第二話

 夜更けのウィッチェ邸。辺りは、灯りひとつ無い。この邸宅が建つローエルの地は、人が寄りつかないほどに荒廃している。


「我がかたきは、ゴドズィン公爵家、それにむらがる貴族共。そして――王とその妃だ」

 澄んだ、芯のある声が通る。

「はっ」

「良いか。王妃が住まうサングリアル宮は森に囲まれている。それ故、侵入は容易だが、ゆうべの森は危険が伴う」

 騎士団全員を見回し、アルスノの目は青年を捉えた。

「ここは……そうだな。エドワード・グウィネズ、お前の班に任せる」

「御意。第一王子殿下は、如何、なさいますか」

「……兄上には手を出すな」

 目を伏せ、呟くように言った。

「仰せの、ままに」

「……ゴドズィンの方は、ヘクター・ケント。お前に全て任せる。良いか?」

 ヘクター・ケント――彼は騎士団フェイルノートの長とも言える人物。


 実の所、この団の中に生前のトリスタンを知る者は僅かである。時の流れは残酷で、家臣の多くは心労が祟って死んだか、寿命を迎えてしまっている。トリスタンに仕えていた人間の殆どが、今、騎士団に所属している者の親世代だ。当時年少だったケントも、今では最年長。変わらぬ忠誠心と懺悔を抱いている。

「有り難き幸せ。殿下の命を遂行して参ります」

 アルスノは頷く。

「期待している。降伏する者は牢に連れて行け。抗戦する者は……一人残らず殺せ。だが、子どもは逃がせ。国外へ」

「ですが……殿下。良いのですか?」

 ヘクターが問う。

「幼少の子どもに、惨い目に遭わせるのは、あまり、気は進まない。……まあ、偽善でしかないが」

 アルスノの声が落ちた。微かに瞬いてから、また続ける。

「……他の貴族については、アングリア公爵が全て引き受けると言っている。卿らは己の持ち場で責務を果たせ」

「はっ!」

 アルスノは顔と目線を上げる。

「私は――王の元へ行く」

 葛藤と不安と疑問と、割り切れない想いとを抱いて。

「殺されるかもしれない。何も、害を、加えられないかもしれない。だが」

 目を閉じ、開けると、アルスノの瞳は青く燃えていた。

「顔も姿も見ずに、あれを憎んではいられない。対峙しなければ、この先……私は決して前には進めないだろう」

「私共も、同じ気持ちにございます」

 騎士達はアルスノの瞳を一心に見つめ、答える。

「決行は明日の夜、七の刻に。良いな?」

「はっ」



 夕空のグレンセラ。

 美しい空とは裏腹に、地上は阿鼻叫喚の光景が広がっていた。至る所で切り裂かれる身体。流れる鮮血。ゴドズィン公爵は、憎しみと失望を瞳に映しつつ、絶命していった。

「……っ、アルスノ! おのれ……よくも!」

 ゴドズィン一族は、他の貴族家に助けを求めた。だが、皆沈黙を貫いた。アングリア公爵の言葉通り、それが答えだった。


 叛乱の夜は空が綺麗だった。アルスノはしずかに呟く。

「青い」

 あらそいの後の、あおい空。淡く霞む麗しい月。月光がグレンセラ城を蒼白く照らす。梢の葉擦れの音。鳥が遠くで鳴いている。夜風が森の音を運んでいた。


「主君、騎士団が城門の前に」

 背後から聞こえてきた側近の声に、後方に少し首を捻る。

「通せ」

「かしこまりました」


 数分後、彼らはアルスノの元に訪れ、跪いた。

「騎士団一同、帰還いたしました」

 その声は心做しか暗く、外套は朱殷しゅあんに染まり、中には憔悴している者も居た。

「ご苦労だった。疲れただろう」

 騎士団の中の数人が、目を見開いた。それは、アルスノが疲れと憂いを見せたからである。それは、かつての主君の、最期の表情かおとよく似ていた。

「今日はもう休め。……後の事は、また、伝える」

「御意」


 復讐を果たしたというのに、心は重かった。晴れないままだった。


「ヒース、お前も休め」

「はっ」

 側近は慇懃いんぎんに礼をした後、直ぐにその場を去っていった。

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