐりあって。時に正義の名のもとに。

銃を手に,終わりなき戦いは、いまだにつづけられていた。


天で輝く太陽は西の空へと沈みはじめ、月にその出番を譲ろうとしていた。

ノアは容量いっぱいのバックパックを背に帰宅を急いでいた。

今回の探索は運がよく、かなりの数の物資を手に入れることができた。

きっと同居の彼女も喜んでくれるだろう。そんなことを考えながら家に向かって歩みを進める。

彼の家は町のはずれにある。奇跡的に原型を保っており、多少の掃除は必要だったがなんとか住むことができた。

両親が死んで以来ずっとそこに住んでいる。


家の前までやってきて、扉をたたき、開ける。

中は薄暗く、少し埃っぽい。

そんな部屋の奥に、一人の少女が座っていた。

少女は目線だけを今入ってきたノアにむけ

「……おかえり」

とつぶやいた。

「ただいま、ユメ」

ノアは部屋の中に入り、バックを床に置いて自分も机を挟んでユメの反対側に座り込む。

持っていたライフル銃も専用の金庫にしまい込む。


「今日は結構手に入ったよ。物資」

バックを開け、中身を取り出すと机の上に並べた。

「ほんとだ」

「今日はちょっと贅沢できるよ」

ノアがそう言うと、ユメは興味なさげに机に突っ伏した。

あまりの無関心さにノアは肩をすくめると、戦利品の仕分けを始めた。


彼女と出会ったのは3か月前。

その日も街で探索を続けていた。

親の形見のライフルを手に、物資を探している最中のことだった。

この灰に沈んだ世界ではあらゆる脅威が跋扈している。

レイダーと呼ばれる無法者たちや、盗賊。そしてなりよりもミュータント。

ミュータントは核の影響で生まれた元生き物。そんな存在だ。

その姿は千差万別で、トカゲや犬に猫、虫などもいる。みな核戦争による汚染で一様に変化した。

体は大きくなり、凶暴になった。自分より体格の大きい生き物にも平気で襲い掛かり殺す。

そんな狂った生き物になり果てた。

まさにこの世界を象徴する異常そのものだ。


ミュータントはあらゆるところに存在する。

この荒廃した世界では人間もミュータントも関係なく生存競争に巻き込まれる。

人間も場合によっては捕食されるだけの存在となりえるのだ。

故に、ミュータントはどこにでも現れる。

手頃な獲物を見つけつために。

街などはその最たるものだ。街に残された物資を求めて、人間たちが現れる。

それを狙い、ミュータントも現れる。


武器も持たずに街に出かけるのは自殺行為だ。

そんな街の中に彼女はいた。

武器も持たず、どころか荷物もなにも持っていない無防備な姿で。

ただふらふらと歩いていた。


そんな彼女に見かねて声をかけたのが始まりだった。

紆余曲折の末に彼女と住むことになってしまった。


(ほんとにに世の中どうなるかわかったもんじゃないよなあ)

過去を振り返りながらノアは考える。

不思議な共同生活だが今のところはうまくいっているだろう、と思う。


荷物の仕分けも終わり、食事の準備を行う。

今回の食事は豆の缶詰にシチュー。そしてコーラ。


最近は不作が続いていたため、贅沢できるのはうれしい。


にも拘わらずユメはいつも通りだ。淡々と食事を胃に流し込む。

会話すらせず、作業のように繰り返すばかりだ。


ノアがユメと知り合って3か月ほどすぎたが、いまだに彼女の背景を知らなかった。

好きなものは何か、家族はいないのか、なぜあの街に一人でいたのか。

そういったことを語ろうとはしなかった。

ノアが彼女について知っている情報は名前と年齢ぐらいのものだった。


そんな彼女と一緒に暮らし、食事を共にしている。

なんとも不思議な感覚をおぼえつつ、ノアも食事を食べ始めた。


食事も終わり、寝る時間となった。

明日も探索にいかなければならない。

残酷なこの世界では誰もが生きるための戦いを強いられる。

たとえ20にも満たない若者たちであってもそうだ。


故に休めるときはしっかりやすまなければならない。


ノアとユメは一緒の部屋で寝ている。

これはユメの希望によるものだった。

最初は当惑したものだが、今は慣れたものだった。


ノアが横になり目を閉じていると。

突然ユメが体を密着させてきた。

(え!)

思わず困惑して、振り返ろうとすると

「……そのままでいいから、聞いて」

ユメのか細い声が聞こえてきた。

(そのままっていわれても……)

ノアは落ち着かず、それでもいう通りにする。

 

「ねえ、ノア」

「な、なに?」


「……なんでノアはこの世界で生きようって思ったの?」


思いもよらない問いが後ろから投げかけられた。

「だって、いいことなんて一つもないじゃん。毎日食料も水も探さなきゃいけないし、外は危険なものだらけで……生きづらいよ、こんな世界」

驚くノアの様子を知ってか知らずか、ユメはさらに言葉を重ねる。


「……どうしたの、突然」

「……別に気になっただけ」


彼女の声は無機質で、しかしどこか悲しみを含んだ声だった。

普段の彼女とはあまりにも様子が違っていた。


「なんでっていわれてもなあ」

ユメの様子に違和感を抱きつつも答えを考える。

普段はあまり意識したことはない。生きるのに精一杯だからだ。

そんなことを考える余裕はなかった。

そのためいざ考えるとなると、なかなかに難しい問題だった。


「私はさ。生きてていいことなんて全然なかった」

答えに苦しむノアにユメは再び言葉を紡ぐ。


「親からも殴られたり、暴言を言われたりしてさ。唯一味方だったお姉ちゃんも奴隷として売られて、ずっと苦しかった。

 満腹になるまで食べたこともないし、ずっと泣いてた」


ユメの言葉にノアは思わず絶句してしまった。

ここまで暗い過去があるとは思っていなかった。


「だからさ、わからないんだ。なんでみんなこんな残酷な世界で生き抜こうとしてるんだろうって」


ユメは悲しくつぶやく。

「わからないって……ユメも死にたくないから生きようとしているんじゃないの?」

そんなノアの言葉にユメはうつむく。


「わたしね、一人でいるとすっと思うんだ。生きてても苦しいだけ。死んだほうが楽だって。一人でいると死にたくなってくる」

しばらくの静寂の後、再び口をひらく。

「でもノアと一緒にいると、そんな気持ちもちょっと薄れてくる。優しくて、気にかけてくれるからさ」

「そう、だったんだ……」

普段自分のことを離さないユメ。そんな彼女の内面に今初めて触れた。

暗く、残酷で、物悲しい彼女の内の底へ。


「……ごめん。こんな時に嫌な話きかせちゃって」

「いや、大丈夫だよ。ただ……ちょっとおどろいただけだから」

「……もう寝ようか。私の質問、また今度でいいや」


そう言ってユメはノアから離れ、背を向けて目をつむった。


ノアは彼女のことがわからなかった。

いつも無表情で、無口で、何を考えているのかわからなかった。

だがそれは、この世界に毒されてきたためなのだろう。

信じられるものがなにもなく、つらいだけの日々。

それはノアにとって、信じがたいものだった。


窓から朝日が差し込む。

また一日が始まった。

生き残るための戦いは終わらない。

今日もまた、銃を手に外の世界へと飛び込んでいく。


ふとユメを見る。

穏やかな表情で眠りについていた。

そんな彼女の姿を見て思う。

――守らなければ、と。

そのために、彼は戦う、

自分の守りたいものをまもるために。



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