04曲目 風の憧憬

 その日、俺は雨が降る大都会に来ていた。無料観光案内所に置かれていた三つ折りのガイドブックによると毎日のように雨が降っていて降り止んだことが一度もない街なのだという。ビルが地上にも地下にも長く伸びていて、見るからに大都会なのに。雨の中よく作れたものだな。雨だから都合が良かったのかは、俺の知識ではわからない。雨も、都会も、詳しくない。



 宿を探すと、すぐにめちゃくちゃ安い宿を見つけた。俺はあまりの安さに大丈夫かと不安になったが、面白そうでもあったので宿に電話をかけた。観光案内所に設置されていた電話は黒電話というものだった。この街ではこれが主に使われているのだという。これも地球で使われていたのだろうか。



「ハイ。ゲキヤスヤドね。ナニカヨウか?」


「ええと、今夜から二泊お願いしたい。部屋は空いているだろうか」


「カクニンする。マツね」


「はい」



 保留音なし。何か叫ぶような声が聞こえる。足音が戻ってくる。



「イイよ。いつでもスキナダケとまるトいいネ。ナマエは」


「旅人だ。では三泊。お金はいつ払えば」


「シュッパツのトキね。ヤドでるトキよ。スキナダケツカッテはらえ」


「ありがとう。では、夕過ぎに伺おうと思う。お願いします」


「マッテルね」

   



 受話器を置いて、俺は案内所を出た。雨に隠れた見どころがあるはずだと歩き始めた。せっかく大都会に来ていたのでバイクは点検に出した。特殊な個体だと、いつものように言われたが受け入れてくれた。傘を差しながらラジカセを回した。雨の音にかき消されちゃうからイヤホンをつけて。








 ※ ※ ※





 宿には予定通り、夕過ぎに着いた。子供のような元気で肌をこんがり焼いた女の子がエプロンつけて「マッテタぞ!」と出迎えてくれた。背は低くとも成人女性であるとのことだった。よく勘違いされるのだ、と何も気にしてないように笑い飛ばしながら教えてくれた。



「ニカイガ部屋だ! 旅人は階段アガッテイチバンテマエ。今はホカニ誰もいないからな。旅人カシキリだ。夕飯スグ作るカラな! マッテロよ!」


「ええと、ひとりなのか?」


「オババがいるぞ! アトはロボたちダ。フワフワと浮イテイル小さなヤツだ!」


「名前を聞いても?」


「ジュビアね。ナマエはジュビアというよ!」


「そうか。苦労をかけるな、ジュビア」


「シゴトダカラね! キニセズクツロげ!」



 しばらく座ってラジオを聞きながら夕飯を待っているとお婆さんが奥の部屋からやってきた。足を悪くしているようで、浮遊電子車椅子を使っている。俺はお邪魔していますと礼を一つしたが、にこやかに気にするなと言われた。



「お主はどこから来たんじゃ」


「故郷はありません。親も、家族もいません。生まれたのではなく、解凍したように目が覚めました。俺は旅をしています。この世界のことを俺は何も知りません。だから旅をしてこの星と地球のことを知りたいと思っています」


「そうか、そうか。立派なホテルではないが、ゆっくり休むといい。騒がしい娘しかいないが、飯はうまいぞ」


「ありがとうございます。この街には長いんですか?」


「生まれも育ちもこの街だ。もうすぐこの街で死んでゆく。何か知りたいことはあるか。衰えた脳みそでは何を覚えているかわからんが、覚えていたら教えてやろう」


「ええと、この街はなぜずっと雨が降っているのですか?」


「どうして雨が降るか知っているかね」


「いえ、なんとなくしか」


「ふむ。気圧、温度、水の循環、こういう気象の話をしてもいいが、きっと求めているのはそういうことではないだろう? 雷神の怒りとか天使の涙とか、そういう物語のほうが好むんじゃないかな」


「いえ、事実が知りたいです」


「ふむ、そうか。お主は怯えているのだな、自分と世界に」


「怯えている?」


「わからぬのか。そうか、それならそれもまたいいかもしれん。知らないことを知りたいと思うのは、己の不安の表れ。知らない自分と知らない世界に怯えているのだ」



 怯え。そうか、俺は怖いのか。知らないことを、知らない自分を、何もわからないということを恐れていたのか。俺は情報を持たない人間のようで普通の人間ではない生命体だと思っている。だから世界も知識も自分も何も知らないのだと思っていた。この知りたいという思いは本能的な欲求で、俺が生まれてきた理由だと思っていた。俺は少し怖くなった。



