05曲目 虹を待つ人

「何をしているのですか」



 俺は不思議な人を見つけたので、意を決して聞いてみた。背の高いその男の人はそんな私に気がつくと微笑みながら、にこやかに答えた。



「虹を待っているのですよ。この空に虹がかかるのを」


「虹、ですか」



 俺は知っていた。虹というのは七色で雨が降ったあとに空にかかるものだと。旅をして得た知識のひとつだ。



 この世界には地球で呼ばれていた季節というものがない。暑い地域、寒い地域、紅葉の地域、桜の地域。それがあるだけ。かつて地球にあったと言われる時間の流れを表す、年、月、日、などはこの星では使われていない。この星にある時間という単位は、秒、分、時間だけだ。しかしそれも地球と同じであるかはわからない。一応この世界の決まりとしては、秒、分、時間と経過するのを積み重ねて二十四時間経つとまたゼロに戻る。この世界が明るくなったり暗くなったりすることと関係があるのかもしれないが、それもわからない。



 これも聞いた話だが、地球では時間を決めて一年という単位で一区切りとして、さらにその年という単位を月という単位で十二に分けるらしく、さらに日という単位で月の単位を三十や三十一で分けて使っていたという。日は今の星でいう二十四時間に相当するとも、聞いた。また、一年という単位が毎年訪れて新しい年を迎える度に、その年に対してそれぞれ動物や生き物の名前をあてて呼ぶ文化もあったと聞く。ネズミ年とかウサギ年とかのように使うのだ。全部で十二の動物や生き物の名前があてられているらしく、その選別の理由はこれも今となってはわからないが、なかなかユニークな文化だと思った。



「虹は今までどこかで見たことあるのですか?」



 俺は背の高い彼に聞いた。



「いえ、ありません。だからこうして、虹が出ると有名なこの場所で虹がかかるのを待っているのです」

 

「そうですか。どうして、虹をみたいと思ったのですか?」


「虹を見ると幸せになれると聞きました。幸運の証だと。私は今、幸せが欲しいのです」


「幸せ?」


「はい。人によってなにが幸せか、百人百通りあるかと思いますが、私の幸せは妻の幸せです。とても美人で、優しく、聡明なのですが、幼い頃から病を抱えておりあまり遠くへ出かけることができません。庭の手入れや世話をするのが日課です。だから、私は彼女に虹を見せてあげたいのです。このカメラで写真を撮り、これが虹だよと教えてあげたい。そうすればきっと私が見たかった笑みを浮かべて、幸せになってくれるはずです」


「それは是非とも虹が出てほしいですね」


「ええ。とてもそう思い、願っています」



 それからその時はその場を離れ、近くの高い建物が少ない街に寄った。その街の商店街は「レインボーロード」と呼ばれていると今日宿泊を決めた宿のご主人が教えてくれた。そうか、虹は「レインボー」とも読むのか。



 その地域は寒いところだった。あまり暖かい服装で旅をしていない俺は服を探した。いくつか服を売っている店を見つけて、暖かなふかふかで暖かそうなジャケットを買った。中には何が詰め込まれているのだろうか。



 その日の夜強い雨が降った。雨によって気温はさらに下がった。俺は宿でよく燃える人工固体燃料で火を焚べ、暖を取った。あの男の人はまた明日も虹を待っているだろうか。雨が降ったあとには高い確率で虹が出るのだと宿のご主人は話していた。この街の人が言うのであれば間違いないだろう。そう思いながらその日は旅の疲れを少しでも取ろうと眠ることにした。久々の睡眠だった。この体は基本的に睡眠を必要としないから、眠れなくて辛い夜を音楽で紛らわせてきたからとても珍しいことだった。



 翌日はあれだけ降っていた雨が嘘のように晴れ上がり、快晴を迎えていた。パンをふたつ創造して朝ごはんとし、昨日と同じ場所に向かった。



 男の人は今日もそこにいた。そしてカメラを向けて嬉しそうにしていた。



 虹が出たのだ。



 それは大きな虹だった。綺麗に七色に分かれ、鮮やかな色が青い空で輝いていた。なるほど、確かにこれは幸せになれるかもしれないと素直に思った。地球でも虹はあったのだろうか。このように綺麗に輝き、人々を幸せにしたのだろうか。そうだといいなと、そうも思った。



「こんにちは。虹が出ましたね」


「こんにちは。おかげさまでいい写真が撮れました。この写真を見れば妻は少しでも幸せになれるかもしれない。嬉しいです」


「それは良かった」


「どうです? もしもお時間があるようでしたら我が家に寄りませんか。これも何かの縁かもしれない。妻に会ってもらえませんか。あなたに会えたおかげで虹を見ることができたのですから」


