第8話 アイス
あれから数日経った。ハルの精神は安定しており、この家での生活にも少しずつ慣れ始めてきた。
「今日の夜ご飯何が食べたい?」
シオンはハルに質問する。
「なんでもいいの?」
「高すぎないやつなら何でもいいよ。」
「じゃあ、オムライスが食べたい。」
「オムライスね。了解。」
何の変哲もない会話。表面上は平静を装っている。だが、二人とも心の内では常に靄のような感情が渦巻いていた。
唇を手でなぞる。見た目や機能はいつもと変わらないが明白に違うことが一つある。それのせいなのか、はたまたそれのおかげなのか分からないが、心境の変化が生まれていた。
「それじゃ、買い物行ってくるね。」
「うん。いってらっしゃい。」
家から出るシオンの見送りをする。そのとき、ふとハルとシオンの目が合った。
数秒間二人は見つめ合い、すぐに目線をそらした。
たどたどしい雰囲気に包まれる。もう以前の様な少しドライな関係に戻ることはもうないだろう。
夕飯を食べ終わり、リビングでぼーっとテレビを見る。特に面白くもない番組を右から左へと流し、視覚と聴覚の無駄遣いをする。少し前まではこんなに安心しきって暇を潰すなんてことはハルには考えられなかった。
目の前には寝転がってスマホをいじっているシオンの姿がある。なんだか心を許しきっている姉妹の様だった。
ハルは意を決して聞く。
「ねぇ、前に私が暴れちゃった時があったじゃん?そのとき何で私に…その…キスをしたの?」
「へぁっ⁉︎」
ハルは不意打ちを食らったかのように変な声が出た。先の質問と奇声のせいで今すぐ消えたいと思った。だが、質問は答えなければいけない。他人の初めてを奪ってしまったのだから。
「それは、その…。分かった、答えるよ。一つはあなたを止めないといけないと思ったから。このままじゃハルが自殺でもしちゃいそうな雰囲気だったもの。もう一つは…。」
「もう一つは?」
「…きだから。」
ハルには最後の答えがよく聞こえなかった。だが、答えはシオンの顔を見れば明白だった。顔はうつむいて首まで真っ赤になるほど血が上っている。
その姿を見ると、ハルも同じ様相となった。
しばしの沈黙が過ぎる。
「…最後の答え、よく聞こえなかった。」
はっきりとあなたの口から聞かせてほしい。答えはわかっているが、乙女心とはそういうものなのだ。
シオンは顔を手で覆い、必死に照れを隠す。三十秒ほどの静寂の後すくっと立ち上がり、小さな一歩を何度か繰り返す。ハルの目の前に立つと目線を同じ高さに合わせ、額をピタッとくっつける。
あのときと似たシチュエーション。必然と二人の心拍数が上がる。
シオンの口が開く。
「貴女をもっと知りたい。貴女ともっと仲良くしたい。貴女の痛みを和らげてあげたい。自己満足だらけだけど、本当のことだから。」
一息あける。額をつける。心を通わせるように。
「初めて見たときからそうだった。あのときの行動と今の感情に嘘はつかないよ。」
そう言うと、シオンはハルにもう一度口づけした。
頭が沸騰しそうだった。いや、沸騰していただろう。これは確信できる。
こんなことを言われてしまったら、されてしまったら、どうすれば良いのか。
ハルは再び顔を覆う。さっきの比にならないほど身体が熱くなっている。心臓の音がうるさい。血が上りすぎて頭が痛い。
「アイス食べる人‼︎」
キッチンの方から聞こえる声。ハルはそれを見る。そこには顔が自分以上に真っ赤なシオンが二人で分けられるタイプのアイスを持ってこちらを見ている姿が映った。
照れ隠しだろうか。ハルはその姿が何故かとても可愛く感じた。
「はいっ‼︎」
勢いよく、元気よく右手を振り上げシオンに答えた。
そのアイスは今まで食べたものの中で一番冷たかった。
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