「ゴハンできたよ! たくさんツクッタカラ食べ放題だぞ! モリモリ食えよ!」


 大盛りの米と野菜がたくさんの汁物。大皿が机いっぱいに並べられた。これは三人で食べる量ではない。



「ずいぶんと作ったんだな……」


「お客サン久しぶりダカラね! ハリキッタんだ!」


「あまり人が来ないのか?」


「今はもう雨しか見どころのない街さ。昔はカジノみたいな賭け事で賑わったんだが、今は規制が厳しいからねぇ。寂しくなったものだよ」


「そうだったのか……」



 俺は手を合わせて大皿に手を伸ばした。豚の丸焼きか? 中に何か入っているが。



「ポルケッタよ! ノコサズ食えよ!」



 俺はたくさんの料理を次から次に食べていった。ほとんど肉だった。肉食。



「お主は面白いものを持っているな」


「? ああ、あれか。あれはラジカセという。カセットテープを入れて再生することで音楽が聞くことができるんだよ。すまない、うるさかったか。音量を下げていたつもりだったが」


「いや、別に構わん。よい音楽だ。名前はあるのか」


「さあ、なんだっけな。歌詞がない曲はあまりわからないんだ。なにせ地球の音楽だから、誰も知らない」


「そうか、地球で作られた音楽か。偽りのこの星で聴くことができるとは。ありがたや」


「こいつを使えばいくらでも聴くことができる」


「アタシはニホンゴわからないネ。英語ならワカル」


「そうか。確かに、俺の言語も絶滅寸前らしいからな。知っている人のほうが少ない。今は自動相互翻訳機が体に埋め込まれているから滞り無く意思疎通ができるけど、昔はどうしていたんだろうな」


「日本語はスコシわかるヨ!」


「ああ、それは嬉しいよ。俺は基本設定の言語が地球における日本語という言語だからさ。地球のどこにあるどんな国で使われていたのか、いつも想像しているよ」


「コトバの違いも人種の違いもミンナ気にしないね! ナニを話してもドンナ言葉デモ大丈夫!」


「その通りだな。幸いにも、この世界には差別がほとんどない。地球時代では当たり前のように蔓延っていたらしいと、旅の途中で聞いたことがある。人間も日本語も英語もきのこもたけのこも異星人も誰も珍しくはない。俺は自分が人間であるのかさえわからない。もしかしたら人工生物かもしれないと、いや、多分そうなんだろうと勘づいている。確証はないけどね。目を覚ましたときからこの世界はある意味では平等だったんだ。だからこそ、俺は自分が何者であるかを知りたくて、自分の存在意義を、理由を求めたい」


「お主はとても賢い。この街のはずれに遺跡がある。今は誰も興味を示さず見向きもしないから観光地ではなくなったが、中には入れたはず。時間があるなら行ってみるといい。面白いかもしれぬ」


「それは、是非とも。バイクの整備が終わるまでまだ時間かかりますし、急ぐ旅ではないので行ってみます。ありがとうございます」



 お婆さんは「ついでに」と説明してくれた。


「その遺跡は戦争の跡だと言われておる。この星に人類が到達し、人々が目覚めてすぐに起きたのが戦争だった。何百年もむかしさ。不可思議なことに記録が何も残っていない。今となっては各地に謎の遺跡があるだけ。負の遺産の記憶は誰も覚えていない」



 お婆さんはゆっくりと、抑揚をつけながら言葉を続ける。



「人間は歴史を繰り返す。どれだけ記憶していても、全く覚えていなくても繰り返す。どれだけ記録を残していても、何もデータが残っていなくても繰り返す。人は変わらない。変わらないのほうが良かったと、変わってしまった世界の人々は口を揃えて偉い人を糾弾するのがお決まりなのだよ。パンデミック、戦争、恐慌、そして終末。どれだけありがたい言葉も、どれだけ偉い人間も、地球が滅びてしまっては意味がない。全てが文字通り無に帰して終わり、地球と共に世界の全てが無くなった。人間は無くなってしまったふるさと、地球のことを未だに覚えている。だから今度は変わらない世界を作ろうとしているのさ。今のこの星は求められた理想の穏やかに近く作られている。ここ百年くらい大きな戦争は無かった。穏やかな誰もが望んだ世界だった」