「そんな。俺は本当に何もしていないですよ」


「いえ、ここに来てからあなたに出会うまでまったく出なかったんです。昨日の夜の恵みの雨はあなたのおかげだと思います。是非とも」


「ええと、そうですね、わかりました。急ぐ旅ではありません。お言葉に甘えます。奥様にご挨拶しますね」


「ありがとうございます」



 そうして俺はその男の家に招かれた。旅の途中でその街に住む人の家にお邪魔することはよくある。今回もそのひとつだと思っていた。



 男の家はとても立派な一軒家だった。話に聞いていたように庭にはたくさんの花が咲いている。無造作に、伸び放題に伸びて咲き乱れていることはない。一見でもその手入れが行き届いていて花が綺麗に整えられ、その美しさが際立っているのがわかる。



 奥さんはちょうど庭に出ていたので、自然と挨拶をした。



「初めまして、俺は旅をしている者です。昨日この街の近くでご主人にお会いしまして、今日もまた会うことができました。何かの縁かもしれないと、招待してくれました。大丈夫でしょうか」


「ええ、もちろん。お客様なんて、久しぶり。主人にはあまりお友達がいないんです。だから、仲良くしてくださるのならとても嬉しいわ。紅茶を淹れますね。どうぞ、お上がりください」


「お邪魔します」



 確かに綺麗で聡明な方だと思った。病に苦しんでいるようには見えない。


 家の内装を、物が少なくて綺麗に整頓されている家だと思った。出してもらった紅茶を口にすると、それほ紅茶の味であるのは間違いなかったのだが、初めての味だった。品種が違うのかもしれない。



「お仕事は何をされているんですか」


「建築関係を。トントントンと、家を建てています」


「それはすごい。頭がいいんですね」


「あたま?」


「家を建てるためには緻密で正確な設計と寸分も狂いもない設計通りに建てる技術が必要なはずです。それは杭を打つ腕力だけでは建てられない。とても頭がいい方でないと、無理だと思います」


「それは、なんというか、照れますね。何人か仲間がいて、協力して作るんです」


「そうですか、それは頼もしい。そうやってこの街を作っていくんですね。いくつか見て回った建物に建てられた物があったかもしれない。街を見る視点がまた一つ増えました。そういえば、虹の写真は」


「ああ、そうですね。私の妻よ、ついに虹の撮影に成功したんだ。是非とも見てほしい」


「本当に! ずっとあの場所に、毎日通っていた努力が実ったのね!」



 ふたりはカメラを覗き込んでいた。現像前のその小さな画面にはきっと綺麗な虹が映っていることだろう。今のカメラ技術ならデジタルでも紙にもカメラに内蔵されているボタンを一つ押すだけでできてしまう。地球ではカメラのお店があり、撮影したカメラのフィルムを取り出して特殊な処理をして画像として印字していたという。すぐに画像ができる今のカメラよりも、どんな仕上がりになるか楽しみに待つ時間があったことであろう。それはとても良い時間だと、そう思い想像した。



 奥さんは泣いていた。口を押さえて静かに綺麗な涙を流していた。俺は喜ぶものだとばかり思っていたから驚いた。俺の方を見て謝りながら言葉を紡いだ。



「ごめんなさい。なんか、とても込み上げるものがあって、とても。お客さんの前で、そんなつもりはなかったのに、どうして。とても嬉しくて、あなたが私のために撮ってきてくれて、とても綺麗で、こんなの見たことないわ。今までいちども。ありがとう、ありがとう」


 

 ふたりは寄り添い、目を閉じてお互いを慰めた。静かに、静かに。



 そして俺もまた、泣いてしまった。ひとつ、ふたつと涙が流れた。どうしてだろう。感動したのだろうか。切なく思ったのか。いや、違う。俺はとても悲しくなったのだ。奥さんはもう長くないことをわかっていて、ご主人もそれをよくわかっている。そんな気がした。そしてその直感はたぶん悪い意味で正解だ。ふたりは残り少ないふたりの時間に奇跡のような虹がかかったことに、幸せが訪れたことに涙したのだ。俺はそれが儚くて悲しいと思ったから泣いてしまった。この場に俺は不要だった。できる限りふたりの時間をふたりだけのモノにして貰いたかった。俺は席を立った。



「旅人さん、もうお帰りになるのですか」


「本当は、俺はここにいてはいけなかったんだ。お邪魔して申し訳ない」


「いえ、お見苦しいところを見せてしまったのは私の方です。すみません。もしも出発が今夜でないのでしたら、お夕飯を一緒にどうですか」


「ああ、それがいい。妻の料理はとても美味しいんですよ」


「いや、でも」


「妻のお願いです。どうでしょうか」


「いや、しかし」


「いつも主人とふたりきりなんです。お客さんがいると賑やかになります」


「いや、やっぱり」


「虹の色を、私たちの日常に色を取り戻してくれたのは旅人さんです。私たちからの感謝だと思って」


「色を取り戻す?」


「お気になさらず。主人はたまに詩的なことを言うのですよ」


「そうですか」



 俺は逡巡し、それから答えを出した。



「しがない旅人ですが、こんな男でよければ同席させてください。食事を取りながら旅の話でもしましょう。あとこれは、あとからならなんとでも言えるのですが、地域の食事を旅の楽しみにしています。特色を知り、文化を学べることはとても楽しい。よろしくお願いします」



 俺はその晩、最高の食事と共に虹の話と旅の話を楽しんだ。



 





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