 俺はその言葉をしっかりと聞いていた。お婆さんの言葉にはこの世界の謎につながるヒントがあると、安直にもそう思った。このイチから百まで何もわからない世界を、そう思っている俺よりもずっと長く生きてきたお方だ。そのお言葉には黙って耳を傾けるのが正解だろう。人間というのは、人間ではなくても、生き物には寿命があることを、それくらいのことは俺でも知っている。このお婆さんは人間だ。どうしても、残りは長くないように見える。少しでもお元気で居てほしいと願うばかりだが、抗えないこともきっとある。それは誰も悪くない。誰かのせいではない。だからこそみんなで涙を流すのだ。最大限の敬意を持って。



 そのお婆さんは二日後に亡くなった。二百二歳。老いに伴う病気だった。駆けつけた医者の話では安らかに、とても安らかに目を閉じたそうだ。俺は短い間しか会うことができず、交わした言葉は少なかったかもしれないが、当たり前のように悲しかった。涙を静かに流して、そして自分の手でそれを拭った。俺はジュビアの震える肩を抱いた。声にならない悲しみと涙に寄り添った。世界で一番悲しい時間が彼女に訪れていた。俺は五日間滞在を伸ばした。ジュビアが落ち着くまで共に暮らした。

 


 遺跡にはもちろん行った。そこは洞窟であった。しかし、何も分からなかった。ガイドも説明もないのだ。どこにある何がどう遺跡なのかもわからない。自分の立っている場所がそうなのか、地面に空いた大きな穴がそうなのか。見張りも管理者もいない見捨てられた地に俺は何を思うのか。本当に戦争は起きたのだろうか。



 滞在中ノートに覚えているお婆さんの言葉やこの街を傘を差しながら回ったことを記録した。紙を束ねて綴じて一冊にしたノート(これは地球時代の言葉らしい)というものにグラフェイトを芯に使ったペン(これも同様)で黒い文字を書き続ける。この作業も、もう何百と繰り返してきたが、ひとつとして同じ言葉はない。もちろん電子でも記録している。紙は濡れたり燃えたりしてその保存に不安要素がどうしても付きまとってしまう。大切な俺の旅の記録だから、その消失は避けたい。これが無くなってしまうと旅をしている意味が無くなってしまう。その記録のバックアップは俺の相棒、バイクが記録してくれている。そのデータはたとえバイクが壊れても消滅しないという。きっとバイクの中ではないどこか別の所に保存してそれを必要な時に取り出せるようにしてあるんだろう。俺のバイクはとても賢いと紹介したことがあったが、実はさも当然のようにAIというものが搭載されているらしかった。しかし、地球では遥か昔に作られた技術らしく、地球消滅直前に存在していた高度な文明ではほとんど使われていなかったと旅の途中で聞いた。昔の、滅びる前に進化し続けた技術の礎となった古い技術。今となってはその文明も、文化も技術もこの星のあちこちに散り散りになって点在しているけど。



 この世界に、この星に存在する地球のときにもあったモノや文化、技術は実は全て地球にはなかったかもしれない。誰も本当に地球にあったとは証明できないからだ。偽りで偽物で、本当の地球にあったものはひとつもないのかもしれない。地球が滅びた時にその全てが共に消えて無くなったのかもしれない。それは、本当にわからない。だからこそ、この星で見つかる地球時代の言葉やモノかもしれない断片のような欠片を見つけると、わくわくしてしまうのだ。俺はそのすべてをありのままに受け入れたい。否定も、拒否もなく。いつの日か自分と同じ人間が生きていた星のことを思いながら。俺が生きていたかもしれない青い星の時代を想像しながら。



 俺はふとAIという技術が遥か昔の技術だと認識しているが、開発された当時の地球人はその技術を新しく思い、思うままに使っていたはずである。それはきっとその時代を推し進め、繁栄に導き、生活を豊かにしていたに違いない。だからこのバイクにも搭載されているのかもしれない。この旅でずっと使っている俺は古い技術だとは思えないけどな。すごく頭いいんだぜ、俺の相棒は。まるで人間みたいに、機械だとは思えないほどに会話もできる。地球に生きていた人間はすごい。



「少し落ち着いたか、ジュビア」


「うん。アリガトウね。助かったよ」


「そうか。俺は明日にはこの街を出ようと思う。世話になったな」


「ワカッタね。今夜はガンバッテご飯ツクルよ!」


「楽しみにしている」



 その晩の料理はゲキヤスヤドとは思えないほど豪勢だった。

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